2017年07月01日

キリスト教の成立 ローマの影響9 ユダヤ戦争後に終末論は消え、イエスの時代遅れとなった思想は福音書で改変される

目の前にあったローマ帝国のイデオロギー的な普遍主義的構造に着目して、それを神の普遍的な態度を背景とするキリスト教の立場に組み入れたというのが、この一世紀末のキリスト教の思索家の作業だったと考えられる


 初期のキリスト教がローマの影響を受けてその姿を大きく変えていったことが余すところなく書かれていますね。もうちょっと分かり易い文章を書けないものかとも思いますけど。

 ヨハネによる福音書は更に20年程後の100〜120年頃に書かれました。ルカの時代よりも更に時を経てイエスの権威が高まった結果、ヨハネによる福音書に至ってはイエスが神格化されるところまで行きつきます。人々はイエスを介在して神とつながることができるようになるのです。

 ここで見た通り、福音書は全て、66年の蜂起以降に書かれたものです。蜂起の失敗と大虐殺に続く悲惨な境遇(奴隷化)は、メシア待望のナショナリズムからイエスの信徒を遠ざけ、それに伴ってイエス自身の姿もまたナショナリストの革命家から平和な宗教家へと変わります。また、戦争前にユダヤ人たちに広く共有化されていた終末論は失墜していましたから、福音書の語るイエスは終末論から遠い存在となりました。このイエス像の変化が無ければローマではとても受け入れられず、当然後に国教化されることもなく、世界宗教になることも無かったでしょう。

 では、最もイエスの教えを色濃く残している資料はあるのでしょうか?ナグ・ハマディ写本は東方からのグノーシス主義の影響が大きくはありますが、イエスの言葉からなるトマスによる福音書がその1つかも知れません。また、1873年に発見された『ディダケー(ギリシア語で教訓の意味)』もそうかもしれません。

 『ディダケー』は最初の一文「12使徒を通して諸国民に与えられた主の教訓」から『12使徒の教訓』と呼ばれることもあります。4福音書には書かれていませんが、有名なイエスの言葉「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」が含まれています。私が名句だと思うのは、もらうためには手を伸ばすが、与えるためには手をひっこめる人になってはならない。(四章五節)です。もしこの言葉を本当にイエスが言ったのなら、イエスは学はなくとも優れた知性の持ち主だったと思います。



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2017年07月02日

キリスト教の成立 ローマの影響10 公会議で聖典が決められ、他の文書は異端として排斥される

 なお、『ディダケー』によれば、聖餐とはパンとワインの食事を指す言葉ではありますが、イエスの肉と血としてではなくイエスへの感謝を込めて摂る簡素な食事として描かれます。また、イエスの神性も復活も書かれていません。

 イエスの復活は歴史的事実ではないことがこうしたことからも分かりますし、イエスが自分を神の子だと言っていたとしても神に等しいというやや畏れ多い主張もしていなかったことが見て取れます。

 尚、かつては現在聖書に収められている以外にも多くの福音書がありました。1545年のトレント公会議で聖書と聖典の範囲が定められ、以後は追加や削除が許されなくなりました。公会議というものが、そもそも正統を決めるための会議です。その先鞭となったのはニカイア公会議で、以後、人の多様性といい加減さとを反映して次々と現れる異説はバサバサと切り捨てられていきます。正統と認められなかった説は中立な説ではなく、異端としてむしろ弾圧の対象となり、公会議のたびに意見を異にする者たちの残した資料は次々と焼き捨てられていきます。もっとも、正統とされる教えもイエスの言葉を適当に改変していましたから、本当にイエスにまで遡る教えが何なのかは、それこそ神のみぞ知ることでしょう。

 真実はいつも1つ!と威勢よく唱える人も居るかもしれませんが、実際には真実など人間の数だけ存在します。よく言われるのが、水が半分注がれたグラスを見て、「水が半分しかない」という人と「水が半分もある」という人、あるいは、靴を売りに辺境に行ったセールスマンが誰も靴を履いていないのを見て、「誰も靴を履いていないのだから売れるわけがない」と思うか「誰も靴を履いていないのだからみんなに靴を売りつけることができる」と思うか、どれも真実です。

