2017年04月01日

ローマ2 ドミティアヌス4 ダキアとの一進一退の戦い後に和平を結ぶが、市民は不満を抱く タカ派は銃後に居るものだ

 ダキアは和平を申し出ますが、勝利に奢るローマはダキアの中枢を衝かんと、提案を拒絶しました。

 ドミティアヌスは親衛隊長官フスクスに指揮を任せ、自らは帰国します。タキトゥスは、この時にドミティアヌスが本当は戦果など挙げていないのに奴隷を買って捕虜だと主張したとこき下ろしていますが、さすがにこれはペンの力を借りた暴力と言えましょう。

 しかし、ドミティアヌスの帰還は早すぎたのかもしれません。フスクスはダキアに大敗し、1個軍団と親衛隊が全滅、フスクスもまた戦死するという事態に陥ったのです。軍団旗が奪われるという、ローマ軍団にとっての屈辱のついてのことでした。矢も楯もたまらず、翌年には軍の指揮経験豊富な執政官経験者ユリアヌスを司令官に据え、ダキア戦線を強化します。狙いは当たり、ユリアヌスはダキア族を平地におびき寄せて勝利しました。

 全体的に見れば、ローマが防戦に成功してはいますが、敵中核に決定打は与えられないことで、一進一退の攻防が続いていたと纏められるでしょう。

 ドミティアヌスにとっては、不遜にもローマに攻撃を仕掛けたダキア族に懲罰的な攻撃を加え、彼らの勢力を弱体化させたことで十分でした。そもそも、長い国境線の全てで戦い続けることは不可能なことです。どこかで矛を収めなければなりません。そこで、ダキアと和平を結ぶこととなりました。

 ところが、ローマ市民は基本的にタカ派、それも超タカ派と断言できる人々です。既に見てきたように、執政官は軍事指揮官で、彼らの人気は外征での勝利にこそありましたね。ローマ市民にとって、分かりづらい和平による利益よりも勝利による高揚のほうが良いものだったのです。ただでさえ和平は不人気なのに、和平条約の中にダキアの捕虜となっていた兵士1人あたり2アッシスを払うという条項があったことは致命的でした。これがローマ人の不評を買ってしまったのです。全体的に見れば、軍事行動でかかる費用のほうが負担を増したでしょうに。

 自分が戦争に行かなくて良い人々は、戦勝以外の結果は認められないものなのでしょう。最大のタカ派は、いつだって戦争には行かなくて済む人々なのです。


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2017年04月02日

ローマ2 ドミティアヌス5 高地ゲルマニアの司令官サトゥルニヌスの反乱で、ドミティアヌスの猜疑心が高まる

 北方でのこうした動きを利用せんと、ネロ帝を自称する者がパルティアに赴いて援助を要請するという事件が起こります。ネロはローマにとっては暗君でしたが、パルティアにとっては長く戦いを続けた両国の間に和平条約を結んだ親しみを感じる皇帝でした。同僚でさえなければ良い人、といったところなのかもしれません。ともかく、自称ネロはパルティアのこうした感情を利用しようとしたのです。目論見は外れ、パルティアは自称ネロを担いでローマと闘うことを選ばず、偽物をローマに送り返しました。当然、この人物は処刑されています。

 自称ネロによる喜劇を、ドミティアヌスに対する反乱の好機とみなしたのか、高地ゲルマニアの司令官アントニウス・サトゥルニヌスが皇帝を宣して反乱を起こします。この反乱自体は低地ゲルマニア軍が動いたことで、直ちに鎮圧されます。

 このネロを詐称した者と、期を読み誤った者の起こした事件だけであれば、このブログにも書く意義を認めません。敢えてこれを書いたのは、サトゥルニヌスの後釜として高知ゲルマニア軍の司令官に指名されたのがかのトラヤヌスだから、です。もしこのおかしな事件が起こっていなければ、トラヤヌスが精鋭中の精鋭である高地ゲルマニア軍の指揮官に就くことは無く、子の無いネルウァが彼を養子に迎えようともしなかったことでしょう。その場合、もしかしたらシリア総督となったニグリヌスなる人物がネルウァの後継者となっていたかも知れないのです。ニグリヌスについてはまた後に触れることにします。

 サトゥルニヌスが反乱を起こしたのは、ドミティアヌスが属州統治者の不正を憎み、積極的にこうした人々の権限を奪ってきたことにあるのかも知れません。私のような庶民からすれば、統治者が権力を使って裕福になっていくのは異常なことだと思いますので、ドミティアヌスの政策は正しいように思います。

 反乱は鎮圧されましたが、ドミティアヌスの心に宿った猜疑心は募る一方でした。


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2017年04月03日

ローマ2 ドミティアヌス6 元老院へも親族へも厳格な規則を適用するドミティアヌスへの反感

 属州総督や軍司令官は元老院議員から選ばれます。従って、属州総督の不正を攻撃することは、元老院との関係が悪化することを意味していました。ドミティアヌスは元々猜疑心の強い性格でしたが、サトゥルニヌスの反乱後は拍車がかかります。こうしてドミティアヌスは元老院への攻撃を開始します。ローマでは裁判で告訴するのは公人ではなく私人でした(日本では、例え犯罪被害者であったとしても、刑事裁判を直接起こすことは不可能で、検察が動かなければ裁判になりません)。この告訴人たちを使いこなし、反乱を焚き付けたと見られる元老院議員を告訴させたのです。こうして反乱に関与したと見られる元老院議員が処刑されました。

