2017年10月01日

ローマ3 ディオクレティアヌス2 長く続いた軍人皇帝時代に幕を下ろしたディオクレティアヌス

 軍が思うがままにトップを決め、都合が悪くなればその首をすげ替え続けたことが混乱に拍車をかけました。

 なぜ、5賢帝のあの安定した時代から、一気に凋落してしまったのでしょうか。その理由について、アイザック・アシモフは『シミュレーション 西暦3000年の人類―輝かしき宇宙コンピュータ文明への最終選択 - 』において「帝政ローマが皇帝の後継者を選出する方法も、不合理な政治を行う皇帝に歯止めをかける方法も提供しなかったからである」と喝破しています。その通りでしょう。広大な帝国を治めるのに任期1年の執政官では明らかに不足でしたが、無能あるいは有害な君主を戴いてしまえば帝国はたちまち危機に瀕するのです。だからこそ、まともな者を選ぶ仕組みが必要でした。まともではない者が合法的に排除、あるいは一定期間の後に帝位から退く仕組みが必要でした。まともではない皇帝を暗殺するしか無いという悪夢のシステムが軍人皇帝時代を産んだのです。

 皇帝の権威は地に落ちました。どれほど高位を保とうと、最大の権力者である軍に愛想を尽かされればたちどころに殺されてしまうのです。兵士たちの歓心を買うために、皇帝たちは高給を弾まなければなりませんでした。必然的に財政は悪化、通貨は貴金属の含有量が落とされます。特に銀貨は大暴落しました。

ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国 - 』にあるインフレを示した表をアレンジして記しておきましょう。


年代皇帝デナリウス銀貨重量デナリウス銀貨銀含有量アントニヌス銀貨重量アントニヌス銀貨銀含有量
前23年〜64年アウグストゥス〜クラウディウス3.8〜3.9g100%
64年〜180年ネロ〜マルクス・アウレリウス3.2〜3.8g92%
180年〜211年コンモドゥス〜セウェルス3.2〜3.8g70%
214年〜253年カラカラ〜ウァレリアヌス3.0〜3.2g50%5.550%
260年〜268年ウァレリアヌス捕囚〜ガリエヌス3.0〜3.2g5%


 粗悪な通貨が造られたことは猛烈なインフレを招来します。税金を集めても、従来の価値などとても持ちませんから、物納を求めるようになります。そして、物納にせよ、徴税の重要性は増しましたから、州長官を監督下に置く親衛隊長には税徴収も重要な仕事となっていきました。

シミュレーション 西暦3000年の人類―輝かしき宇宙コンピュータ文明への最終選択 -
シミュレーション 西暦3000年の人類―輝かしき宇宙コンピュータ文明への最終選択 -

ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国 -
ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国 -


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

ローマ3 ディオクレティアヌス3 巨大過ぎる帝国を1人で統治することは不可能 テトラルキアの導入

 防衛ラインの内側にアラマンニ族が定着したことに見られる通り、対外的には防衛力の低下が顕著でした。異民族が帝国内に侵入するようになったのは、異民族が強くなったからかもしれませんが、ローマが弱くなったことが間違いない要因としてあります。

 戦乱とインフレは一般市民にとってダブルパンチとなりました。国が安定しているということがどれほど重要か、分かろうというものです。

 その安定を取り戻したのが、ディオクレティアヌスです。キリスト教を弾圧したことから、後世の評判は芳しくないかも知れません。しかし、私はディオクレティアヌスをスッラと並ぶ理想主義者であると見ます。そして、為政者として極めて有能な人物だったように思います。

 ディオクレティアヌスは、広大な帝国を1人では治めることが困難であることを理解していました。そのため、即位した284年の秋には旧知のマクシミアヌスを副帝(カエサル)に任じて西方を任せています。ディオクレティアヌスには実子が居なかったので、血縁関係のない中で親しいマクシミアヌスを選んだのです。286年には副帝から正帝(アウグストゥス)に昇格させています。

