2017年04月11日

キリスト教の成立 前史6 反対派をことごとく殺しつくすヘロデの圧政

 こうしてヘロデはユダヤの王となり、ヘロデ朝が始まります。前37年のことです。彼はヒルカノス2世の娘と結婚していました。ローマから王位は奪われていてもまだまだ権威はあったハスモン家と結びつくのは彼の力を高めるには有利だったことでしょう。しかし、いざ自分がトップに立ってみると、ハスモン家の影響力は脅威となります。

 彼はハスモン家の人々を次々と死に追いやってしまいます。妻の弟を、妻を、妻の母を、そして妻との間に生まれた自分の息子2人すらも。

 太宰治の『走れメロス - 』はシラクサが舞台だと作中で述べられておりますが、この中で王は大勢を殺したと村人はメロスに告げます。

「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣よつぎを。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」


 とても似ているように思えてしまいます。

 ヘロデは身内に加えて反対派も次々と抹殺していきます。アンティゴノス派を全員殺したので、最高議会の議員の半数以上がいなくなったそうです。メロスが聞けばさぞ激怒したことでありましょう。

 アウグストゥスは、ヘロデはのこうした強権的な支配を聞き、「ヘロデの息子であるよりも、彼の飼うブタである方がマシだ」と評しました。全く同感で、このような恐怖政治の下では暮らしたくありません。

 ローマは基本的に占領地に寛大で、支配地の住民には皇帝を直接信奉することは免除し、供犠、納税、進貢、遵法さえ守れば信仰には口出ししない方針でした。ユダヤでも同じ扱いを受けます。宗教を制限しようとすれば激烈な反対が起こることを学んできたからでしょう。

 宗教的にはフリーハンドを得た格好のヘロデは港湾都市カイサリアのような都市建設や、神殿の改築といった大規模建築に力を注ぎます。特に神殿の大改修は、ソロモンを超える程だったとされています。今でもエルサレムの旧市街にはその痕跡が見られるそうです。一方で建設プロジェクトへの投資のため税は高く、民衆の不満は高かったとされています。当然でしょうね。


走れメロス -
走れメロス -

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2017年04月12日

キリスト教の成立 前史7 大地震の際のヘロデの英雄的振る舞い ユダヤ地方の属領化とそれに伴う人口調査

 尚、『ソドムとゴモラの滅んだ日―旧約聖書の謎 (中公文庫) - 』で、ヘロデ王の時代に大地震がエルサレムを襲った際の逸話が紹介されています。

 この地震で死者3万人余りと甚大な被害を受けたそうです。しかも、地震による混乱を奇貨としてアラビア人が攻め寄せてきます。軍は野外に宿営していて無傷ではありましたが、士気は失われていました。ヘロデ王は兵士相手に長広舌を振るいます。

 「神の働きに落胆するのは分かるが、人間相手に同じように慌てふためくのは意気地なし。むしろ、災害はアラビア人を陥れて勝利を得させようとする神の仕掛けた罠だと思う。仮に敗北しても地震の被害を超えることは無い」

 兵士たちは発奮し、敵を打ち破ったそうです。これが本当なら、指揮官としては合格ですね。

 ヘロデは前4年に死去します。独裁者の死に、さぞ人々は安堵したことでしょう。ユダヤの地は、彼の3人の息子が分割統治しますが、彼らは王号を名乗ることは許されませんでした。そしてまた、彼らは能力においても父親に劣っていたようです。父親ほど強権を振るえなかったためかもしれませんが。

 中でも暗愚なヘロデ・アルケラスが失政を重ねて紀元後6年にローマから解任されると、ユダヤは属州とされます。尚、この際に初の国勢調査が行われています。重要ですからここは覚えておきましょう。紀元後6年ですから、イエスはもう誕生し、幼児とも呼ばれない時期です。

 ヘロデの孫、アグリッパ1世が紀元後41〜44年にかけてユダヤ王となりますが、その後はローマの直接統治に戻ります。その22年後の66年、ユダヤ戦争が勃発、遂にユダヤは滅ぼされます。

