2017年04月21日

キリスト教の成立 イエスの青年時代3 イエスは洗礼者ヨハネの弟子と合流するため砂漠へ向かう

 ともかく、彼がイエスに洗礼を授けたということは、彼が導師でイエスは弟子という関係になります。それを嫌った人々は、なんだかんだと言い訳を付けて、実はイエスの方が格が上なのだとイエスもびっくりな主張をしていき、福音書に収められる頃には洗礼者ヨハネの役割はイエスの聖性を認めるものに格下げされてしまいます。

 このシーン、福音書によって温度差があり、マルコは洗礼者ヨハネにより洗礼を受けたとしますが、それより後に書かれたマタイでは、洗礼者ヨハネがイエスを尊い人物だと認めています。更に後に書かれたヨハネによる福音書では地位がますます下げられ、洗礼者ヨハネが自分こそイエスの洗礼を受けるべきだと事実と正反対のことになる始末です。後に書かれた記録のほうが詳しく書かれる場合、記憶違いやら怪しげな伝説やらが入り込んでくるので当てにならないことを考慮に入れるまでもなく、イエスが洗礼者ヨハネの教えを受けに来たとするのが妥当です。

 イエスには既に元漁師のシモン・ペトロとアンデレ兄弟は付き従っていたようです。彼らはイエスから人を漁る者となれと言われて従うようになったとされています。一方、ヨハネによれば、アンデレは先に洗礼者ヨハネの弟子だったそうです。こちらが正しいなら、イエスは兄弟からのルートで洗礼者ヨハネを知り、洗礼を授かった後には弟も兄と共にイエスに付き従うことになったということになるでしょう。後にシモンにはペトロ(岩)の仇名が与えられ、イエス亡き後には義人ヤコブに従い、ローマ宣教に向かって消息を絶つことになります。一説に彼は殉教したとされ、カトリックは彼を最初の法王として崇められています。

 少なくともこの時点では、イエスは洗礼者ヨハネの弟子に過ぎないのです。イエスの聖性を認めた云々の逸話は全て創作されたものです。イエスが洗礼を受けた後に荒野に向かったのはなぜでしょうか?洗礼者ヨハネは粗衣粗食に甘んじ、荒野で修行に励む人物でしたね。合理的に考えれば、イエスの行動は洗礼者ヨハネの仲間(弟子たち?)と合流するためでしょう。


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2017年04月22日

キリスト教の成立 死海文書 死海文書の内容のまとめ イエスについては触れられていない

 興味深いのは、荒野には死海文書を遺した人々が共同生活を送っていたことです。死海文書について少々触れておきましょう。

 1947年、羊飼いの少年がユダヤの砂漠にあるアラビア語名キルベト・クムランという遺跡近くの洞窟から文書を発見します。最終的に11の洞窟から、遥か以前に失われた大量の文書が発見されました。クムラン共同体はこれより後のユダヤ戦争の際に滅びるので、イエスの生きた時代を含む時代に存在したのは確実ですが、文書にイエスの名は出てきません。

