2017年04月16日

キリスト教の成立 イエスの誕生4 イエスがベツレヘム生まれとは考えられない理由について

 出生については一先ず措き、誕生したとされる場所についても書いておきましょう。

 マタイとルカだけはその福音書の中でイエスはベツレヘム生まれとしています。しかし、これらの話を信じるべきではありません。

 神話によれば、イエスの両親がナザレからベツレヘムに向かったのはアウグストゥスが人口調査を行うから各自の故郷へ戻れと命令を下したことがきっかけです。その頃、ヘロデ王は新たな王がベツレヘムに生まれたと聞いて自分の王権が失われるのを恐れ、2歳以下の男児を皆殺しにするよう命令を出したとされます。イエス一家は危機一髪でエジプトに逃れ、殺害を逃れたことになっています。

 ところが、ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば、ユダヤで人口調査が初めて行われたのは先に触れた通り、ユダヤが属州化された紀元後6年です。これはもう、どうやってもイエスの生年と合いません。

 先にルカはイエスの生年を紀元6年としていることを書きましたね。恐らく、初めて人口調査が行われた紀元6年にイエスが赤子でなければ、幼児抹殺令から逃れるためにベツレヘムからエジプトへ逃亡したという神話と矛盾するからです。この場合、命令を出したはずのヘロデは死んでしまっているので、どう転んでも矛盾を脱することはできないのですけど。

 更に、イエスのベツレヘム生まれを歴史的事実とするには問題があります。ローマの人口調査は、ローマ市民権を持つ者のみが対象でした。ということは、ユダヤ人であるイエスの両親(当然、イエス本人も)は人口調査の対象ではないのです。従って、ナザレを離れるべき理由は存在しません。

 福音書の著者がイエスをベツレヘム生まれとしたのは、メシアはダビデの子孫でベツレヘムに生まれると預言されていたためです。その預言に合うように、彼らはイエス生誕の物語を創作しました。ちなみに、ダビデの子孫であるのはマリアではなく大工の父であるわけですが、処女懐胎を主張する人々が父ではないはずの人物の血筋を一生懸命捏造しているところは微笑ましいというべきか、締切に逐われて缶詰にされる作家のようなものだと思えばよいのか悩みます。


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2017年04月17日

キリスト教の成立 イエスの誕生5 ヘロデの幼児虐殺命令はモーゼをなぞったフィクション

 ベツレヘム生まれが創作ですから、新たな王がベツレヘムに生まれたと聞いたヘロデが2歳以下の幼児を殺す布告を出したため、両親はイエスを連れてエジプトに逃げたという物語も創作です。そもそも、ヘロデが幼児虐殺命令を出した証拠は残っていません。彼を散々にこき下ろす歴史家ヨセフスも触れていませんから、事実と考えるべきではないのです。勿論、宿屋がいっぱいだったために已む無く宿泊した馬小屋で産気づいたという話もフィクションです。

 なぜエジプトに逃げたという物語を作ったのかといえば、モーゼの再来と感じさせるためです。モーゼと結びつけられているのは、そもそもの殺害命令からしてそうでしょう。モーゼもまた、エジプトのファラオが出した幼児殺害命令から生き延びた人物でした。この劇的な出来事を自分たちの宗教の開祖にも適用したのでしょう。

 エジプトで発達したキリスト教の一派、コプト教会(現代でも少なくない信者を抱えています)には、このエジプト逃避行のルートの詳細が語り継がれているそうです。彼らが語り継ぐ動機は分かりやすいですね。

 ベツレヘム生まれもエジプト逃亡も事実ではなく、神話に過ぎないのです。

 一方で、このイエス誕生の逸話にそっくりな話があるのも事実です。それは、インドのクリシュナについてのものです。クリシュナは、母のヤショダが夫の税を払うための旅の途中で、羊飼いの飼い葉桶で生まれます。しかも、クリシュナは、幼児殺害の命令から逃れているのです。

