2018年05月01日

春秋戦国 春秋戦国という時代5 貨幣の種類と使用の分布 刀の形をした刀銭やコヤスガイの形を留める銅貝

 空首布は洛陽近辺で見られるのですが、周は内乱続きで貨幣発行能力があったのか疑問視されており、国ではなく有力な商人が発行した可能性も指摘されているそうです。『地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国 (東方選書)』は最初の青銅貨幣が民間で発行されたことは、民間の経済活動において一般民衆にも受容されやすい実用道具がモデルに選ばれたことからも証することができるであろうと、銅貨の形態から見て無理のない仮説であろうと指摘しています。

 その後、貨幣は多様な発展を遂げ、春秋から戦国時代にかけて非常に多くの形状を持つ貨幣が流通しました。40gにも達する、大きな刀の形の貨幣もあります。流石に実用性には欠けたと思われます。

 コイン1つ1つが等しい価値を持つのではなく、重量によって価値が変わる秤量貨幣でした。一部を切り取って使用することもあったため、ナイフで切り取った跡を残す貨幣も出土しています。

 経済の発展は都市への人の流入をもたらします。戦国時代の斉の臨?には70万人が暮らしていたとされます。これは文句なしに当時における世界最大級の都市人口です。

 折角の機会ですので、時代を下って秦に至るまでの貨幣史を上掲書から拾ってみます。

戦国時代の貨幣は、大きく分けて金貨と銅貨があり、銅貨には鎛(はく)・鏟(さん)に因む布銭、小刀に因む刀銭、最初は円孔(円い穴をもつ。この円孔円銭を環銭という)をもち、後には方孔(四角い穴をもつ。この形態の円銭を方孔円銭という)をもつようになる円銭、そして子安貝の伝統を継承した銅貝(どうばい)の四種類がある、という定説的認識はほとんど動かない。


 上掲書から、それぞれの貨幣の使用領域をまとめると下のようになります。

   周 秦 韓 魏 趙 宋 燕 斉 楚 
布銭 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯    
刀銭         ◯   ◯ ◯
銅貝                 ◯


 布銭が最も一般的で、東北側で刀銭が使われ、楚では興味深いことにより古い起源を持つ貝を象った銅貝が使われたのですね。

地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国 (東方選書)
地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国 (東方選書)


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2018年05月02日

春秋戦国 春秋戦国という時代6 少数ではあるが、銀貨も使われた 銅と銀の融点の違いが銀利用を促進する

 秦の統一と共に貨幣も統一化されます。方孔円銭と呼ばれる、円形で中心に正方形の穴が穿たれたもの。四角なのは、成形するときに棒を差し込んでまとめてヤスリがけするのに便利だったからとする説があります。あの穴には、バームクーヘンの穴と同じような機能があったのですね。

 楚が独特なのは銅貝だけではなく、金貨や布銭型の銀貨の流通も同じです。

 銀は銅の副産物として得られます。銅の融点1084.5℃に対し、銀は961.9℃です。「 銅鉱石には銀も含まれていることが多いため、銅生産に伴ってそれより融点の低い銀が特に副産物として多く生産されることにもなった」(『貨幣の中国古代史 (朝日選書)』)

 金が珍重されたのは何も楚に限った話ではありませんから、楚の金貨は秦や斉でも流通していました。

 後進国であった秦では布も貨幣として使われていました。秦から貨幣としての布が消えていくのは、楚を飲み込んでからのことです。やがて中国の貨幣の歴史において時代を画することになる、「半両」の銘のある半両銭が前308年の年号が刻まれた木簡の収められた墓から発見されています。恐らく前336年ないし前335年のものとのことで、これ以降は規格化された銅銭が使われるようになっていきます。

 春秋時代の変化について纏めますと、鉄利用と活発な経済は人口増をもたらし、人口増が戦争多発と戦争の姿を大きく変えました。周囲を開墾し尽してしまえば、人口を支えるために新たな土地を求めていかなければなりませんから、戦士となった人々にもそれなりにメリットがあったはずです。同時に、余剰人員は孔子一派のような学問集団をも生み出します。

