2017年01月01日

ローマ2 庶民の暮らし3 ビキニスタイルもあった、ファッションの最先端ローマ ついでにビキニの語源

 ローマの一般市民に話を戻しましょう。

 家の中には植木があったというのも、ここまで見てきた殺風景な部屋を考えれば理由が分かろうというものです。

 金銭面で余裕のある者にはまた別の生活様式があります。

 富裕層の夫婦は別々の寝室を持ちました。マットレスの詰め物は麦わらか羊毛がつかわれていましたので、現代の布団とそう大きくは変わらないのかもしれません。新生児では枯葉が使われた例がポンペイの遺跡から見つかっています。使用方法が分かっているのは、遺骨の下から発見されたからです。ポンペイを埋め尽くしたヴェスヴィオ山の噴火についてはまた別に見ることにします。

 ローマ人は就寝時にも服を着用していました。衣装の基本はダブダブのTシャツ風のトゥニカで、エジプト産の麻か羊毛製でした。特に裕福な者は絹を着て財産を誇示したそうです。

 富裕層はこれに加え、外出時にトガを着用しました。トガは6メートル程の布で、それを上手く身体に巻き付けるのです。着付けはなかなか大変で、奴隷の手を借りていました。

 ちなみに、トラヤヌスの時代でもまだズボンは一般的ではありませんでした。兵士たちが膝上丈のものを使用していた程度です。寒冷な北部を除き、靴下も無かったそうですから、腰から下はさぞ寒かったことでしょう。

 女性の場合、足首まで隠れる長い衣装で、流れるような襞が入りました。ウエストと、バストの下を紐で結び、ボディラインを強調しています。女性がトガを纏うのは罪をおかしたか娼婦に限られました。男性よりも色彩豊かというのは、今も昔も女性の方がお洒落なのを反映していますね。古代の中国でも、「士は己を知る者の為に死し、女は己を喜ぶもののために容づくる」なんて言葉がありました。このセリフもやがて見ることになるでしょう。

 驚くべきことに、浴場や運動の際にはビキニスタイルも見られました。勿論、当時はビキニなどという言葉はありません。なにせ、この言葉は原爆実験が行われたビキニ諸島から、それくらい衝撃的な水着であるという意味で名づけられたものですから。


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2017年01月02日

ローマ2 庶民の暮らし4 ローマの髭剃り&カツラ事情 テルマエ・ロマエの主人公は流行遅れ!?

 朝起きると、時代によってはひげ剃りが待っていました。これも流行り廃りがあり、トラヤヌスの時代はひげ剃りは義務のようなものでしたが次代のハドリアヌスになると伸ばすのが流行っています。『テルマエ・ロマエ』はハドリアヌスの時代をモチーフにしていますので、主人公は流行に逆らって髭を生やしていないのか、はたまたそこまで時代考証をやらなかったのか、絵面の点からの配慮かのどれかでしょう。個人的には、登場人物が誰も彼も髭面ですと見分けが付かなくなりますので、ここは時代考証を無視するのが正解だと思います。

 ひげ剃りは青銅製ないし錬鉄製の半月形の刃物が使われました。シェービングクリームなどありませんから、痛かったようです。残ったムダ毛はピンセットで抜いていたそうです。脱毛も行われていました。我らが伊達男、ユリウス・カエサルも脱毛していました。ただ、頭部の毛については、無駄毛ではなかったにも関わらず、意思に反して自然脱毛してしてしまいましたが。現代と同じく、ハゲ隠しも行われました。カエサルは後ろ髪を前に持ってくるという、縦型バーコードだったそうです。ハゲが目立つようになると煤で黒く頭皮を塗っていたそうです。髪が生えてくる魔法の薬の宣伝もありました。カツラも存在したそうであります。薄毛だけではなく、白髪が目立つようになると黒く染めることもあったそうです。