 そして、「皇帝は実際に暗殺されなければ暗殺の陰謀があったと信じてもらえない」と嘯きました。それ故に、元老院には反ドミティアヌス派が多数居たのです。

 更に、親族に対してもドミティアヌスの厳しい視線は注がれていました。

 ドミティアヌスの息子は夭折しており、彼は自らの後継者に姉の孫2人を充てることとします。2人の後継者候補をウェスパシアヌス、ドミティアヌスと改名させ、自分亡き後の道筋を付けます。

 ところが、彼らの両親がローマの伝統から外れるオリエントの一神教に帰依してしまったことでドミティアヌスの思惑は大きく外れていくことになります。この一神教がキリスト教かどうかは不明とのことですが、皇帝の一族が異端と見られていた宗教にのめり込んでしまっては支持を得られません。95年、夫婦は裁判にかけられ、夫は処刑、妻は流刑と決まります。

 親族から恐怖政治の犠牲者としか思われないような死者が出たことで、ドミティアヌスは親族から敵視される存在となってしまいます。

 おまけに、ドミティアヌスは妻との間にも問題を抱えていました。


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2017年04月04日

ローマ2 ドミティアヌス7 ドミティアヌスは暗殺計画

 ダキアから帰国した後、ドミティアヌスは妻ドミティアの浮気の情報を得て彼女を離縁したことは既に述べましたね。独り身となっていたドミティアヌスは、兄ティトゥスが遺した娘ユリアと男女の仲になります。その後にドミティアと再婚しましたが、ユリアを遠ざけることはしませんでした。88年、後宮に住んでいたユリアは突然死します。口さがない人々は妊娠したユリアが堕胎しようとして死んだ、と噂します。ドミティアはこの件で夫を許せませんでした。

 ふと気づけば、元老院には反ドミティアヌス派があり、妻も親族もドミティアヌスに反感を抱いているという状況になっていたのです。

 陰謀は深く、静かに進められました。ネロ暗殺計画とは違い、元老院に広く仲間を募らないことで、少数の、真にやる気のある人々だけが集まったことになります。

 その中核に居た者として名前を挙げられているのは、親衛隊長官ノルバヌスとペトロニウス、侍従パルテニウスそして皇后ドミティアです。また、歴史家スエトニウスはエパフロディトゥスを自殺させたことを原因の1つに挙げています。エパフロディトゥスはネロの解放奴隷で、自殺を図っても死にきれずに苦しむネロにとどめをさした人物でしたね。彼は結果的に皇帝を殺したことになるとして、ドミティアヌスに自殺を強要されたのです。

 96年9月18日、ドミティア付きの解放奴隷ステファヌスが寝室でドミティアヌスを襲います。護衛が駆けつけたときには寝室は血に染まっていました。実行犯たちは殺害されましたが、既にドミティアヌスを救うには手遅れでした。暗殺は成功したのです。ドミティアヌスは44歳でした。

 ドミティアヌスがキリスト教を迫害していたことや、後の元老院が反ドミティアヌスに傾いたことで、彼は第2のネロなどと評されることもあります。タキトゥスや小プリニウスといった同時代の著名人もまた、ドミティアヌスをこき下ろしましたから、彼は暴君として名を留めることになります。


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2017年04月05日

ローマ2 ドミティアヌス8 フラウィウス朝が国家を安定させたことが、次の五賢帝を生むことになる

 しかし、ドミティアヌスの防衛戦略は現実に即したものでしたし、属州総督の綱紀粛正を図った辺り、単なる暴君とは思えません。だからこそ、後の5賢帝の時代にも、ドミティアヌスの政策は廃棄されませんでした。

 私が思うに、ドミティアヌスに対する評価は、既得権益を握る側か、支配される側かで大きく変わったのではないでしょうか。もし私が当時の元老院議員であれば、自分たちの権益を犯そうとするかのようなドミティアヌスを嫌ったでしょうし、兵士や下層市民であれば悪くない指導者と思ったかも知れません。元老院議員に対してもう少し寛大であれば、あるいはドミティアヌスは名君として知られるようになっていたのではないかと思います。

 ドミティアヌスに対し、元老院は記録抹殺刑を決議しました。そのため、彼に関する記録は多くが破棄され、遺骨は皇帝廟に葬られることも赦されませんでした。

 ドミティアヌスが暗殺された直後、元老院議員のネルウァが即位します。そして史上に名高い5賢帝によって、ローマは安定した国家運営が行われることになります。ただ、フラウィウス朝のラストエンペラーはこうして不慮の死を遂げましたが、フラウィウス朝の皇帝たちが支配態勢を再び整えたことが5賢帝による黄金時代を開くことに繋がったことは押さえておきましょう。

 ただ、ここで一度ローマの歴史から離れて、後にローマの求心力となり、またローマを内から滅ぼすことにもなる、ある事象へ目を向けることにしましょう。即ち、キリスト教の成立について、暫く時間を割こうと思います。

 事前に断っておきます。私は信仰を持ちません。従って、キリスト教を信仰する方には受け入れられないことも書くことになりますので、不信心の愚か者が適当なことを書きやがって、もう間もなくやってくる(2,000年ほど前にはもう間もなくやってくるとされていました)終末の時には救われないぞ、くらいの気持ちで見ていただけるとありがたく思います。


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