2017年04月07日

キリスト教の成立 前史2 セレウコス朝シリア勢力の後退と、祭司が権力を握るエルサレム

 プトレマイオス朝エジプトと争うことに成るセレウコス朝シリアは、アレクサンドロスの部将だったセレウコス1世が建てた国でしたね。前300年頃、セレウコス1世はアンティオキアを建設し、首都に定めます。

 このアンティオキアは頻繁に地震に見舞われることになります。建設以来1872年に至るまで18回の大地震を経験しているそうで、平均すると112年に1回の割合になります。その度に街は破壊され、再建は15度に及ぶそうです。何度かは放棄されているのですね。1872年を最後に大人しいのですが、それは大地がエネルギーを貯めこんでいるということですから、次の大地震が心配です。

 建国から1世紀ほど経った前200年、エジプトのプトレマイオス4世が死に、僅か5歳のプトレマイオス5世が即位すると、これを好機と見たアンティオコス3世は西方へ遠征、ガリラヤ湖の北方にあたるパニオンでプトレマイオス朝の軍を破ってシリアの支配権を握り、パレスチナを属州の1つに組み入れます。

 エルサレムは自治領として認められ、長老会議が行政を司ります。もっとも、長老会議の議長は神殿の大祭司が兼ねましたから、大祭司の権力が突出していました。権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗するという金言がある通り、絶対的な権威のもとで富の偏在化が進み、階級間の緊張は高まります。

 こうした中で、アンティオコス3世の元へ敗軍の将となったカルタゴのハンニバル・バルカがシリアへ亡命します。彼の影響もあって、マケドニアのフィリッポス5世と結んだアンティオコス3世はギリシアへ出兵します。ローマも対抗して出兵し、両軍は前191年にテルモピュライで激突します。テルモピュライと言えば、ペルシア戦争でスパルタのレオニダス王が守った隘路でしたね。今回の戦いでは、ローマがシリア・マケドニア軍を破り、アンティオコス3世はシリアに引きます。

 アンティオコス3世は軍備を整えて再び西方を目指しますが、今度はハンニバルを打ち破ったスキピオ・アフリカヌスも参謀として参加するローマ軍を率いて立ち塞がります。散々に打ち破られたアンティオコス3世は莫大な賠償金を要求されます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教の成立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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