 もしかしたら、イエスご幼少のみぎりについての神話を創作した人々は、クリシュナ神話を知っていたのかもしれないと思うと、少なくとも私はワクワクしてきます。

 福音書にかかれていることは、ここで見た通り100%歴史的事実というわけではありません。しかし、だからといって捏造と非難するには当たらないと思います。

 福音書は、信仰を既に抱いている人が己の信仰を確かめるためや、新たな地へ布教に向かう際に携えて行き導師の素晴らしさを伝えるために利用されます。そこに書かれるべきは、客観的な事実ではありません。信者が、自分たちに都合の良い物語を書くので良いのです。ですから、歴史的な事実では無いことが数多書かれているからと言って、著者が嘘つきであると非難するには当たらないでしょう。


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2017年04月18日

キリスト教の成立 イエスの誕生6 マリアは永遠の処女という、私には薄気味悪い誤謬の誕生

 尚、福音書は、良き知らせの意味である福音(evangelion)の書かれた書という意味で、「天の国は近づいた」というイエスのメッセージのことです。イエスはすぐに来ると予言していたはずなのですが、人間の尺度からすれば随分外れてますね。地質学的には100万年だと一瞬と表現されますから、神の尺度ではまだまだ先なのかもしれません。終末を気長に待つことにしましょう。

 イエスには兄弟も居ました。ヤコブ、ヨセ(またはヨセフ)、ユダ、シモンの4人の弟と、サロメとマリアという2人の妹です。ただし、妹たちの名前は福音書では触れられておらず、初期の伝承によるため不正確かもしれないとの由です。

 マリアはイエスを処女懐胎し、以後はヨセフと結婚したのに互いを知ることは無かったという、全く現実味を感じさせない出来損ないの物語もあります。夫婦は現代日本の仮面夫婦さながら、性とは縁のない生活を送った、などと言われても、「んなわけねぇだろ」としか言えませんね。これも(今更言うのも何ですが)創作です。最初に処女懐胎を記したのはルカで、イエスの死後60年〜70年も経った後のことです。それまでは、処女懐胎に類する話は記録されていません。

 永遠の処女というフィクションをマリアに押し付けたのは、374年の神学者エピファニオスが最初のことです。4世紀後半になるとマリアの息子たちはイエスの兄弟ではなく従兄弟だったとされていきます。東方教会はヨセフの前妻の息子とすることで夫婦生活がなくても兄弟がいた理由を説明していますが、説得力を感じることができるかどうかは貴方の信心の篤さに掛かっています。プロテスタントは実にまっとうに、彼らはマリアが処女懐胎でイエスを生んだ後にヨセフとの間に得た実子としています。

 異常出生譚が持て囃されるのはいつの時代も変わりません。イエスが新宗教の開祖に祭り上げられた後、信者たちの結束を高めるために、イエスにも生まれそのものからして特別だったとする物語が必要とされたのでしょう。


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2017年04月19日

キリスト教の成立 イエスの青年時代1 結婚の有無すら分からないイエスの青年期

 死後何十年も立って、唐突に出てきた物語には注意が必要です。ワシントンが桜の木を折ってしまったことを正直に申し出たとして褒められたというエピソードが、彼の死後に唐突に出てきた事実があります。これは伝記作家によってでっち上げられたことが判明しています。同じようなことがあったとしても不思議はありません。

 興味深いのは、イエスが死んでからルカが処女懐胎を書くまでの間、キリスト教徒の一部はエジプトで信仰を伝えていたことです。処女懐胎は、こうしたエジプトの信者の信仰に応えるために加えられた可能性があります。

 このブログでも既に見ましたね。エジプトで父母の交わり無しで生まれてきた神のことを。そう、ホルスです。オシリスは弟のセトに殺され、切り刻まれた遺体はエジプト中に播かれました。妹でもあり妻でもあったイシスが遺体を集めますが、ペニスは魚に食べられてしまっていたため回収できなかった話がありました。ホルスはペニスを失った父と母の間に生まれていますから、イシスは処女ではないにしても、交わりなしに子を産んだのは間違いありません。黄金のペニスを付けたというバージョンの神話もありますが、ここでは都合よく忘れておきましょう(笑)

