2017年04月14日

キリスト教の成立 イエスの誕生2 イエスがダビデの子孫ではないと思われる理由

 まあ、三国志の劉備が後漢王朝の王族である中山靖王劉勝の子孫を名乗ったようなもので、箔をつけるためのものでしょう。尚、この劉勝は絶倫だったらしく、子は50人以上、孫は120人以上いたそうですから、子孫を名乗るには将にうってつけの人物です。劉備は実に都合の良い人物を見つけてきたと言えましょう。お陰で、その後は皇帝一族に連なる者として皇叔と呼ばれています。

 もっとトンデモ無い事例を挙げるのであれば、竹内巨麿なる人物が天皇家について元無極躰主王大御神から始まり、21代にイザナギ、22代にアマテラスオオミカミ、23代にニニギと延々と続いた73代目に神武天皇を据える家系図をでっち上げて居ますが、これも竹内が家系図をでっち上げるとは考えにくいから真実でしょうか。

 竹内文書は宇宙開闢より更に遡る日本の歴史が書いてあるというやれやれだぜな代物で、論じる価値もないものです。

 はたまた、熊沢寛道なる人物が南朝の後亀山天皇の子孫を名乗りました。彼もまた家系図を持っていましたが、では彼は本当に後亀山天皇の子孫なのかと言えば、怪しいと判断するのが筋でしょう。因みに、熊沢は竹内文書が一族の持ち物だったが盗まれたと、インチキ野郎であることの馬脚をこれでもかとばかりに表していますので、彼もまた真面目に取り上げる価値はありません。

 家系図のでっち上げは、そうそう難しいことではありません。イエスがダビデの子孫であるという根拠が福音書の中にしか無いのであれば、それを歴史として信じるのは愚かであるというのが私の立場です。信仰の立場から信じるのであれば、それはお好きになさればよろしいかと思います。

 イエスの家系を記録しているのはマタイとルカだけなのですが、祖父の時点で食い違いを見せます。マタイはヤコブだとして、ルカはエリとしています。『これだけは知っておきたい 史的イエス』では、信頼に値する歴史を保存していることに懐疑的であると正しい評価をしています。

 さて、マリアが処女懐胎したのではなく、不義の子だと思われていたらしき記述が各福音書にあります。

 マルコによる福音書でマリアの息子イエスと書かれておりますが、これは、××(必ず父親)の息子と呼ばれるのが自然だった当時においてこう書かれるのは極めて異例のことです。これは、イエスには父親がいなかったことを示唆します。勿論、可能性としてはヨセフは父ではなく、神が父なのだとした関係者が敢えてマリアの息子と呼び掛けさせた可能性は否定できませんが、今しばらくの間、イエスは私生児であるとして話を進めましょう(私自身の感性に従えば、この想定には全く無理がないと思いますし)。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教の成立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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