 一方、洗顔の風習はありませんでした。

 女性は現代と同じように化粧をします。アイシャドウや睫毛の強調、更に付けボクロまで用いていたと聞きますと、古代なのか現代なのか分からなくなるほどです。違いは原料でしょう。炙ったアリを使うこともあったそうですから。口紅は真紅が人気で、そのために鉛丹や辰砂が使われました。重金属が含まれているため、毒性が強いのが気になります。

 髪型はド派手で、宮廷の女性、特に皇后が流行りの最先端でした。カツラは本物の髪の毛から作っていましたので、高価で高い関税が必要でした。

 一般の家庭では初等教育を終えた子どもたちは働き始めます。といっても労働時間は朝から昼までの6時間程度ですから、現代のブラック企業とは話にならないほどの時間です。


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ラベル:カエサル ローマ
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2017年01月03日

ローマ2 庶民の暮らし5 教育事情と、奴隷供給不足が死活的問題になるローマの事情

 一方で貴族の子弟は高い教育を受けましたが、彼らも体罰からは逃れられませんでした。黙読はまだ生まれていませんでしたから、全て音読でした。ローマ法などが暗記させられたようです。教師はかなり激しい体罰を奮ったようです。字は必ず右手で書くように強制されたそうですので、左利きには受難の時代でした。ただ、日本語を含む多くの言語は書き順が右利き有利になっています。右手で書くのは、そういう点では合理的だったかも知れません。私の息子も左利きですが、字を書くのだけは右手に矯正しています(箸の使用は左手)。そして、科学技術は軽視されました。私はエンジニアなので、ローマが滅んだ理由はまさにここにあるように思ってしまいます。

 トイレは有料で、トイレットペーパーの代わりに水に浸した海綿が使われました。冬には床暖房が入るトイレもあったそうです。尿は洗濯に用いられ、大は下水を通ってテヴェレ川に流されました。下水道は整備され、場所によっては直径5メートルにもなりました。下水だけではなく、肥溜めも利用されています。

 道路は狭く、荷車が対向して走れるような道路は2本しか無かったそうです。そのため、私的な車の利用は禁じられ、富裕層は座輿(ざよ)、臥輿(がよ)と呼ばれる輿を使いました。手押し車も使われたそうです。それを引くのは当然奴隷でした。

 奴隷市が立ち、日によって異なる種類の奴隷が売られました。奴隷についてはスパルタカスのところで触れた通り、ローマの生活に奴隷は必要不可欠でした。生活インフラやら家電代わりの労働者でしたから。以前も同じことを書いた通り、現代では奴隷を維持するよりも電気代を払う方が遥かに効率が良く、経済的負担も軽いから奴隷など不要なだけです。セネカのように批判的な人物も居たのですが、他は概ね受け入れていました。それどころか、不足に悩んでいました。『ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎』にある通り、ローマの崩壊には奴隷不足も深く関わっているという説もあります(他にも塩害やらマラリアやらいろいろな説があり、1980年代に既に200を超える滅亡説のバリエーションがあったそうです)。

 沈下しつつあったローマ人国家がその広大な領域にわたって抱えていた最も重大な国内問題の一つは、周知の通り、僕婢労働力の著しい不足であった。奴隷の使用は、その数がかなり増加したとは言うものの、ローマの世界経済発展に伴って上昇した新たな需要に応じることはできなかった。ことにそれは、大規模経営(ラティフンディウム)がアフリカのそれを別として漸次不振の度を加え、国家の財政的関心もともにコローヌス制による小農民的経営の発展を助長するようになって以来、いっそう顕著になった。



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2017年01月04日

ローマ2 庶民の暮らし6 奴隷と密告者と子殺しのローマ(住みたくない……) #ローマ #スパイ

 ローマは捕虜を奴隷としたり、軍に組み込んだりして、ローマを支える一助としていました。借金のカタや生活に困窮して自ら奴隷になる者もいました。前者はガレー船の漕手のように過酷な重労働であっというまに命を落とすようなことをさせられましたから、幾ら補充しても足りなかったのもむべなるかな、です。おまけに新たな地域を支配に組み込むには凄まじい苦労が伴いましたから。

