2017年02月01日

ローマ2 イギリス古代史3 謎に満ちたストーンヘンジの建設

 硅砂岩は30km北のモールバラ・ダウン産、ブルー・ストーンは南ウェールズ産で、巨石を運ぶことも困難です。ただ、遺跡周辺に巨大な槌が残されていますから、巨岩を運んできてから狙い通りの形状になるよう加工していたことははっきりしています。最大50tにもなる硅砂岩をどうやって運んだか、エジプトと同様にコロのようなものを使ったのでしょうが、今でも謎は解かれていません。ドルイドの魔術で運んだという伝説も有るのですが、流石に理性を重んじるこのブログでは信憑性がないとさせて頂きましょう。尚、この魔術師こそイングランドの伝説に名高い魔術師マーリンという話もあるそうです。このマーリン、大人気の魔術師で、アーサー王伝説にも顔を出しますのでご存じの方も多いかもしれません。ランスロットが堂々と主君の奥さんと不倫するあたり、アーサー王伝説も凄いなあと思います。余談でした。

 巨大建造物を作るだけでも大変だというのに、どういうわけか全体が傾斜地に作られています。水平を出すのが大変だったことでしょう。

 前2600年頃に造られたと推測されるサーセン(円環)・サークルでは5つのトリリトンが形成されています。トリリトンとは、トリが3を示している通り、2本の石の上に、リンテルが橋渡ししているもののことです。リンテル同士はジグソーパズルのピースのように凹凸で組み合わされており、縦の石とはほぞとほぞ穴とで噛み合うようになっています。柱、横渡の石の数は各30で、内径28、外形30メガリシック・ヤードとなっており、リンテルはR加工されてきれいな円形を描いています。その内側に59ないし60からなる直径23メートルの小さなサークルが配置されました。外側のサークルは、1つ50tにも及ぶサーセン石で作られています。サーセン石の産地は直線距離で27kmも離れていますので、こちらも運搬だけでも大変な労力を要しました。当時の穀物生産量は推測される人口を上回っていたそうですから、建築作業に従事する労働力をまかなえた計算です。

 石の周辺には穴が開けられています。『ストーンヘンジ(アルケミスト双書) - 』によると、恐らく、石を立てる際に石が倒れないようつっかえ棒を立てた跡だということです。リンテルは木製の土台の上で、梃子の原理を使って石を持ち上げては木材を下に挟むことで高いところまで上げ、十分な高さに上がったらリンテルを横にずらして直立石に造られたほぞと、リンテルに穿たれたほぞ穴をかませました。

ストーンヘンジ(アルケミスト双書) -
ストーンヘンジ(アルケミスト双書) -

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2017年02月02日

ローマ2 クラウディウス2 ブリテン島遠征上陸 クラウディウスもブリタニアへ訪問、軍の士気を上げる

 各地で造られたストーンサークルでしたが、前2000年期後半には造られなくなります。ほぞとほぞ穴を組んではいても、長い時間の経過には耐えられずに多くの石が倒れていたのですが、1900年代に入ってから復元されています。私達がこんにち見ることのできるサークルはここで修復されたものです。
ローマが侵入した際にはケルト人がイギリス全土を支配していました。もっとも、単一部族が統一的な政治組織を構えていたわけではなく、多くの部族に分かれて合従連衡を繰り返していました。

 ケルト人は首刈りをしていたとの記述通り、墓から複数の頭蓋骨が並べられて出土する場合がある。敵の首は家の入口に打ち付けられ、誇示されたそうですが、さぞ腐臭が漂ったことでしょう。

 カエサルはブリタニアに上陸すると、ブリタニア人の戦車戦に苦しめられています。ガリアやゲルマニア同様、ブリタニアの兵士は防具を身に着けなかったため、待ち伏せを多用していたので、カエサルも苦戦したのは非正規戦でした。

