2018年05月12日

春秋戦国 魏の興隆1 戦国時代の名の元になった『戦国策』 魏の文侯、名士を集めて魏を強国に導く 楽羊の中山攻め

 戦国時代の名前は『戦国策』から採られたものです。『戦国策』は 、漢の高祖劉邦の同母弟または同父弟である楚の元王劉交の4男という出自の劉向が、息子の劉歆と共に『国策』や『国事』という名で編まれていた戦国時代のエピソードをまとめたものです。

 漢朝は、秦の始皇帝の焚書・坑儒のあとを受けていましたから、成帝は、河平3年(前26)、命をもって、ひろく書物を献上させ、あるいは、使いを派遣して、亡逸した書物の収集を始めるいっぽう、朝廷所蔵の書物の校定を、この劉向に命じました。
戦国策 1 (東洋文庫)』(但し、引用者にて漢数字をアラビア数字に置き換えた)

 劉向は、重複を省いたり国ごとに話を纏めて順序を直してまとめ上げると、戦国時の遊説の士が、その用いられた国をたすけ、その国のために策謀しているのでございますから、『戦国策』と名付くべきでございましょう(『戦国策1』)と上奏、それがタイトルとなったものです。

 ですから、当然のことながら、戦国時代に生きた人々は「現在が戦国時代である」などとは思っていなかったわけです。

 先述の通り、春秋時代の終わり頃にはそれまでとは社会が大きく変わっていました。晋の崩壊は、時代の移り変わりを目に見える形で表す出来事でした。

 戦国時代に入って、まず勢力を伸ばしたのは魏です。魏は文侯が人材の招聘に努め、戦国の七雄の中でも大きく力を伸ばします。

 前407年、楽羊に命じて現代の河北省中西部にあった中山を攻めます。中山は異民族の白狄の国で、鮮虞の名で史書に現れる国です。

 中山には楽羊の息子がいました。攻撃側の将が楽羊であることを知った中山は、楽羊の息子を殺し、その肉でスープを作って楽羊に届けさせます。士気を挫くことを狙った作戦でしたが、なんと楽羊は平然とスープを飲み干し、攻撃を続けました。間もなく都は陥落、楽羊の忠誠を嘉した文侯は戦勝を讃え、彼に中山の都であった霊寿を与えました。

戦国策 1 (東洋文庫)
戦国策 1 (東洋文庫)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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