 小国は滅ぼされて少数の大国が台頭し、大国の勢力内からは夷狄と呼ばれた異民族が徐々に漢民族に同化されていくことで姿を消していきました。そして、国の中では内部では一体感が醸成されていきます。『貨幣の中国古代史』が魯について書いている文章をみてみましょう。

貨幣の中国古代史 (朝日選書)
貨幣の中国古代史 (朝日選書)


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2018年05月03日

春秋戦国 春秋戦国という時代7 富国強兵の手段としての中央集権化は死生観にも影響を与え、死後の世界も官僚制となる

当初は貴族だけが「魯人」などと意識された段階から、国内部の周辺貴族と殷系庶民の一体化、国と野の人々の一体化が進み、春秋時代後期にはその領域内の人はすべて同じ魯の民であると自己認識するまでになった。


 どのような人間集団が生き残りやすいかをシミュレートすると、仲間には親切で仲間以外には排外的となるそうで、その仲間の範囲を国に広げれば排外的国家主義が出来上がるわけです。となれば、更に熾烈な戦争が繰り広げられるようになっても不思議はありません。

 戦国時代以降、強国は中央集権を強めて行きます。面白いのは、現実社会の官僚化が、死後の世界についての観念にも大きな影響を与えたことです。

 すなわち、西周時代は死ねば天に昇ると考えられていたものが、死後の世界も官僚制度を持つようになっていくのです。『地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国』に、甘粛省天水放馬灘から出土した前3世紀の『志怪故事』に収められた物語が紹介されているので、引用します。

丹と呼ばれる者が傷害事件を起こして自殺した後、蘇生するという話が語られている。彼が蘇ることができたのは、彼の主人である将軍が司命神(寿命を司る神)に掛け合って、まだ死ぬ寿命になっていないと主張したからであった。そこで司命神は「司命吏」という職名を持つ属官に命じて丹を掘り出して蘇生させるのだが、そこから地上の官僚機構は冥界の官僚機構とコンタクトをとることが可能であり、後者は上司―部下から構成されているというイメージを読み取ることができる。


 戦国末期には法家、名家、道家といった勢力の影響を受け、徐々に完成されていきます。

 死後の世界への官僚制のイメージは強く残っていることを明確に示す 告知策と呼ばれる文書も出土しています。地上の官僚が冥界の官僚へ、これこれこうした者がそちらに行くので宜しく計らいください、とまるで人事異動でもあるように伝える文書です。

地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国 (東方選書)
地下からの贈り物―新出土資料が語るいにしえの中国 (東方選書)


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2018年05月04日

春秋戦国 斉の政変 田氏が徐々に権力を握り、遂には斉を乗っ取る

中国の怪談だと、祟りを為す存在をまず明らかにし、その上位職者に祟りをやめさせるよう働きかけるという形態になります。日本風に言えば、係長クラスの祟り神相手にいきなり役員クラスの神を持ち出しても駄目で、課長クラスの神に働きかける、というわけです。

 封神演義のような物語で、急々如律令などとあるのは、急々は読んで字の如し、如律令は「律令の如くせよ」ということで、大至急律令の通りに行動しなさいという呪文なわけです。勿論、律令は漢代に作られたものなので、それ以前の時代を描いた物語に使われるのは少々時代考証を誤っているわけですが、それは措いておくこととしましょう。