 マクシミアヌスもまた、シルミウムの貧しい農民の家に生まれ、軍に入った人物です。「文字を知らず、法を意に介さず、その風貌と生活習慣の田舎臭さは、至高の地位についた後にもなお出自の卑しさを顕していた」そうです。ただ、彼は自他共に認める有能な指揮官でした。

 2人の皇帝を区別するため、ディオクレティアヌスはユピテル、マクシミアヌスにはヘラクレスの名を冠します。ヘラクレスは半神半人ですから、この呼称で差をつけたわけです。

 両皇帝は7年間かけて帝国中を奔走し、ペルシアの戦後処理を初め、ガリア、北アフリカ、ドナウ川、ライン川から異民族を追い払い、国内の騒擾を片付けます。

 一段落ついた293年、史上に名高いテトラルキアが導入されます。テトラが4を意味することから分かる通り、帝国の統治をたった1人に委ねるのではなく、正帝2人、副帝2名の4名体制とし、パワーバランスをとることで後継者選定の不透明なあり方に端を発する不安定さを取り除こうとしたのです。例え軍が1人の正帝または副帝を廃しても、残る3人が混乱を収められるわけですね。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローマ3 ディオクレティアヌス4 カラカラの市民権付与により軍の成り手が不足、軍政改革が求められる

 また、副帝は将来の正帝ですから、正帝の後継者が不安定という問題は解決します。あとは、正帝が副帝を決めれば良いわけです。副帝はその立場にあるうちに有能さを認められなければ皇帝になれないとすることで、有能な人物が途切れなく皇帝になれるようにしたのです。

 帝国を1つの政体にまとめつつ、広大な国土を防衛するために責任者を決め、それが同時に後継者不安を解消するというのですから、当時のローマで思いつくであろう統治システムとしては最高だと思います。人の欲の深さに思いを馳せないのであれば。

 実際、軍人皇帝時代、混乱が続いて国力が低下し、更には国が分裂までしたことから3世紀の危機と呼ばれる時代、各地で異民族の侵入が起こっていますが、ディオクレティアヌスの代で国境を安定させてからはローマが領内深く侵入を許すようなことはなくなっています。

 一方、防衛の責任を負う地域を明確にしたことは、各地域で必要とする軍が肥大化することにも繋がります。従来なら兵士が帝国を駆け巡ったために、比較的少数で済んでいたのですが、それができなくなったわけですから。もっとも、過去に見た通り、ただでさえ全軍合計して30数万の正規兵では帝国全土を守るには少なすぎました。そこで、軍の改革が実施されます。

 軍団の定数を削減した代わりに、軍団数を倍増させます。その頃の軍団は、『古代末期: ローマ世界の変容』によれば以下のような有様でした。

理論上の定員は六〇〇〇人だったが、帝政前期にも員数が五〇〇〇人に達する軍団は稀だった。この改革の頃には、軍団には二〇〇〇人ほどしかいなかったと考えて良いだろう。


 軍は命を賭けてでも出世したい者にとっては理想の職場だったかも知れません。しかし、そうではない圧倒的大多数の者にとって、軍は望ましい職場からは程遠いものでした。

 人々は軍務を嫌い、あらゆる手段を講じて逃れようとしました。エジプトでは砂漠に逃亡する者がいましたし、親指を切断する者も現れました。

古代末期: ローマ世界の変容 (文庫クセジュ 981) -
古代末期: ローマ世界の変容 (文庫クセジュ 981) -


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

ローマ3 ディオクレティアヌス5 軍政改革だけではなく、検地により住民は税金から逃れられなくなる

 カラカラが帝国内の全自遊人に市民権を与えてしまったため、辛い軍役を耐え忍んで市民権を得るというモチベーションが失われてしまったからです。兵士の成り手不足は異民族を軍に取り込むことにつながります。彼らは傭兵だったため、軍事的な問題は、なによりもまず財政的な、すなわち税制上の問題だったのである(前掲書)、ということになります。

