2018年05月13日

春秋戦国 魏の興隆2 鄴の県令となった西門豹、乙女を生贄に捧げる儀式を止めさせるため、巫女や高官を片っ端から黄河に沈める

 ところが、文侯の側近が「楽羊は息子の肉でも平然と食べることができる人間です。誰の肉を食べても不思議はないでしょう」などと中傷します。誰の肉を食べても、というのは、暗に「君主を殺してその肉を喰らうことだって平気だろう」という意味が込められているわけですね。

 文公は結局、楽羊を疑うようになり、彼はそれ以上活躍を見せる機会は与えられませんでした。楽羊とその一族は霊寿付近に住み着いたようで、後に彼の子孫に楽毅がこの地に生まれ、燕に仕えて斉を滅亡寸前にまで追い詰めることになります。

 なお、一度は滅亡した中山でしたが、山中に逃れた桓公が20年にも渡るゲリラ戦を繰り広げ、国を再興することになります。

 領土を拡張するだけではなく、治水事業でも成功を治めています。こちらで活躍したのは西門豹なる人物です

 彼が県令として鄴へ赴任した頃、洪水を治めるためと称して川の神に美しい娘を生贄に捧げる儀式が行われていました。

 同じコミュニティに属する若者を犠牲に捧げようというのですから、鄴周辺がかなりの洪水被害に見舞われていたことは間違いありませんし、犠牲者も己の死が皆のためになると信じて死出の旅に出たことでしょう。一方で、儀式は肥大化し、巫女やら役人やらは儀式を行うためと称して人々から多くの金銭を集め、利を貪っていました。

 西門豹は儀式に参加して娘の顔を見るや、「この娘は器量が悪いから川の神に捧げる訳にはいかない。数日後に改めて別の娘を送るので、巫女は川の神にその旨を伝えて来るが良い」と言い放ち、巫女を川に放り込みます。当然、巫女は帰ってきません。西門豹はとぼけて「川の神が歓待して帰ってこられないのかもしれないから呼んで参れ」だとか「巫女の弟子が女ばかりで話が通じないのかもしれない」などと適当な言い訳を口にしては、巫女の弟子も役人たちも尽く川に叩き込みます。

 徐々に位の低い者に順番が回ってくるので、全員蒼白となります。そこで西門豹は他の者を許しました。こうして悪習は絶えたのです。西門豹は灌漑路を作って川を12に分け、洪水を治めたそうです。

 西門豹の事跡は史記の滑稽列伝に収められていますので、面白いと思われた方はぜひ読んでみてください。

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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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