2017年04月08日

キリスト教の成立 前史3 マカベア家のイェフダの活躍により、エルサレムは独立を回復する

 パレスチナはそれまで寛大な扱いを受けていましたが、アンティオコス3世は賠償金を払うために搾取を初めます。それだけでは飽き足らず、神殿からも略奪を働きます。既に見てきた通り、神殿には莫大な財産が集められていましたから、それを狙ったわけです。しかし、それは同時に信仰心の証でもあるわけなので、パレスチナではアンティオコス3世への反発が高まります。結局、前187年にスーサの神殿を略奪しようとしたアンティオコス3世は反感を買い、暗殺されてしまいます。

 息子のセレウコス4世が即位しますが、彼はエルサレムの神殿を略奪しようとして、これまた暗殺され、弟のアンティオコス4世が後を継ぎます。弟のアンティオコス4世はエジプト征服に乗り出しますが、ローマの介入があり、失敗に終わります。

 権力者からこれだけ狙われるということは、エルサレムの神殿に集められた富が多かったことを示しています。

 エジプト征服を諦めたアンティオコス4世はエルサレムを占領し、街ギリシア化を図ります。彼は圧制を敷きました。神殿ではゼウスが祀られ、前167年にはユダヤ教遵守禁止令によってユダヤ教の信仰は死刑をもって禁じられました。

 憤懣が高まる中で、ハスモン家マッタティアをリーダーとした反乱が起こります。マッタティアは間もなく病没しますが、後を継いだ3男のイェフダは軍事的才感に優れており、セレウコス朝の討伐軍を4度に渡って撃退します。イェフダは鉄槌(マッカビー)のあだ名で呼ばれるようになり、やがて反乱軍全体をそう呼ぶようになります。

 前164年、イェフダはエルサレムへ軍を進め、神殿の丘周辺からセレウコス朝を駆逐して神殿からゼウスを排除します。今も祝われるハヌカーの祭りは、この功績を記念するものです。この後もセレウコス朝との戦いは続き、イェフダの戦死やイェフダの弟のヨナタンがセレウコス朝から総督に任命されながらも裏切りによって殺されたりといった事件がありますが、最終的には前141年に彼らの兄のシモンがエルサレムを扼すアクラ要塞を落として独立を回復させます。以後、ポンペイウス率いるローマ軍が到来する前63年まで独立を得ることになります。

面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教の成立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村