 宗教も例に漏れません。とにかく悟りを開くために無駄なことをするなと教えたブッダの流派を汲むと主張する者が、「なんか夢でお釈迦様が結婚していいって言ってたよ。だから結婚しちゃうよ。肉も食べて良いって言ってたから好きなもの食べちゃうし酒も飲んじゃうよ」みたいなことを言って、それでもまだブッダの教えから外れていないと主張できてしまうのが人間なのです。南無阿弥陀仏と唱えれば救われるなんて、ブッダの教えの対極みたない感じですが、それでも仏教を自称できるのです。



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2017年07月03日

キリスト教の成立 ローマの影響11 福音書が4つなのは風が吹くのは東西南北の4方向からだそうです。な、なんだってーーー!

 キリスト教も同じように、様々な宗派が生まれては勢力を伸ばしていきます。初期のキリスト教団でも、様々な立場を取る人々がいました。雑多となった教えを神学的に統一しようとしたのがエイレナイオスで、ニカイア公会議での結論は彼の理論が基礎となっています。

 福音書が4つであると定めたのもエイレナイオスです。風が吹く方向は東西南北の4つあるから福音書も4つなのだと正気を疑うような強引な理屈により、それ以外は聖典から外されました。彼によれば、この4つの福音書だけがイエスの直弟子によって書かれたものであり、それ故に権威を持つとされています。残念なことにその証拠は全く存在せず、今ではいずれもイエスの直弟子によって書かれたわけではないと考えられています。

 エイレナイオスはそれでも彼の信じる大義に従い、彼が異端と考える宗派を激しく攻撃しました。その1つがグノーシス主義であり、そこに含まれる『ユダの福音書』です。

 何を正当として何を異端とするかは、もうイエスの意見とは無関係になり、その時の教団の指導者たちの決めることになるのは極めて自然なことです。ですから、パウロが主を唱える者は救われると説いたことは教会の取り入れるものとなりますが、先に書いた通りイエスは私に向かって「主よ」と言うものが必ずしも救われるわけでは無いと言った事実と明らかに矛盾するわけです。それでも教会は、イエスを無視してパウロを選びながら、イエスの教えを広めると主張できるのです。

 主とイエスの関係についてはそれこそうんざりするような長い長い長い長い長い長い長い長い論争の歴史があるのですが、私はあまり興味がありません。なぜなら、それは事実を扱うものではないからです。

 もう適当に考えておけば、少なくとも過去の誰かの意見とは一致すると思うので、好きな風に思いましょう。イエスは宇宙人だ、というどうかしている説でさえ唱える人が居るくらいですから、もうとんでもなく突飛というか常軌を逸した意見であってもオリジナルは考えにくいですよ。


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2017年07月04日

キリスト教の成立 ローマの影響12 ローマの大多数にとってはまだキリスト教は迷信的な集団に過ぎなかった

 さて、このように書いていると、イエス教団の異端児パウロの教えがローマに入ってキリスト教となり、信者を増やしていったように感じられますが、そうはいきませんでした。

 2世紀はまだキリスト教(そろそろこの呼び方をしても問題が無いでしょう)信者にとってまだまだ受難の時期でした。この頃、キリスト教を信じていない者によってイエスについて書かれる文献が出てきます。

 嚆矢となったのは、ユダヤ戦争についての記録を『ユダヤ古代史』に残したヨセフスで、イエスを義人ヤコブの兄弟として紹介しています。続いてこのブログで既に何度か名前の出てきたタキトゥスが『同時代史 (ちくま学芸文庫) - てイエスの名前を出しています。「迷信的な教団」キリスト教の教祖として。彼の友人で執政官にまで上り詰めた小プリニウスも、総督時代にキリスト教について書いているのですが、イエスには触れていません。小プリニウスもまた、キリスト教を怪しげなカルトとして扱っています。