少々長くなりますが、『イエスと死海文書 - 』からこの文書の特徴を引用します。

1.すべての巻物は、ユダヤ人によって書かれたものであり、どれ一つをとってもキリスト者の写本家によって編集されたものはない(幾つかのユダヤ教の偽典書のように)。
2.すべての巻物は、ヘブライ語とアラム語で書かれている(ほんのわずかな断片がギリシア語で書かれている)。
3.すべての巻物(銅の巻物3Q15を除いて)は、カーボン(炭素)14のテストによってばかりではなく、考古学的・歴史的・古文書学的基準によって、紀元六八年ないし六九年以前に年代づけられ得る。最古のクムラン写本の可能な最も古い年代は、(略)おそらくおよそ紀元前二五〇年以前に(略)さかのぼるであろう。
4.(略)ユダヤ人の居住期間は、紀元六八年で終わっている。(略)
5.この予期せぬ発見は、紀元六八年にローマ軍が絵理子とクムラン近辺の地域を焼き払ったということを報告しているヨセフスに基づく歴史的研究を確証するものである。
6.(略)死海文書(略)は六八年のクムランの破壊と、七三年ないし七四年にローマ軍の手に落ちたマサダで発見された写本で完結する。
7.(略)
8.クムラン共同体は、紀元前二世紀の中葉から紀元六八年まで存続した。
9.元来この共同体は、エルサレムの神殿から追放された――あるいは立ち去った――祭司たちから成っていた。これらの祭司たちは、彼らが「義の教師」と呼んだ一人の人物によってユダヤの砂漠に導かれた。(略)
10.〜13.(略)
14.クムランの住人たちは、エッセネ派にひじょうによく居ている初期ユダヤ教(紀元前二五〇年―紀元二〇〇年頃)の中の以前には知られていなかった一つのグループであったか、(略)エッセネ派の中の厳格なグループに同定されるべきである。(略)
15.(略)
16.クムランの住人たち(そして、これらのグループが異なっているとしても、エッセネ派)は、ナザレのイエスの宣教の時(紀元二六―三〇年)の間、存在していた。しかし、死海文書のどれも彼に言及しておらず、新約聖書の中に描かれているイエスのいかなる弟子にも触れていない。


イエスと死海文書 -
イエスと死海文書 -


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2017年04月23日

キリスト教の成立 イエスの修行時代 砂漠で苦行を行い、悪魔の誘惑を退けるイエス

 義の教師の名前は明らかにされていません。一説に十字架につけられて処刑されたと言われますが、はっきりした根拠は無いようです。

 クムラン共同体に参加するにはいくつかの条件を満たさなければなりませんでした。未成年者や愚か者に加え、精神異常者や盲人、耳が聞こえない者や足が不自由な者も拒否されました。少なくとも10年間は律法や法令の教育を受けた、いわばエリートしか参加を許されなかったのです。

 彼らは祭司たちの富の独占を激しく批判しました。そのためにエルサレムから居場所を奪われたのです。

 大祭司職はしばしば賄賂によってやり取りされ、その職を得たものは犠牲獣の値上げ等で暴利を貪っていました。全ユダヤ人に義務付けられている半シュケルの神殿税を、祭司たちは都合よく自分たちだけは免除されているとしていたことも嫌われた要因です。

 クムラン共同体の残した文書にも彼らの貪欲さを非難する文言が見えます。

 こうしたところはイエスと共通点がありますね。弱者に対しての厳しさは対極的ですが。イエスは確かにラディカルな思想家だったかもしれません。しかし、弱者に対する目の温かさは特筆すべきものだったと思うのです。

 イエスはクムラン共同体と同じように荒野に向かうと、そこで40日間断食して祈りを捧げたと言われます。モーゼもエリヤも40日間荒野で修行したことを考えれば、イエスの行動は先行する預言者の行動の焼き直しです。エジプト逃亡がモーゼになぞらえたものですから、ここでも事実として考える必要は無いように思います。勿論、事実だった可能性もあります。

 荒野では悪魔に誘惑されるというイベントが起こります。空腹に苦しむイエスに対し、石をパンに変えてみせろと囁きます。イエスは「人間はパンだけで生きているわけではない。神の口からでる言葉によって生きるのだ」と応え、誘惑を拒絶しました。続いて悪魔は神殿の突端にイエスを立たせ、神の子というのなら飛び降りてみせろと囁きます。I can flyとばかりに飛び降りていれば歴史は変わったでしょうが、イエスは「神を試してはならない」と言って拒否します。最後に悪魔は高い山の頂上にイエスを連れていき、見ろ、人がゴミのようだと言います。違いました。神ではなく私を崇めるのなら、この世界全てをお前にやろうと言います。竜王の誘惑は世界の半分でしたから、随分と気前の良い誘いです。ところが、イエスは「悪魔よ、退け」と叫んで誘惑を振り払った、と言われます。

 これも、事実というよりは洗礼者ヨハネの仲間たち同様に苦行生活を行った際の苦労を象徴する物語と受け取るべきでしょう。

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2017年04月24日

キリスト教の成立 貧富の差が拡大 社会矛盾は終末の待望を生み、イエスは少なからぬ支持者を得る

 洗礼者ヨハネはエッセネ派に連なる可能性を述べました。イエスの修行も、まさにエッセネ派と同一の思想上にあるものです。イエスの言葉の中でも有名な「神の国は近づいた」は洗礼者ヨハネの言葉そのものであることにも注意しましょう。