 先に紹介した通り、ローマの国力が下がった時代に通貨は改鋳されて金や銀の含有率は下がっていました。それは即ちインフレだったことを意味します。301年には平価切下げと最高価格令が出されていますが、こちらは失敗に終わります。悪貨は良貨を駆逐するの言葉通りでした。インフレは進行し続け、その解決はコンスタンティヌスを待たなければなりません。

 ディオクレティアヌスは属州を100程度に細分化し、属州総督の力を削減して課税のために官僚制を整備します。広く浅く税を集めようとすれば、徴税のために多数の官吏を必要とするようになります。皇帝が官僚に支えられるという体制を見るのであれば、始皇帝に遅れること500年程度ということになります。

 任命された官吏たちは検地を行い農地にも労働力にも税金をかけます。この制度は人頭税(ユガティオ)、土地税(カピタティオ)の名前からカピタティオ・ユガティオ制と呼ばれます。一方、「税を払う者より税を集める者が多くなった」と同時代人から評価された通り、政府が巨大化してその分まで税が重くなりました。

 後にコンスタンティウス1世の時代には、商人のように土地を持たず物流で儲けを得る者には取引税が課せられることになります。

 ベンジャミン・フランクリンが、「この世で確かなものは死と税金だけだ」との名言を残しています。この嫌な2つのものからは逃れられないという意味です。私たちが税金を払うのを嫌うように、当時のローマでも重税を嫌って流民化した農民が都市に流れ込むという現象が起こりました。

 そこで、ディオクレティアヌスは世襲制を導入し、農民の絶対数が減らないように手を打ちます。それだけを見るなら妙手かもしれませんが、これは社会から流動性を奪うことになりました。また、軍人も世襲制になったため、事実上志願制から徴兵制に変わったのです。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

ローマ3 ディオクレティアヌス6 テトラルキアの4人の皇帝の序列と防衛担当地域

 財政的な苦しさはあっても、防衛はきちんと行わなければ社会の安寧が脅かされます。そこで、辺境の軍を約2倍の60万に増員することで防衛上の問題は解決されました。

 さて、テトラルキア制定の際の正帝・副帝はこうなります。

   正帝 副帝
西方 ディオクレティアヌス  ガレリウス
東方 マクシミアヌス     コンスタンティウス

 全員が30〜40代の働き盛りの男たちでした。

 ディオクレティアヌスの娘ウァレリアがガレリウスに、マクシミアヌスの義理の娘テオドラがコンスタンティウスに嫁ぐことで、それぞれの正帝と副帝は婚姻関係で結ばれていました。正帝が副帝を後継者に据えようとしていることが明らかな人事です。

 彼らはそれぞれ防衛に責任を持つ地域を与えられます。そして、防衛戦の指揮を取りやすいよう、担当地域の都市に常駐するようになります。即ち、東方正帝ディオクレティアヌスは小アジアのニコメディアに、東方副帝ガレリウスはパンノニアのシルミウムに、製法正帝マクシミアヌスは北イタリアのミラノに、西方副帝コンスタンティウスはガリアのトリアーに滞在するようになりました。

 一方で元老院はローマに残ったままでしたから、必然的に元老院の権威が低下することに繋がります。従来は、元老院こそが指導者に相応しい人々の集まるところでした。社会的地位の高い家に生まれてしっかり教育を受け、軍の生活で鍛え上げられ、言論を磨きました。出世するためにはそれなりの地位をこなさなければならず、その中で経験を積んで力をつけていきました。優れた人材がプールされていた元老院は、軍から切り離され、また最高権力者とも距離的に隔絶することで、完全に力を失うことになります。

 これに関してはディオクレティアヌスの施策はローマを弱める方向に働いたように思います。

 さて、テトラルキアの4人の権力者らは防衛の責任者であり、帝国全体の運営についてはディオクレティアヌスが力を握り、彼が決めたことを他の者が追認する形でした。

 序列としては、ディオクレティアヌス>マクシミアヌス>ガレリウス=コンスタンティウスとなります。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村