 イエス本人の若かりし頃については記録がないので分かりません。一応、12歳の時にユダヤ教の長老を言い負かしたという伝説はありますが、他の情報が全く無い中でこれだけポツンと出てくるのは創作であることを示唆します。信じるに足るものではないでしょう。

 私たちは、彼が結婚していたのか、子供が居たのかどうかすらわからないのです。

 ただ、当時を考えますと30代で独身というのもほぼあり得ないことです。マグダラのマリアこそがイエスの妻であったという説もありますが、はっきり明示されている史料は存在しません。ただ、彼女とイエスの母マリアが共にいる際の描写から、イエスとマグラらのマリアが結婚していたと、『レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス) - 』では指摘しています。この仮説については、『ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻セット [文庫] [Mar 02, 2016] ブラウン, ダン [文庫] [Mar 02, 2016] - 』で取り上げられましたので、ご存じの方も多いことでしょう。真偽を判断するだけの知識を私は持ちませんが、面白い仮説ではあると思います。

 イエスは結婚していたと考えるのは無理な仮説どころか、妥当な考えでしょう。誰が相手だったか、子どもが居たのかどうかは永遠の謎ですが。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス) -
レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス) -

ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻セット [文庫] [Mar 02, 2016] ブラウン, ダン [文庫] [Mar 02, 2016] -
ダ・ヴィンチ・コード 上・中・下巻セット [文庫] [Mar 02, 2016] ブラウン, ダン [文庫] [Mar 02, 2016] -

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2017年04月20日

キリスト教の成立 イエスの青年時代2 洗礼者ヨハネから洗礼を受け、その教えを受け入れたイエス

 独身を貫いたとすれば、それはエッセネ派の影響だった可能性があります。エッセネ派は当時のユダヤ教内で唯一非婚を説いたからです。

 イエスの父は大工とされていますので、ノミやカナヅチを振るうヤコブとイエスの姿がまぶたに浮かびますが、実際には石工で、小さな村にすぎないナザレでは定期的な収入を得られるような職業ではなく、日雇いのしごとを転々とせざるを得なかったでしょう。当時の石工は下層階級でです。識字率が僅か3%程度の時代と社会から判断すると、ヨセフもイエスも文字は読めなかったと考えられます。

 次に間違いないと言えるのは、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けていることです。紀元後28年頃のことです。これは4つの福音書全てに書かれています。この洗礼者ヨハネは、イエスの死後60年も経ってから書かれたマタイによる福音書によりますと、「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」という質素倹約を率先垂範する人物でした。そうそう、戒律にうるさいユダヤ教でもイナゴは食べて良いのでしたね。イナゴはエビの味と言いますから、そう悪くない食べ物だと思います。

 イナゴは置いておくとして洗礼者ヨハネについての描写を見てみましょう。粗衣粗食に甘んじ、修行に励む。少し前に見ましたね。彼はエッセネの影響を強く受けた人物なのではないでしょうか。『イエスと死海文書 - 』では、エッセネ派もイエスも敬虔で保守的、反異邦人的特徴を共有することを紹介した後、24の類似点をあげています。その中には、ユダヤ教の派閥の中でエッセネ派だけが離婚を認めず、イエスもまた同じであったことや、「光の子」というエッセネ派の述語をイエスが用いていること、ユダヤ教ではほとんど使われることのない「聖霊」の多用が挙げられています。相違点は、イエスが愛を説いたのにエッセネ派は敵を憎むことを説いたことでしょうか。売春婦や病に冒された人々(ハンセン病?)の人々とも親しく交わるのはイエスには見られても、エッセネ派ではありえません。影響は受けても、その完全なメンバーではなかったということですね。

イエスと死海文書 -
イエスと死海文書 -


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