2018年05月20日

春秋戦国 墨子1 墨家を開いた墨翟とは何者? 史書は黙して語らないが、どうやら中流以上の出身なのは間違い無さそう

 部下が居る人であれば、将軍ならずとも通用することのような気がします。勿論、生きようという気持ちを棄てなければいけない職場はそうそうあるわけではないと思いますし、そもそも何でもビジネスに結びつけようとするのは私の好むところではないのでここまでにしておきましょう。

 呉起が暗殺された後、悼王の遺体を傷つけたとして貴族70余家が滅ぼされた際、1つの興味深い逸話が見られます。呉起殺害の一味である陽城君は、処刑される前に出奔します。楚の粛王は陽城君の領地を没収すべく、軍を派遣しました。この時、陽城君の領地を墨家が防衛しようとしたのです。

 ここで、迂遠にはなりますが、墨家について記しておきましょう。

 墨家を開いた墨翟について、詳しいことは分かっていません。生没年も分からなければ、出自も詳らかではありません。「墨」も名字ではなく、入墨をされた、すなわち刑徒だったことを意味するのではないかとの説があります。古代中国では罪人であることがひと目で分かるように、罪人には入墨をしていたのですね。ただし、墨翟が罪人だったとはっきり示す史料は存在しません。

 『諸子百家 (講談社学術文庫)』は魯問編において自ら耕し、自ら織り、自ら兵士となってみたが、1人で行う作業に限界を感じて天下の教化に励むことにしたとあることを引き、農夫でも兵士でもない身分ではなく、かといって王侯将相とも異なる下級武士だったのではないかと推測しています。後に見るように、彼は防衛戦に関して深い知識を持つこと、兵器の設計や戦場における使用方法に詳しいことから、下級武士あるいはもっと高い身分だったのかもしれないとも思います。最低限言えることは、先王の道を学んだとあることから、少なくとも一般庶民よりは上の階級出身だったことです。当時、庶民には教育を受ける機会などありませんでしたから。

 生没年は不詳ですが、墨子に見える記事から、活躍したおおまかな時代は分かります。

諸子百家 (講談社学術文庫)
諸子百家 (講談社学術文庫)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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