2017年03月01日

ローマ2 4皇帝の年5 オトの即位と、反乱を継続するウィテリウス

 タキトゥスは『同時代史』において、ガルバについて「要するに彼は輝しい出自と恐怖政治に庇われ、不精にすぎなかったものが賢明と呼ばれたのである」と手厳しい評価を下しています。ただ、同時代の高官の中では軍を率いても政治家としても公正で、「 もし皇帝になっていなかったら、世評は一致して彼こそ皇帝の器であると認めていたろうに 」とも書き残しています。有能な官吏ではあったとしても、権力が不安定な中で至高の座に付くには向いていなかったのは間違いないでしょう。

 元老院はオトを次の皇帝として認めます。反乱に功績を上げた者120人ほどが報奨を求め、与えられました。

 ネロの側近で、彼を執務ではなく快楽にばかり誘導していたティゲリヌスはネロを早々と見捨てることで財産を抱えたままのうのうと暮らしていましたが、オトは大衆の人気のないティゲリヌスを捕らえ、処刑しています。少々胸のすく話ではあります。

 しかし、即位してすぐに、ネロが建設を始めていた豪華な宮殿の建設遂行に更に5000万セステルティウス支払いを認めているのはいただけません。そんなカネなどどこにもないわけですから。

 オト新政権最大の不安は、ゲルマニア軍団がウィテリウスを擁してローマ中央に対する反乱を継続していたことです。

 アウルス・ウィテリウスは父が執政官を3度も務めた名門の生まれです。ただ、父親は彼の才能を、いや、才能の欠如を知っていたのでいかなる公職にも就くな、と助言していました。ガルバは彼が無能だからこそ、自分に敵対的なゲルマニアに派遣したのですが、ウィテリウスは後先考えない奢侈とバラマキで兵士の支持は得ていたのです。兵士たちも、国のことなど全く考えず、自分たちの利益にのみ忠実な存在に堕していました。ブリタニア総督もウィテリウスに付き、反乱軍はオトの手持ちの軍を上回る勢力に膨らんでいました。

 ウィテリウスはいかにもろくでなしらしく、既に皇帝気分で放蕩三昧、飽食で太り、昼から酔っ払うといった有様でした。それなのに仲間を得ることができたのは、タキトゥスによれば「なるほどオトは死に際に輝かしい名声を、ウィテッリウスは不面目極まる醜名を残したが、生前はオトのぎらぎらした情念が、ウィテッリウスのふしだらな享楽生活よりも恐れられていた」からです。さらに、オトがガルバを弑逆したこともマイナスに働いていました。


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2017年03月02日

ローマ2 4皇帝の年6 敗北を知ったオトは抗戦ではなく自刃を選ぶ

 反乱軍の司令官こそ無能な愚か者でしたが、ゲルマニアの軍団そのものは精強で知られていました。彼らがローマに進軍を開始すると、通り道の諸地域はウィテリウスに付き、道を開けます。

 オトは自ら出陣します。しかし、彼が頼るべき元老院議員たちは長く戦場の指揮を取らなくなっていたため、ただただ議論に明け暮れるだけで役に立ちません。船頭多くして船山に登るとの故事はまさにこのためにあるように思えてしまいます。

 緒戦はオトが勝利します。ウィテリウス派の将軍は歩兵を伏兵とし、騎兵にわざと負けたふりをして退却させて深追いさせようとしたのですが、作戦は完全に見抜かれていて、オトの軍は敵の策を逆手に取って勝利したのです。

 敗北によってウィテリウス派の将兵は軍紀を守ることの重要性を理解します。そして兵力を集中させ、戦いに備えます。

 一方のオト陣営では、ウィテリウスは全軍をあげて向かってきているのですから、後背には不安を抱えていること、自軍には第14軍団が合流に向かっていることから、戦いを急がずに態勢を整えるべきだとの声が出ます。しかし、オトは功績を焦っていました。そして開戦が決議されます。