 イマイチ怖くない気がするのだけど、どうでしょうか。


 こうして春秋時代から戦国時代へと時代が移り変わりつつあったのです。では、何が両時代を画する契機となったのでしょうか。しばしば言われるのは、下剋上です。

 まず晏嬰が斉で活躍していた時代に時計の針を戻しましょう。この頃、大国となった斉の王室に、暗い影がさしていました。亡命してきた諸侯、田氏の力が伸長していたのです。

 有力者の田乞は、自領の民から徴税する時には小さな枡を、貸出する時には大きな枡を使うことで民衆から絶大な支持を集めます。晏嬰は「このままでは斉は田氏に帰するだろう」と述べ、田一族への警戒を解きませんでした。名将田穰苴を推した際にもそれは変わりませんでした。

 その警戒感は他の有力者も共有するもので、司馬穰苴は讒言を受けて罷免され、憂悶の内に死去しました。

 田乞もまた晏嬰に警戒され、前500年に彼が死ぬまで大夫になることができませんでした。晏嬰死後は、やはり田氏を警戒する高氏や国氏と親しく付き合い、裏では彼らを追い落とすための策略をめぐらしました。

 前490年、景公が死んで公子茶(と)が斉の公となります。翌前489年、田乞はクーデターを起こして高氏と国氏を逐い、権力を掌握します。田乞は同年中には茶を退位させ、更に殺害してしまいます。こうしたこともあり、茶は◯公という呼び方をされず、晏孺子と呼ばれます。

 茶を弑した田乞は、茶の異母兄の陽生を斉公に据えて悼公とし、自らは宰相となって実権を握りました。以後、田一族は権力を握り続け、前386年には田和が康公を廃位させ、斉公を自称します。田氏の簒奪以後の斉を田斉と呼び、姫姓の斉と区分することがあります。


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2018年05月05日

春秋戦国 晋の崩壊1 6貴族(6卿)が権力を握り、そのうち趙氏の内紛から智氏、韓氏、魏氏、趙氏が残る

 晋は公室が衰えます。既に紹介した通り、晋は驪姫のあたりのゴタゴタで、公子を外国に出すようになっていました。これは公室の藩屏ともなるべき層の喪失を意味しました。曹操の魏が兄弟間の跡目争いから親族の力を削いだ結果、内側から食い荒らされて乗っ取られたのと同じようなことが晋で起こっていたのですね。

 魏では司馬氏が力を握ったのと同じように、晋では智、魏、韓、趙、中行、范の6卿が権力を握りました。傾公の12年、6卿は公と仲の悪かった公子ら王室の有力者を殺害し、領土を分け合いました。

 前497年、趙家で内紛が起こります。超一族を束ねる趙鞅(趙簡子)が、勝手な振る舞いの目立つ傍系の趙午を殺害したことに端を発するもので、趙午の子の趙稷が邯鄲に拠って趙鞅に反旗を翻したのです。これに范氏と中行氏が加担、趙鞅は晋陽に立て籠もります。

 智氏、韓氏、魏氏は趙鞅に付き、彼らは更に晋公の定公をも動かして范氏、中行氏に対抗します。范氏、中行氏は敗れて朝歌に篭ります。こうして晋は4卿が支配することになりますが、范氏、中行氏は斉や鄭を味方につけて4卿に対抗します。最終的には前490年に范氏、中行氏が敗れて斉に亡命したことで一連の騒乱は終わりました。

 范氏と中行氏の領土は4卿が分け合いましたが、中でも最有力となったのは、中行氏の傍系という出自である智氏でした。

 智伯瑶見た目に優れ、武芸も達者で、芸術を好み、弁舌に巧みで剛毅かつ果断という優れた特質を持ちながら、甚だしく不仁であるという欠点を持つため一族の有力者からは後継者に選ばないよう進言されたこともあります。結果的にはこの言葉通りに彼は破滅を迎えることになります。健全な魂は健全な肉体に宿ることが願われるという1世紀に生きたローマ人ユウェナリスの嘆きが聞こえてきそうです。

 さて、智氏のリーダーが代替わりして智伯瑶が立った頃には智氏が完全に権力を握っていました。出公はその専横を憎んで4卿を攻撃しますが、逆に敗北して殺されます。智伯瑶によって哀公が擁立されました。


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