2018年05月18日

春秋戦国 呉起の死2 後世における呉起の評価 司馬遷は割と冷たい評価だが、法家の先駆けとして高く評価する者も

 呉起を貫いた矢は、悼王の遺体をも傷つけていました。悼王の子の蔵が即位すると、父の死体に傷を付けたとして呉起暗殺に関与した貴族70余りの一族が滅亡に追いやられています。

 貴族たちは、呉起の生命を奪っただけでは済ませず、呉起の改革を廃絶させ、旧に復しました。この反動は、大局的に見れば楚が大国になる道を閉ざすものだったと言えるでしょう。

 『史記』孫子・呉子列伝は、「楚の国においてかれのやったことは、残酷で人情に欠けたため身をほろぼしたのであった。悲しいことではある」と評しています。一方、『孫子・呉子 (中国の思想)』は呉起をこう評しています。

 
かれの時代は、戦国乱世がその極に達して人民は苦しみ、新しい統一にむかって、前述のような変革(引用者注:各国が富国強兵を目指し、中央集権化を進めていたこと)がおこりつつあった。世襲的な私門による支配を排し、法制の整備によって近代化をはかろうとしたのが法家思想であり、呉起はその先駆のひとりであったのだ。


 また、中華民国の政治家で歴史家でもある郭沫若(日本に留学し、九州帝国大学の医学部で学んでいます)も呉起を高く評価しています。上掲書に引用されているものを孫引きします。

「かれの不幸は、悼王の死があまりに早かったことにあるのだと思われる。もしも悼王の死が遅れて、少なくとも10年の執政期間がかれに許されたならば一切が安定して、かれの功績は決して商鞅(筆者注・秦の基礎をきずいた法家)に劣らなかったであろう。戦国時代の局面は主として秦と楚との争覇であるから、呉起の覇業がもしも楚国で成功していたなら、後に中国を統一したという功業は必ずしも秦人の手におちるとは限らなかったであろう」(郭沫若『十批判書』。『中国古代の思想家たち』として邦訳、岩波版)

(但し、引用者により漢数字はアラビア数字に置き換えました)

 志半ばで暗殺された呉起でしたが、兵法書が後世に残されています。韓非子に家ごとに孫呉の書を持つとあるほど、孫子と共に広く読まれたそうです。

孫子・呉子 (中国の思想)
孫子・呉子 (中国の思想)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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