 次いで、オトが戦場に留まるべきか、後方に退くべきかが議論されます。結局、オトは後方に下がります。この際に、最も強力な警護兵たちがオトに従って戦場を去ったことはオトの軍にとって大きなダメージとなります。

 両軍はパドゥス川と街道の間で遭遇し、戦闘に入ります。オト軍は精強で知られる第21軍を一度は撃退し、鷲旗を奪う活躍を見せますが、奮起した第21軍は逆劇に転じ、また、他の戦場でもウィテリウス派が勝利を収めます。

 味方の敗北を知ったオトは、抗戦を訴える部下たちに対して今後も戦いを続けることは多くの者の命を奪うばかりだと述べ、自殺することを告げて己の死後についての処置を命じます。シーンは随分異なりますが、楚漢戦争の最後で、項羽が川を渡って逃げて再起を図ってくれと頼まれたのに、多くの者が死んで自分だけ生き残ることは出来ないと告げ、自刃して果てたことが重なります。


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2017年03月03日

ローマ2 4皇帝の年7 ただただ美食美酒に溺れるだけのダメ皇帝、ウィテリウスの即位

 友人たちを立ち去らせ、彼は最後の夜を熟睡して過ごしたと伝えられます。黎明、オトは枕の下に置いておいた短剣を胸に刺し、自害しました。享年37歳。往生際の悪いネロの最期と比べると、実に堂々としたものです。

 オトは自分の死体が辱められないよう、急いで荼毘に付すことを命じていました。堂々とした最期に感じ入ったのか、幾人かの兵士が火葬用の薪の前で自刃したそうです。残された者たちは彼の最後の命令に従い、慎ましやかな墓が建てられました。

 やや決断を急ぎすぎた気もしますが、オトがこの段階で死を選んだのは戦乱を長引かせずに済ませたことは事実でしょう。もし、ウィテリウスがまともな人物でさえあれば。

 しかし、このウィテリウスというのはどうしようもない人物でした。彼はその飽食と放蕩とでネロに気に入られていた人物です。その点ではオトと同じですが、違うのは属州に赴任してもこうした生活を改めなかったことです。

 オトが自害したため、もう彼のローマ入りを妨げる者は存在しません。しかしウィテリウスは急ぐでもなく、道中の別荘地には漏れなく立ち寄り、贅沢三昧に興じます。この自堕落な姿に忠誠心を刺激される者などいないでしょう。ただただ権力を得たい人間が媚びへつらっているだけです。

 ウィテリウスはローマに入って皇帝となります。先にオトに与してガルバを弑するのに功があった者が報奨をねだったと書きましたね。ローマ皇帝となったウィテリウスは、反逆者はかくなるべしと彼らを処刑してしまいます。殺害者にとっては自らの処刑執行書を認めたも同様の結果でした。これは彼の愚かな短い治世における数少ないまともな施策だったと思います。

 しかし、それ以外は全く見るべきところがありませんでした。彼には巨大な帝国を導く案など何一つありません。官僚組織を動かす力もありません。ただただ遊びに興じ、美食と美酒に溺れるばかりでした。反ウィテリウス派の勢力が立ち上がるのは時間の問題だったと言って良いでしょう。


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2017年03月04日

ローマ2 4皇帝の年8 ウェスパシアヌスの蹶起

 反乱は東方で勃発しました。ユダヤ戦争で3個軍団を率いていたウェスパシアヌスが兵士に擁立され、皇帝を名乗ったのです。

 ウェスパシアヌスは徴税請負人の父を持ちますから、富豪の家に生まれたことになります。復習になりますが、徴税請負人はペルシアで成立したやり方で、請負人はまず国に税金を収めてから、税を集めるのでしたね。徴税の際には納税額より多くの額を集めるのが慣習でししたので請負人は大金持ちになりました。こうした権利ですから、徴税請負権を得るにも多額のカネが必要なのですけどね。