 クラウディウス帝の時代に話を戻しましょう。

 40年、ブリタニアの有力者クノベリヌスの死をきっかけブリタニア内で内紛が起こって親ローマ派が助力を乞うてきました。ブリタニア介入の準備を完了させていたローマにとってまさに渡りに船でした。カエサルの項で触れたとおり、ブリタニアは鉄の産地として知られていましたから、豊富な地下資源もまた、侵略の狙いでした。

 43年には4個軍団と補助軍、併せて4万にも及ぶ大軍がブリタニアに上陸します。

 クラウディウス帝自身もブリタニアへ趣き、ローマはテムズ川を超えて支配地域を広げます。ブリタニアの諸民族は連合することなく各個撃破され、また支配的な部族に対立する王たちはこぞってクラウディウスに服従を誓います。11人もの王から恭順を示されたクラウディウスは大変満足したそうです。

 特筆すべきこととして、この43年からテムズ川沿いにロンディニウムの建設が始まったことが挙げられるでしょう。大陸に最も近い可航河川がテムズ川で、干満の限界点に近いところに作られた都市です。交通の便も良いため、ロンディニウムから各地へ総延長1万kmとも言われる道路網が張り巡らされました。途中、破壊されたこともありますが、後のロンドンへとつながっていきます。


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2017年02月03日

ローマ2 クラウディウス3 クラウディウスの恵まれない結婚 淫乱で権力欲の強いメッサリナとの再婚

 平地は容易にローマの手に落ちました。早速地下資源の採掘が始まります。また、ローマは夷を以て夷を制す政策で、実際の統治を現地の人々に任せました。

 しかし、高地は天剣を活かした防御側の抗戦に苦しみ、征服は容易には進みませんでした。また、服属した諸族からも、王の遺産が没収されたり東方同様に重税が課されたりと収奪が行われたため、反乱が起こっています。

 クラウディウスの治世全体で見れば、ローマはイングランド南東部にしっかりとした拠点を築いたと総括できます。その後約半世紀でイングランドとウェールズまで進出しましたが、スコットランドへは遠征しても失敗し、長城を築いて防衛に務めることになります。

 占領された地域は属州とされ、不安定だったことから常に優秀な軍人が総督として送られることになります。

 少々お頭が足りないと思われていたクラウディウスは、歴史研究に打ち込んだことに見られるように、皇帝となって不足のない、十分な知性と知識を持っていました。元老院にも法廷にも足しげく通って、実に生真面目に、理想社会が築かれるよう配慮を続けました。カリグラの着手した水道敷設を完成させ(水道は着工を命じたカリグラが誰からも嫌われていたため、クラウディウスの名を冠されました)、港建設を命じるといったインフラ整備に力を注ぎました。これらはローマの発展に大きな貢献をしています。

 軍事的功績も上げ、政権を安定化させたクラウディウスではありましたが、あたたかい家庭には恵まれなかったようで再婚を繰り返します。4度目の妻がメッサリナという16歳の少女で、カリグラが帝位にあった38年に結婚しています。2人の間には、後にネロの最初の妻となるクラウディア・オクタウィアと、長男のブリタンニアが生まれています。

 ところが彼女は強欲で淫乱、更に酷薄な性格も相まって、あらゆる皇妃の中で最も破廉恥だとの悪評を得ています。スキッラという源氏名を名乗って売春宿に乗り込み、娼婦と一晩に男と寝られる回数を競ったと言われます。その25回にも及び、なお満足していなかったそうです。


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2017年02月04日

ローマ2 クラウディウス4 皇妃メッサリナ、元老院議員と結婚して夫追い落としを図り、処刑される

 メッサリナは性欲だけではなく、支配欲も人並み外れていました。彼女は夫を動かし、木に食わない人物や敵対した者をしばしば処刑させています。

 彼女の強欲の犠牲になった1人が、2度の執政官経験を持つアシアティクスです。彼は壮麗で有名な庭園を保有していました。メッサリナはこの庭園を奪うために皇帝を動かし、アシアティクスに自殺させたのです。アシアティクスは皇帝から自死を命じる手紙を受け取ると、女の詐欺に遭って死ぬのは残念であると言うと、血管を切り開いて自殺しました。

