2018年05月25日

春秋戦国 墨子6 斉への帰路、宋の門番に追い払われる墨翟 墨家に題材をとった『墨攻』(面白いですよ)

 それにしても、シミュレーションで敗北を悟り、きちんと方針を転換するとは、楚王は立派ですね。1941年、東方にある島国はアメリカと戦争に踏み切ったらどうなるかを図上演習し、敗北とでたのですが、偶然だと一蹴して戦争に突入、シミュレーション通りに負けたという大変にアレな歴史を持っていますから。

 尚、この話には後日談があります。

 楚王の意図を挫いた墨子は楚から斉へ戻る途中、宋を通ります。そこを大雨に見舞われ、城門の庇で休もうとしたところ、門番は墨?をスパイと疑って追い払ったというのです。

 ともあれ、墨家集団が守備側に味方して城を固く守ったことから、固く守ることを墨守と言うようになりました。

 その防御術は『墨子』に訳されています。グループを作って連座制を適用し、裏切りや味方の士気を低めるような、敵に利する行為は厳しく罰せられました。また、守備隊の配置を決して漏らしてはならないとか、特定の場所を兼務させてはならないとか、微に入り細を穿つような書き方です。当時の戦争について、知ることは多いでしょう。

 酒見賢一の『墨攻 (文春文庫)』は、この墨守を攻守逆にしたことで意表を突くイメージを与える作品です。戦国の七雄、燕と趙に挟まれた小国梁を革離という主人公が守り抜こうとするストーリーですが、梁といえば通常は戦国の七雄の一角を占める魏のことです。魏が秦の圧力に圧されて大梁に遷都してからは国号を梁としているので、はて、そんな話はあったかなと思ってしまうのが玉に瑕です。(正確には、春秋時代に梁という小国はあったのですが、墨翟の活躍以降とすると矛盾が生じます)

 まにあっくで申し訳ありません……。

 さて、墨翟は戦争を防ぐために経済的な不利益にも訴えます。

もし国内で侵略軍を編成しようとすれば、部隊の指揮官や戦車兵となる君主子飼いの兵員は数百人、兵士を督責したり、経理を担当する軍吏たちは数千人、歩兵や雑役夫の数は十万人にも達するであろう。(略)こうなると、為政者は内政に気を配る時間的余裕がなく、官僚たる士は国家財政を充実させる余裕がなく、農民は農業に精を出す余裕がなく、夫人は糸を紡いだり布を織ったりする余裕がない。これこそが、攻戦によって国家が正常なる秩序を失い、あらゆる人々が本務を投げ出すことに他ならない。(略)従軍してきた雑役夫たちは、飢えたり凍えたり病気にかかったりで、道路わきの溝に転がって死ぬ者は、数えきれぬ有様である。こうした行為が人間に不利益をもたらす度合いは、その結果世界中が甚大な損害を被るとまで言わねばならない。それなのに君主や貴族たちは、さも愉快そうにこうした攻戦を続けている。とすればこれは、世界中の人々を虐殺し、滅亡させることを楽しんでいるのに異ならない。どうしてこれが非道でないことがあろうか。
『墨子』

墨子 (講談社学術文庫)
墨子 (講談社学術文庫)

墨攻 (文春文庫)
墨攻 (文春文庫)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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