2017年05月01日

キリスト教の成立 ヘロデ・アンティパスの迫害を恐れたイエスはガリラヤの北へ退き、弟子を布教に派遣する

 イエスは事態の急変を受け、ガリラヤ湖北岸の町ベトサイダに退きました。ここは使徒のペトロ、アンデレ、フィリポの育った町で、ヘロデ・アンティパスの領土外ですから暴君の魔の手は届きません。

 しかし、イエスの教えは既に広まっていたため、密かに隠れることはできませんでした。刺客を恐れたイエスたち一行は更に50kmほど北のフィリポ・カイサリアへ避難します。弟子たちに「私に従う者は十字架を背負っていかなければならない」と警告したのはこの頃のことです。

 スパルタカスの乱でも既に書いた通り、十字架刑は反逆者にしか適用されない処刑方法でした。死後数十年を経て書かれたこの言葉をもしイエスが本当に語っていたと信じるならば、この頃から、イエスは自分を待ち受ける運命について考えるようになっていたと言えるかもしれません。

 マルコによる福音書によれば、続けてこの後にイエスを待ち受けるエルサレム行きと死刑執行、更に死の3日後の復活という運命について弟子に告げたと書かれています。勿論、これは歴史的事実ではなく、教義が固まった後になってから、教義に合致するストーリーをイエスに語らせたものに他ならないでしょう。

 最期の言葉から判断するに、私はイエスは死を覚悟しては居なかったと思います。死ぬような目には遭うかも知れませんが、死からは救われると確信していたのではないでしょうか。勿論、これはイエスにインタビューするわけにはいかないので、死を覚悟していたと信じたい方は信じるのが良いと思います。

 一定の時間が過ぎて危機が遠のいたと判断したイエスたち一行はカファルナウムに戻ります。そして、選抜された72人の弟子が2人1組となり、教えを広めに各地に散りました。今回の布教もまた、成功裏に終わります。

 ヘロデ・アンティパスはいよいよイエスに危惧の念を募らせ、イエスを捕らえようと図ります。この情報はファリサイ派を通じてイエスの耳に入りました。イエスの身は安全ではありませんでした。


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2017年05月02日

キリスト教の成立 エルサレム行き1 石打で殺されることを予言しながらも、律法に従いエルサレムに向かうイエス

 30年3月、イエスはエルサレムに向かいます。この時、イエスは既に自分が悲惨な最後を遂げるであろうことを予期していたようです。エルサレムについて、預言者を石をもって殺す都市だと呪っていますから。イエスは自分が石打に遭って殺されることを予期していたようなのです。この言葉がイエスの発したものと思われるのは、その予言が外れているからです。話を創造するなら、死に方の異なる石打をイエスが予言したとはなりませんから。

 死を予感しながらも、イエスは律法に従って過ぎ越しの祭を祝うためにエルサレムに向かったのです。

 4月1週の過ぎ越しの祭のため、多くの者がエルサレムに向かっていました。もっと後のことにはなるのですが、ティトゥスと交友を持った歴史家ヨセフスは、60年代のエルサレムについて、過越の祭で225,600匹のヒツジが売られたと数値を挙げて巡礼者数を250万人と見積もっています。ユダヤ人の人数が100〜300万人と見積もられている中でこの数字は明らかに過大ですが、通常時から見れば信じられないほど大勢の人が集まったのは事実でしょう。数十万人というなら妥当な数字かもしれません。ヒツジ商人は大儲けだったことでしょう。

 途中のエリコで「ダビデの子イエス」と呼びかけて救いを求めた盲人の目を癒す奇跡を起こします。もっとも、王に触れられれば奇跡で癒されるという信仰はペルシアから存在しました。もう少々時代は下りますが、ウェスパシアヌスが全く同じ奇跡を見せたことは既に触れた通りです。中東ではパターン化された奇跡譚と言えましょう。

 他の奇跡にしても、先行する存在が見つかることに気が付きます。例えばエンペドクレスは癒し、死者を蘇らせる、嵐を呼び、未来を予言したそうです。イエスもラザロという、死後4日たって埋葬もされた人物を蘇えらせていましたね。もっとも、ラザロの復活という最も驚嘆すべき奇跡は4つの福音書のうちヨハネによる福音書にしか書かれていないという、どう考えても不思議なことが起こっています。私が弟子ならこれこそ書き残しますけどね。


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2017年05月03日

キリスト教の成立 エルサレム行き2 イエスが死者を復活させた奇跡は同時代に記録無し 神殿での狼藉の背景

 マタイによる福音書では多くの死者が蘇ったとありますが、ユダヤ側もローマ側もこの目覚ましい奇跡については何一つ書き残していません。事実であるとすれば不思議なことです。多くの人の前で発生した前例のない奇跡を、特定の人物以外は誰1人として記録していないということは、歴史的な事実ではないということです。例えば、麻原彰晃の奇跡とやらはオウム真理教の信者しか記録していませんでしたから、信用に値するとは見なされません。同じように、イエスと麻原がどれほど人格的に遠く隔たっていたとしても、証拠の強力さという点では同じ扱いを受けなければならないのです。

 おまけに、イエスの場合には同時代の記録で奇跡が起こったとしているものは何一つとして存在しません。現存する最古の記録であるマタイによる福音書が書かれたのはイエス死後30年以上経ってからのことです。

 重要なのは、ここでイエスがダビデの子孫、つまりはユダヤの王を狙っていると受け取られておかしくない言葉を受け入れていることです。ローマにとって反逆罪を構成する要件が揃ったことになったのですから、これは相当に危険な賭けです。

 ユダヤの王はロバに乗ってエルサレムに現れるという、伝説の預言者ゼカリヤの預言に合致するよう、イエスはロバに跨ってエルサレム入りを果たします。翌日、神殿に向かったイエスは両替商や商人の机を倒して回ります。民衆はイエスの行動に喝采を送りました。

