2018年05月28日

春秋戦国 墨子9 実は弟子問題に苦しんだ墨子 墨子の直弟子は出世目当てで働きが悪く、墨子を悩ませる

 粉骨砕身や東奔西走という言葉がしっくり来る墨翟ですが、彼に師事する人々にはまた別の意図があったようで、平和主義はなかなか広まりません。『諸子百家』から引用します。

 ところが、せっかくの墨子の計画も、なかなか狙い通りには運ばなかった。というのは、集まってきた弟子たちの入門動機は、ほとんどの場合、墨子のもとで学問を身につけ、高級官僚として仕官したいとする一点にあって、墨子の思想自体に共鳴したからではなかったためである。


説話類に登場する弟子の大半は、全く勉学意識に欠けていて、墨子の説諭にもなかなか腰を上げようとせず、さらには数々の背信行為を繰り返して、一向に恥じ入る様子もなく、はては墨子に面と向かって、あからさまな不信・疑惑の言さえ吐く始末である。


 理想論を掲げる師と、現実しか見ていない弟子の温度差はかなりのものがありました。その温度差解消に、墨翟は鬼神を持ち出します。鬼神は『1984年』のビッグブラザーよろしく、人々のあらゆる行動を監視しています。そして、因果応報で応えるとしているため、善きことを行うメリットがあるわけです。ビッグブラザーは困ったことしかしないので、その点は異なりますね。

 弟子問題に苦しんだ墨翟が世を去ると、鉅子と呼ばれる教団の指導者には墨子の信頼厚い高弟、禽滑釐(きんかつり)が就きました。

 余談ですが、墨翟が鉅子と呼ばれていたかどうかは分かっていないそうです。ただし、墨翟は『墨子』の中で一貫して子墨子と呼ばれており、これは鉅子墨子の略であると考えられるとのことです。

 さて、禽滑釐は墨翟から防衛術を習い、師に代わって防衛戦を指揮したこともある人物です。重労働に耐え、屋外作業により真っ黒に日焼けしていました。

 彼の時代に墨家は献身的な労働で知られるようになります。墨家の人々が留まることなく各地を奔走したことから、墨家に暖席なし、などという言葉が生まれたのもこの頃の話でしょう。

諸子百家 (講談社学術文庫)
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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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