2017年04月22日

キリスト教の成立 死海文書 死海文書の内容のまとめ イエスについては触れられていない

 興味深いのは、荒野には死海文書を遺した人々が共同生活を送っていたことです。死海文書について少々触れておきましょう。

 1947年、羊飼いの少年がユダヤの砂漠にあるアラビア語名キルベト・クムランという遺跡近くの洞窟から文書を発見します。最終的に11の洞窟から、遥か以前に失われた大量の文書が発見されました。クムラン共同体はこれより後のユダヤ戦争の際に滅びるので、イエスの生きた時代を含む時代に存在したのは確実ですが、文書にイエスの名は出てきません。

少々長くなりますが、『イエスと死海文書 - 』からこの文書の特徴を引用します。

1.すべての巻物は、ユダヤ人によって書かれたものであり、どれ一つをとってもキリスト者の写本家によって編集されたものはない(幾つかのユダヤ教の偽典書のように)。
2.すべての巻物は、ヘブライ語とアラム語で書かれている(ほんのわずかな断片がギリシア語で書かれている)。
3.すべての巻物(銅の巻物3Q15を除いて)は、カーボン(炭素)14のテストによってばかりではなく、考古学的・歴史的・古文書学的基準によって、紀元六八年ないし六九年以前に年代づけられ得る。最古のクムラン写本の可能な最も古い年代は、(略)おそらくおよそ紀元前二五〇年以前に(略)さかのぼるであろう。
4.(略)ユダヤ人の居住期間は、紀元六八年で終わっている。(略)
5.この予期せぬ発見は、紀元六八年にローマ軍が絵理子とクムラン近辺の地域を焼き払ったということを報告しているヨセフスに基づく歴史的研究を確証するものである。
6.(略)死海文書(略)は六八年のクムランの破壊と、七三年ないし七四年にローマ軍の手に落ちたマサダで発見された写本で完結する。
7.(略)
8.クムラン共同体は、紀元前二世紀の中葉から紀元六八年まで存続した。
9.元来この共同体は、エルサレムの神殿から追放された――あるいは立ち去った――祭司たちから成っていた。これらの祭司たちは、彼らが「義の教師」と呼んだ一人の人物によってユダヤの砂漠に導かれた。(略)
10.〜13.(略)
14.クムランの住人たちは、エッセネ派にひじょうによく居ている初期ユダヤ教(紀元前二五〇年―紀元二〇〇年頃)の中の以前には知られていなかった一つのグループであったか、(略)エッセネ派の中の厳格なグループに同定されるべきである。(略)
15.(略)
16.クムランの住人たち(そして、これらのグループが異なっているとしても、エッセネ派)は、ナザレのイエスの宣教の時(紀元二六―三〇年)の間、存在していた。しかし、死海文書のどれも彼に言及しておらず、新約聖書の中に描かれているイエスのいかなる弟子にも触れていない。


イエスと死海文書 -
イエスと死海文書 -


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教の成立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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