 ここでヘロデ王の時代へ時間を戻ります。彼の名前は、ナザレのイエスと関連付けられたことで、恐らくは永遠に記憶されることになるでしょう。

 イエスの実在性について、実のところ疑問が存在します。というのは、キリスト教信者以外が書き残した同時代のイエスの記録が全く存在しないのです。例えばローマの処刑者リストにイエスの名があるわけでないし、ユダヤ教側の記録にもイエスは現れません。最初の文字記録と言って良い福音書も成立はイエスの死後数十年経ってからのことです。

ソドムとゴモラの滅んだ日―旧約聖書の謎 (中公文庫) -
ソドムとゴモラの滅んだ日―旧約聖書の謎 (中公文庫) -


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2017年04月13日

キリスト教の成立 イエスの誕生1 ダビデの子孫(?)のイエス、ナザレで誕生

ここではイエスを実在の人物なのかあるいは宗教的権威を詰め込まれた神話上の存在に過ぎないのかを詰めることはなく、話を進めます。実在したかどうかに興味はありますが、絶対に答えは出ませんからね。それに、不在説を加味した上で、私はイエスが実在した人物であると思っておりますし。

 イエスは小さな村ナザレで生まれました。このことは、彼の幼少期における、唯一の信じることができる事実です。ただ、生年は分かりません。マタイはマリアの受胎がヘロデ王の統治期間だったと書き、ルカはキリニウスがシリア総督だったと書きます。ところが、ヘロデの在位は前4年まで、キリニウスのシリア総督就任は後6年のことですから、両方を満たすことは不可能なのです。

 マタイとルカは受胎告知について触れています。結婚前、ヨセフは許嫁のマリアが身籠っていることを知ります。マタイによる福音書によればその直後、夢でマリアは精霊によって身籠ったと告げ、イエスと名付けて育てるように命じています。一方、ルカによる福音書では、精霊が現れるのはマリアのもとです。マリアは自分は男を知らないのにと言って困惑したとあります。

 この印象的な話が最初期に成立したマルコによる福音書に全く触れられていないのは不自然です。あるいは、マルコによる福音書が書かれてからマタイとルカの福音書が書かれる前に作られ、広まった話かもしれません。

 マタイによる福音書は、アブラハムからダビデを経てイエスの父ヨセフ(遺伝的にはともかく、戸籍上――戸籍という表現は便宜的なものですが――の)に至る系図から始まります。勿論、これは真実の家系図と考えるべきではなく、イエスを偉大なユダヤのリーダーに結びつけたいという動機から生まれたものでしょう。同じように、ルカによる福音書にも系図が載っていて、それはマタイによる福音書とは異なります。『イエスの王朝 一族の秘められた歴史 - 』では、後者をマリアの家系ではないかとし、イエスは父方からも母方からもダビデに行き着くとした上で、このような事細かな系図をルカ福音書がでっちあげたとは考えにくいから系図は真だろうとしています。

イエスの王朝 一族の秘められた歴史 -
イエスの王朝 一族の秘められた歴史 -


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2017年04月14日

キリスト教の成立 イエスの誕生2 イエスがダビデの子孫ではないと思われる理由

 まあ、三国志の劉備が後漢王朝の王族である中山靖王劉勝の子孫を名乗ったようなもので、箔をつけるためのものでしょう。尚、この劉勝は絶倫だったらしく、子は50人以上、孫は120人以上いたそうですから、子孫を名乗るには将にうってつけの人物です。劉備は実に都合の良い人物を見つけてきたと言えましょう。お陰で、その後は皇帝一族に連なる者として皇叔と呼ばれています。

 もっとトンデモ無い事例を挙げるのであれば、竹内巨麿なる人物が天皇家について元無極躰主王大御神から始まり、21代にイザナギ、22代にアマテラスオオミカミ、23代にニニギと延々と続いた73代目に神武天皇を据える家系図をでっち上げて居ますが、これも竹内が家系図をでっち上げるとは考えにくいから真実でしょうか。