 洗礼者ヨハネの教えを受けて布教を開始したイエスでしたが、生まれ故郷のナザレでは歓迎されませんでした。ただし、彼の家族はイエスの教えに従うようになります。福音書では家族にすら冷たく対するイエスの姿が描かれますが、弟のヤコブがイエス死後に教団を率いることになることを考えますと、親族はイエスの立場を理解したと考えるべきだと考えます。

 当時、ガリラヤでは貧富の差が激しくなっていました。イエスが説教に赴いたカファルナウムも同じで、経済環境の激変に伴い経済格差が広がっていました。背景にあるのは、領主アンティパスが建築したギリシア風都市ティベリアスの存在です。都市への食料供給のため、カファルナウムを含む近隣地域は経済が活発化していました。しかし、その富は限られた一部の人が握っていたのです。

 貧富の差は階級間に対立をもたらします。イエスはこのような中で、貧しい人々に向け、神は貧しくとも日々を真摯に生きる者をきちんと見守っており、行動を起こそうとしている(滅びの時は近づいたというメッセージはここに重なります)と告げたのです。洗礼者ヨハネが主張していたことと重なりますから、順序から言ってやはりイエスがヨハネから学び、それを他の人へ伝授したということになるでしょう。どうしてもこの事実を受け入れることが嫌だったルカは、洗礼者ヨハネの逮捕をイエスの洗礼の時期より前にしてしまうという改変を行っています。イエスにとっては不利な改変の存在そのものが、イエスが洗礼者ヨハネの洗礼を受けた証拠そのものです。

 カファルナウムにおいて、イエスは少なからぬ信奉者を得ます。12使徒やマグダラのマリアといった有名な人々です。マリア以外にも熱心にイエスの世話をする女性がいたことは間違いありません。そのほとんどは、教育を受けていない、貧しい人々でした。経済発展から取り残され、社会に不満を募らせていた人々でもありました。


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2017年04月25日

キリスト教の成立 イエスの特異性 社会から爪弾きにされる者にも対等に接するイエス

 そんな彼らに、イエスは大衆の使う言語であるアラム語で教えを垂れました。ゴータマ・シッダルタがサンスクリット語ではなく民衆語で教えを説いたのと重なりますね。

 イエスを快く思わないファリサイ派の人々は、姦淫の現場を押さえられた女性を連れてきて、律法では石打と決まっているが、どうしたものだろうかと問います。女を許せば律法を守らない、ユダヤ教に反するとしてイエスの信用を奪うことができますし、石打にすれば残虐な刑を課したことでやはり信者の信用を落とすことができるという、意地の悪い質問でした。イエスは、あなた達のうち、罪のない者から石を投げなさいと言います。この場合の罪とは原罪のことです。原罪が無いなどと言おうものならユダヤ教徒失格です。彼らはすごすごと引き下がるしかありませんでした。

 また、ガリラヤではマグダラのマリア(マグダラには地名であるとかマリアの名前であるとか諸説あって定まっていません)がイエスの弟子になっています。彼女は7つもの霊をイエスに追い払って貰ったそうです。改悛した娼婦の守護聖人とされているマグダラのマリアですが、娼婦だったと明示されてはいません。ルカによる福音書に見える罪深い女がマグダラのマリアとされるのですが、その根拠もありませんし、なぜ罪深いのかの説明もないのに、性的な方面での不品行があったとされているのは可哀想な気がします。

 マグダラのマリアはイエスを随分熱心に崇めたようで、イエスの処刑後に男の弟子たちがこぞって逃げ出す中でも忠誠を貫き、福音書によってはイエスの墓が空になっていることを最初に発見したともされる、重要な弟子になっていきます。

 イエスのもう一つの武器が、奇跡でした。弟子の結婚式で水をワインに変えてみせた、パン5つと魚2匹しかなかったのに5000人以上が満腹になった、水の上を歩いたとか病気の人を癒やした、あるいは悪魔祓いを行ったといった物語が沢山採録されています。


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