 ローマの人々の大勢は、キリスト教を怪しげなものと考えていたとして間違いはないでしょう。正確に言うと、ローマではまだまだキリスト教はユダヤ教の中の一派としか扱われていませんでした。そして、一神教を奉じてローマの神々を信じようとしない彼らは無神論者として警戒される(なぜ?)有様でした。

 5賢帝として知られるトラヤヌスやハドリアヌスも意外なことにユダヤ教を弾圧しています。

 106年、トラヤヌスはイエス教団を引き継いでいたイエスの一族シメオンを処刑しています。『失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読 - がローマにとって政治的な脅威であったからと解説しています。しかし、私にはイエスが死んで70年以上経ってから、主流派から転落したエルサレムグループを脅威とは考えにくいように思います。キリスト教徒がただ信仰のみを理由に処刑されたのは、ローマの寛容策を踏みにじったからで、同時に小プリニウスの手紙から透けて見える概念で言うところの愚かな妄想に過ぎないキリスト教を広める恐れを摘めるからです。イエスの一族権力を握っていたわけではなく、信仰の核となることを恐れたのではないかと思います。

同時代史 (ちくま学芸文庫) -
同時代史 (ちくま学芸文庫) -

失われた福音 −『ダ・ヴィンチ・コード』を裏付ける衝撃の暗号解読 -
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2017年07月05日

キリスト教の成立 ローマの影響13 第2次ユダヤ戦争でユダヤの蜂起は叩き潰され、迫害は苛烈さを増す

 132年、ユダヤ人たちは再びローマに対して蜂起します。当初こそローマ軍を駆逐することに成功したのですが、ローマが反乱鎮圧に本腰入れ、ハドリアヌスのがブリタニア知事ユリウス・セウェルスを司令官とする部隊を派遣するとこれに対抗することはできませんでした。135年、反乱は鎮圧され、ローマの植民市となります。ユダヤ人の立ち入りは禁じられ、エルサレムの名も奪われてアエリア・カピトリーナと名付けられました。エルサレムの名が復活するのはキリスト教の国教化を待たなければなりません。

 エルサレムの名前は元に戻ってもユダヤ人の政治的独立は失われたままで、二次大戦後まで独立が回復されることはありませんでした。

 キリスト教への弾圧は苛烈さを増します。小プリニウスがキリスト教徒について書いていることを紹介しましたね。彼は総督として赴任した地域において、キリスト教徒の扱いをどうするべきか皇帝に尋ねる書簡を送っています。そこでは取り調べに対して間違いなくキリスト教徒であると告白する者が処刑されていく姿が描かれています。

 裁判の場で踏み絵を迫られ、シンボルを否定するより死を選ぶ様はローマの支配層には異様に映りました。そしてまた、教会側も殉教を煽りました。後の歴史から判断するに、弾圧する側よりも弾圧される側の論理が勝ったようです。即ち、殉教者は人々をキリスト教から遠ざけるのではなく、命を賭すに足るものだと信じさせる原動力になったようなのです。

 『ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端 - 』から流れを見てみましょう。

 教会は組織化されるとすぐに位階を必要とするようになります。最初の権威とされたのはイエスの直弟子である12使徒です。勿論、裏切り者のユダは除名されて、代わりに他の者が加えられましたが、12人という人数は保たれました。

 1世紀末のローマ司教クレメンスは神のみが万物を支配していて、その神は地上の支配者・指導者に統治権を委ねたと主張します。クレメンスの主張する支配者とは一体誰のことでしょうか?なんと、司教と司祭と助祭のことです。司教と言われる者がそういうのだから勝手なものです。しかも、支配者の権威に服さない者は死の罰を受けるというのだから恐ろしい話です。どこに愛があるのかと問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。

ナグ・ハマディ写本―初期キリスト教の正統と異端 -
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