 竹内文書は宇宙開闢より更に遡る日本の歴史が書いてあるというやれやれだぜな代物で、論じる価値もないものです。

 はたまた、熊沢寛道なる人物が南朝の後亀山天皇の子孫を名乗りました。彼もまた家系図を持っていましたが、では彼は本当に後亀山天皇の子孫なのかと言えば、怪しいと判断するのが筋でしょう。因みに、熊沢は竹内文書が一族の持ち物だったが盗まれたと、インチキ野郎であることの馬脚をこれでもかとばかりに表していますので、彼もまた真面目に取り上げる価値はありません。

 家系図のでっち上げは、そうそう難しいことではありません。イエスがダビデの子孫であるという根拠が福音書の中にしか無いのであれば、それを歴史として信じるのは愚かであるというのが私の立場です。信仰の立場から信じるのであれば、それはお好きになさればよろしいかと思います。

 イエスの家系を記録しているのはマタイとルカだけなのですが、祖父の時点で食い違いを見せます。マタイはヤコブだとして、ルカはエリとしています。『これだけは知っておきたい 史的イエス』では、信頼に値する歴史を保存していることに懐疑的であると正しい評価をしています。

 さて、マリアが処女懐胎したのではなく、不義の子だと思われていたらしき記述が各福音書にあります。

 マルコによる福音書でマリアの息子イエスと書かれておりますが、これは、××(必ず父親)の息子と呼ばれるのが自然だった当時においてこう書かれるのは極めて異例のことです。これは、イエスには父親がいなかったことを示唆します。勿論、可能性としてはヨセフは父ではなく、神が父なのだとした関係者が敢えてマリアの息子と呼び掛けさせた可能性は否定できませんが、今しばらくの間、イエスは私生児であるとして話を進めましょう(私自身の感性に従えば、この想定には全く無理がないと思いますし)。


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2017年04月15日

キリスト教の成立 イエスの誕生3 イエスの遺伝上の父はシドンのパンテラなる人物か?

 不義の子であるということは、人間の父親がいるはずです。『イエスの王朝』によれば、2世紀のギリシア人ケルススが書き残した記録に父親のものと見られる名前が登場するとのことです。その記録の中に、イエスが「パンテラの息子」と呼ばれているシーンがあるそうです。

 教会は、パンテラとは処女を表すパルテノスの俗語との説を唱えているのですが、先に書いた通り××の息子と書かれるのが自然な世界では、パンテラが父であると思われていた蓋然性は高くなります。つまり、イエスが生きていた当時、パンテラなる人物が父親だと囁かれていたわけです。

 そして、パンテラという名前の兵士が、まさにこの時期のローマ兵の墓碑銘に見えるのです。それによりますと、パンテラのフルネームはティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラです。名前からティベリウスの時代に解放された元奴隷であることが分かります。彼はフェニキアのシドン出身ですから、ナザレに近い土地の生まれですね。この墓に眠る人物がイエスの父とは限りませんし、実際にその可能性は極めて低いと思いますが、ローマ兵にパンテラがいたことは言えます。

 また、「アブデス」はアラム語で「神の下僕」を意味する名前のラテン語形であることから、ユダヤ人だった可能性も指摘されています。更に、ユダヤ人の墓にもパンテラの名前が見えるそうです。

 当時、ユダヤ人の住まう地域にパンテラという名前を持つ人が居たことは間違いないようです。

 面白いことに、福音書には理由の良く分からないシドン行きが記録されています。イエスは誰にも知られないようにシドンのある家にいたのですが、村人に気づかれてしまったというものです。そもそも、なぜ一般のユダヤ人にはなじみのないシドンに行かなければならないのかも福音書を読んでも理由がないので理解できません。父がシドン出身のパンテラだと仮定すれば矛盾は無くなります。興味深い逸話です。

 ヤコブではなく、パンテラ(ローマ兵だったかもしれません)が遺伝上の父と見られていたという伝承が2世紀というキリスト教成立初期に語られていたということは記憶に留めておいて良さそうです。



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