 イエスが狙っていたのは何でしょうか?実は、ゼカリヤ書の預言に終わりの日、神殿に商人は居なくなると預言されています。終末論者イエスは目前に迫った終末を前に、預言を現実化しようとしたのです。

 なぜイエスはこのような行動を起こしたのでしょうか。

 神殿は信者へ奉納を義務付けていました。その税金ならぬ貢納金はシュケル銀貨で払うことが決められていました。ユダヤのオリジナル通貨だからではありません。外国の通貨ではありますが、銀含有率が高いため、利に聡い神殿の支配者たちは他のどの通貨でもなくシュケル銀貨を選んだのです。

 各地からやってきた人々は、両替商にシュケル銀貨と交換してもらい、そのカネで犠牲となる生き物を贖ったのです。需要と供給の関係からして、両替商が大儲けしていたことは論を待ちません。自分で連れてきても、傷があっては神への捧げ物として認められませんから、司祭たちは持参した動物を細かく見分し、傷を見つけては指定のところから購入させました。こうして選ばれし動物は殺され、神に捧げるために焼き尽くされるだけなのですから、凄まじい話です。


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2017年05月04日

キリスト教の成立 エルサレム行き3 カエサルの物はカエサルに イエスの賢明な答え

 イエスはこうした両替商たちの机をひっくり返して回ったのです。

 特に貧富の差が拡大していた当時にあって、貧しい人々は社会矛盾を肌で感じ、貧困からの脱出を強く願っていたことでしょう。だからこそ、イエスの行動は喝采で迎えられたのです。

 イエスの説く終末論はこうした無学の貧しい人々に訴えるものがあったのです。何時の世も、こうした運動は富める側からではなく貧しい側から生まれるものですから。

 また、同様にイエスの敵意はローマにも向かいます。イエスは決して新たな宗教を創ろうとしていたわけではなく、ユダヤ教の枠内で改革を進めようとしていました。情熱的なユダヤ教徒にとって、仰ぐべき唯一の存在は神です。その神を認めず多神教を奉じ、あまつさえ皇帝を神として崇拝しろと命じるローマは、悪しき存在だったのです。

 それでもイエスは真っ向からローマと敵対することは巧妙に避けています。それをよく示すのが、翌4月2日に神殿で行われたイエスと他の祭司たちとの議論でしょう。祭司たちはイエスに対し、ローマ皇帝に税金を払うべきか否かを尋ねます。この質問は実に底意地の悪いもので、払うべきだと答えればローマの覇権を認める原理主義者としてのイエスの立場を打ち砕いて仲間からの信頼が失われ、払わないべきだと答えればローマと敵対しているみなされてローマから目をつけられるわけです。

 踏み絵を迫られたイエスですが、コインに刻まれたローマ皇帝の肖像を示すと「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と答えて虎口を脱します。

 イエスがエルサレムにやってきたのは、何も詐欺くさいやり方で大金を儲ける両替商を批判するためでも、他派と議論して自分の優位性を説こうとしたわけでもありません。律法で定められた過ぎ越しの祭りをエルサレムで祝うためです。

 過ぎ越しの祭りの準備のため、弟子を派遣します。過ぎ越しの祭りは翌日のことですから、イエスは翌日を弟子たちとともに迎えるつもりでした。しかし、それは叶わぬ夢と終わることになります。


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2017年05月05日

キリスト教の成立 最後の晩餐 パンを肉、ワインを血に見立てるのは人肉嗜食に通じるため、イエスの言葉とは考えられない

 その夜、イエスは12人の弟子たちと最後の晩餐として知られる食事を取ります。これが過ぎ越しの祭りの前に行われたことは、パンに対して種無しパンではなく、普通のパンを示す言葉が使われていることから分かるそうです。最後の晩餐は過ぎ越しの祭りの食事だと言われることもありますが、過ぎ越しの祭りは必ず種無しパンで祝われますから間違いなのです。

 イエスはパンを裂くと、「これは私の体である、私の記念としてこのように行いなさい」と告げます。そして食事の後でワインを飲み、「私の血によって立てられる新たな契約である。私の記念としてこのように行いなさい」命じたとされ、後のミサにつながっていきます。

 しかし、ユダヤ教では血を飲むことを禁じています。イエスがこの通りのことを言ったとは考えられないことです。イエス死後、教団トップとなった義人ヤコブは、非ユダヤ教徒でイエスの教えに入ろうとする者に対して血を飲んではならぬと、律法の教えからここは必ず守るように命じていることからも明らかです。この教えが成立した後にはユダヤ人の間で人肉嗜食を思わせたことから教団が批判されることも起こったそうです。

 どうしてパンとワインがイエスの血肉であるという話になったのかというと、後の時代になって改変されたからに過ぎません。

 このセリフはパウロの「コリント人への手紙」が初出です。ローマの影響であることについて、『イエスの王朝』はこう書きます。

これと非常に近いものは、ギリシア・ローマの魔術に見られる。ギリシアの古文書には愛の呪文の記録が残っており、それによると、男性は杯に血を表すワインを満たし、愛する女性を想ってまじないの言葉を述べる。


 おまじないのやり方が現代日本とあまり変わらないような気がして面白く感じますが、それはさておき、キリスト教がローマに入って他の宗教の影響を受けて変容する中で生み出されたことが原因なのです。

 その証拠に、ヨハネによる福音書にはこの印象的な演説は存在しません。また、パウロの影響を受けていない初期キリスト教の教えでは、パンとワインの聖別こそ出てきますが、イエスの演説は記されないそうです。説法そのものが行われなかったのか、少なくとも血肉については後に改変された形で記録されていることは間違いありません。


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