 奴隷が得られなくなると、それまで奴隷が重要な役割を果たしていた仕事にも自由民が就くようになります。例えば、ガレー船の漕手も後には自由民が就いています。

 ローマは寛容な社会ではありましたが、至るところに密告者が居たのも事実です。密告者たちは例えば初期のキリスト教のように、ローマの支配体制を覆そうとしていると考えられた存在を見張っていたわけです。旧東ドイツでは国民の3人に1人が密告者だったと言われますが、流石にローマ時代はこれほどではないでしょう。江戸時代も同じだったように密告は盛んだったので、権力者が絶対的な権力を握る専制政治や共産主義ではどこも同じだと思えば良いでしょう。そもそも、友人と自由に集まって何でも話せるのは、人類史上で見れば極めて稀なことなのです。

 同じように、子供の人権を大切にするのも現代だけのことです。柳田国男がどの家にも男女1組の子供がいる(他の組み合わせはない)村を紹介していますが、これは生まれてきた子供が既に設けた子供と性別が同じなら殺してしまっていたという話で、日本でもほんの少し前まで不要な子は殺しても罪だとは思われていませんでした。全員育てていたら資源不足になるという切実な理由が背景にあったわけですが。

 ローマも特に子どもを大切にしていたわけではありません。主人が子供を養育しないと決めれば、助産婦が現代風に言えば赤ちゃんポストのようなところに赤ちゃんを放置してきます。拾った者はその子を自由にできます。奴隷にしても良いし、娼婦にしても良いのです。障害を持つ場合には、その場で窒息させられることもありました。やはり、現代に生まれたことは幸せなことのようです。


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2017年01月05日

ローマ2 社会改革1 コショウ輸入ルート確保と結婚の義務化 #ローマ #アウグストゥス #スパイス

 アウグストゥスに話を戻しますと、人気の香辛料、コショウの入手ルートを確保しようとしたことも人気取りとして良いでしょうか。

 ローマでは黒コショウと長コショウのうち、辛味の強い長コショウの方が人気がありました。とはいえ、コショウは原産地が遠く、複数の国を通ることから関税がかけられ、非常に高価でした。

 前24年、アウグストゥスはエジプトの官吏に対して砂漠の商隊が握るコショウの交易ルートを奪うよう、指示を下します。ローマ軍は輸送ルートを突き止めようとエジプト沿岸部を探しますが、商隊は内陸部のルートを使っていたため、見つけることはできませんでした。ローマ軍は目的を達成できないまま、遠征につきものの病気と飢え苦しんで撤退を余儀なくされています。

 結局、インドの使節がアウグストゥスに交易を持ちかけてきたことで、従来よりも安価に入るようになっています。商人たちも、輸送ルートを発見されて利益を奪われるより遥かにマシだったことでしょう。

 交易ルートが次々に開かれ、東南アジアからのウコンやアロエ、中国からのシナモン、インドからのコショウやショウガやナツメグが入手可能でした。オリーブオイルの輸入にはアンフォラが使われました。油の染みこんだアンフォラは再利用できないため、砕かれて1箇所に捨てられます。今ではそのアンフォラ廃棄物でできた丘がある程です。

 西欧が弱体化し、インドとの交易ルートが失われ、香辛料が高騰したことが後の大航海時代を生むのかと思うと感慨深いものがあります。

 現代社会からすれば信じられないでしょうが、アウグストゥスは結婚制度を国家管理へと変え、結婚を義務化しています。独身者には経済的罰則がありました。

 罰則と言えば大げさかもしれません。なんとなれば、国による子育て支援が充実している国は、子供を持たない者には相対的に重税となっているわけですから、独身者への罰則と言えなくもないからです。。子育ては個人的な側面もありますが、次世代の労働力を再生産する現場でもあります。優れた能力や特性を持つ者を育てるために投資をするのはおかしなことではないでしょう。


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