 また別の1人がカリグラの妹のリウィッラです。リウィッラとメッサリナの対立が深まった結果、メッサリナはリウィッラとセネカが姦通していると訴えます。その訴えが事実だったとする証拠はありませんが、リウィッラは処刑され、セネカはコルシカ島へ追放されました。

 48年8月、メッサリナはガイウス・シリウスという者と結婚してクラウディウスを亡き者にせんと図ります。この計画は流石に露見し、シリウスとその一派は直ちに処刑され、クラウディウスは彼女に自殺の機会を与えます。しかし、メッサリナは死ぬことができず、殺害されました。

 クラウディウスもこんな女に引っかかったら懲りれば良いのに、次にはメッサリナ以上にとんでもない女である姪のアグリッピナと結婚します。結婚とは判断力の欠如を、離婚とは忍耐力の欠如を、そして再婚とは記憶力の欠如を意味しているという箴言を吐いたジョージ・バーナード・ショーであればどう皮肉ったか興味深いところです。

 もっとも、この結婚は愛情や性欲を求めたものではありません。アグリッピナがアウグストゥスの曾孫で伝説的な将軍ゲルマニクスの娘であることから、政治的な繋がりを求めてのものです。アグリッピナは姪にあたるため、本来なら結婚が禁じられているのですが、元老院に結婚を認めさせました。ついでに、アウグストゥスの血を引くルキウス・ユニウス・シラヌスという人物とメッサリナとの間に生まれたクラウディア・オクタウィアは婚約していたのを、シラヌスが妹と近親相姦していると言いがかりを付けて破棄させました。そして、ネロと婚約させます。


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2017年02月05日

ローマ2 クラウディウス5 クラウディウスの最後の結婚と、妻に毒殺されての最期

 クラウディウスにとっては、例え実子のブリタンニクスに帝位が渡らずとも、クラウディア・オクタウィアがネロとの間に男児を設けてくれればよりアウグストゥスの血統を引いた帝位継承者を得られることになるわけです。彼の願いは、およそ最悪の形で実を結ばないことになるわけですが、この時点では彼は夢を見られたのです。

 アグリッピナは最初の夫との子、ネロを帝位につけようと画策します。クラウディウスには既にメッサリナとの間に得た実子のブリタンニクスが居ましたから、焦りがあったのでしょう。我が子を後継者レースで優位に立たせようと幾つか手を打っています。そのうちの1つが、ネロに家庭教師としてコルシカ島に追放されていたセネカを充てたことで、もう1つはブッルスを親衛隊長に据えたことです。両者ともアグリッピナとネロの威光で立場が大きく変わったのですから、ネロのために尽くすだろうと期待されたのです。

 50年、クラウディウスは正式にネロを養子に迎えます。ネロは51年に13歳になると通常より早く成人したことにされ、20歳になったら執政官になることを宣言されます。更に53年にはクラウディア・オクタウィアと結婚、後継者としての地位を盤石なものにします。それを見届けたアグリッピナは、遂に野望を叶えるための最終手段を取ることを決意します。

 54年10月、アグリッピナはクラウディウスの最大の側近を痛風治療に遠出させ、密かにロクスタというガリア女性に毒を調合させます。この毒は遅効性のもので、クラウディウスが摂取後直ちに死ぬようなことが無いよう配慮されていました。この毒は、毒味を司る宦官に渡され、彼がクラウディウスの好物であるキノコに毒を仕込みます。一説に、毒を仕込まれたのは一山のキノコの中でも一番立派なもので、アグリッピナは良妻のように、夫にキノコを勧めたとされています。

 キノコを食べたクラウディウスは毒にあたり、苦しみ始めます。医療班が直ちに治療にあたり、毒キノコを吐かせて何とか皇帝を死から引き戻しました。ところが、その中の1人であるギリシア人医師クセノポンが、吐くために使う鳥の羽根に即効性の毒を塗ると、皇帝の喉に突っ込んだのです。これにはたまらず、皇帝は命を落としました。


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