 資本はあっても見るべき血統に属していないウェスパシアヌスは、騎士階級の家の女性を娶り、晴れてそれなりの立場を得ます。そして軍に入り、ブリタンニア遠征等で軍功を挙げて出世していきます。政界に身を投じた兄のフラウィウス・サビヌスの存在も彼を後押ししたかもしれません。

 ウェスパシアヌスはネロが皇帝になった後にローマに帰還して、ネロのギリシアコンサートにも随員として連れて行かれます。なんと、このときにウェスパシアヌスは居眠りをするという壮挙を成し遂げ、ネロに疎まれてしまう事件が勃発します。ネロがヘボ詩人だったせいなのか、ウェスパシアヌスが武弁者で芸術を解さなかったのかは分かりませんが、その胆力は素晴らしいと思います。

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 転機となったのはユダヤの反乱です。反乱はユダヤ総督のムキアヌスが対応しており、燎原の野火のように燃え広がることは無い状態でした。そこにネロの命令で司令官として赴いたウェスパシアヌスは徹底抗戦を辞さないユダヤ人を相手に長期に渡る戦いを続けていました。

 ウェスパシアヌスは貪欲ではありましたが、戦場では先頭に立って戦い、衣食は兵士と同じもので通しました。「要するにもし彼が無欲恬澹であったら、往年の武将と肩を並べたことであろう」とタキトゥスは評しています。

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2017年03月05日

ローマ2 4皇帝の年9 人心掌握のできないウィテリウスは軍に背かれ、ウェスパシアヌス軍はローマに迫る

 ウェスパシアヌスはガルバの即位を祝うために戦争に同道していた息子のティトゥスをローマに送っていたのですが、ティトゥスがローマに着く前にガルバは殺され、オトとウィテリウスの間で戦いが勃発していました。ティトゥスは今ローマに向かうことは得策ではないと判断して父のもとに戻っています。彼の慧眼を感じさせます。

 ティトゥスはエルサレムに戻ると、反乱のための工作に奔走します。上品で人当たりの良い彼は外交戦にうってつけの人材でした。彼は父と不仲だったシリア総督ムキアヌスをも仲間に引き込み、東方諸国もウェスパシアヌスに味方します。

 あとは兵士の士気が問題となります。そこで、ウェスパシアヌスは兵士たちの間にウィテリウスは東方の軍団を居心地の良い今の地域から、寒さの厳しいゲルマニアに転属させようとしているとの噂を流します。兵士たちはウィテッリウスを激しく憎み、ウェスパシアヌスに従うことを喜んで誓いました。

 ローマでは、東方の擾乱など露知らず、ウィテリウスが悦楽に耽っていました。贅を尽くした宴会、遠方から取り寄せた珍味の数々、それに全ての都市で行われた剣闘士競技。その浪費は激しく、数ヶ月で9億セステルティウスも散財したと伝えられます。

 ウィテリウスが為すべきことを何もやらないのは徹底していて、ウェスパシアヌスに備えることすらしていませんでした。ウェスパシアヌスの反乱について知っても、細かな情報を得ようとはしなかったのです。何の備えも無い中でウェスパシアヌス軍来冦を知ったウィテリウス派将兵は動揺し、ウェスパシアヌスに付くべきだという兵士が暴動を起こします。ウィテリウスの求心力が知れる出来事ですね。

 ウェスパシアヌスにとってはこの機を逃すのは得策ではありません。特に、時間が経てばブリタニア等の属州からウィテリウスは援軍を得るのですから、ウェスパシアヌス軍には短期決戦こそ有利なのです。ウェスパシアヌス軍の将軍は急進すると、ハンニバルの脅威があったころにガリア人を食い止めるために作られたクレモナ郊外でウィテッリウス軍を破ります。陥落したクレモナは激しい略奪を受けました。数々の暴行、放火。味方の兵士もまた略奪の被害から逃れることはできませんでした。金目のものを手にした兵士は仲間に殺され、手にしたばかりのものを奪われたのです。都市は4日間燃え続け、灰燼に帰しました。


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