2016年12月01日

ローマ2 内乱2 賽は投げられた カエサル、ルビコン川を越えてローマへ進む

 カエサルは属州総督を解かれ、ローマへの帰還を命じられました。ローマ市内では非常事態宣言が出され、カエサルの動きに備えて軍が続々と市内に入ってきます。ポンペイウスは半分いやいや担ぎ出された格好でしたが、カプアの2個軍団に加え、新兵を徴募して自軍を強化します。

 物々しい雰囲気に、カエサル派のクリオやアントニウスは奴隷に変装してローマを脱出するとラヴェンナにいたカエサルの下へ逃げ込みました。

 ローマに帰ろうとしていたカエサルは、軍を率いたままローマに入ってはならないという国法に従ってルビコン川の手前で停止していたのです。

 事がここに至れば、カエサルにとって軍を捨ててローマに向かうことは破滅でしかありません。

 カエサルは兵士たちを集めると、「賽は投げられた」と演説し、ルビコン川を渡ってローマに向かいました。

 尚、この印象に残るフレーズは、メナンドロスという作家からの借り物ということですが、今ではすっかりカエサルの言葉として有名になり、もう決着がつくまで後には引けないことを示す言葉として今も使われています。

 ルビコン川を越えれば、そこはローマに入ったものと見なされたそうです。彼が国法を破ったのは、将にこの瞬間でした。このことから、「ルビコン川を渡る」とは大きな決断を行うことの喩えとなっています。

 なお、賽とはサイコロのことです。とは言っても、現代風の規格化された、各々面の出る確率は平等なサイコロなど、望むべくもありません。そこで、6つの面を持ちながら形は不揃いの石のサイコロを交互に投げ合い、より出にくい目を揃えた者が勝ち、というゲームが行われていたそうです。不揃いでも、同じサイコロを使えば平等ですからね。

 進むと決まればカエサルの動きは迅速でした。ガリアに残してきた軍の集結を待つことすら無く、手持ちの軍だけでローマ目指して一気に突き進みます。

 ポンペイウスはこの時点で自分が抱える軍勢ではカエサルの勢いを支えられないと、ローマを捨てて南方へと逃げます。この際、ブルトゥスやクラッススがパルティアで敗北し殺された後に軍を率いたカッシウス・ロンギヌス、元老院議員の面々も付き従っています。


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2016年12月02日

ローマ2 内乱3 カエサルの愛人の子、ブルトゥスという人物について

 少し前まで元老院は躍起になってポンペイウスの提案を拒否し、彼の力を削ごうと努力してきたことを思い起こすと、皮肉を感じずにはいられません。

 ここで少々ブルトゥスについて書いておきましょう。

 マルクス・ユニウス・ブルトゥスの遥か先祖のルキウス・ユニウス・ブルトゥスについて建国神話で触れました。最後のローマ王、タルクィニウスの復権を食い止めるため自分の息子まで殺して王政への回帰を防いだ伝説的な人物です。ちなみに、ブルトゥスとは「愚か」の意味です。ルキウスは愚鈍を装って王の傍に侍り、チャンスを狙っていたのです。

 ルキウスは息子を殺してしまったにも関わらず、どうしたわけかブルトゥス家はローマの名門となっています。マルクスの同名の父(大ブルトゥス)も、護民官としてカプア市創設に関わる活躍を見せています。大ブルトゥスはスッラとマリウスが争った際、マリウス派に付きました。そのため、スッラが権力を握った後は親マリウス派の蜂起に加わり、ポンペイウスの討伐で戦死しています。

 マルクス(ややこしいので、これ以後はマルクス・ユニウス・ブルトゥスをブルトゥスと呼ぶことにします)はこの父と、母セルウィニア・カエピオニスの間に生まれました。セルウィニアは夫の生前からカエサルの愛人でした。そのため、ブルトゥスはカエサルの子であるとの風説が当時からあったそうです。セルウィニアは小カトーの同母姉弟(異父姉弟)ですから、ブルトゥスは小カトーの甥に当たります。ブルトゥスは政治家としてのキャリアを積み始めてから、小カトーの補佐官となっていますから、共和制に傾倒したのはこの叔父の影響かも知れません。三頭政治がローマ政治を壟断した際にも、ブルトゥスは反三頭政治側に身を置いています。

 ポンペイウスはブルトゥスにとって父の敵でしたが、軍事力によって共和制を覆そうとするカエサルという脅威を前にした時、彼は共和制を擁護する者としてポンペイウスを理解することとし、南方行きに従ったのです。彼らにとってカエサルが行っているのは共和制を破壊しようとする試みにしか見えなかったのでしょう。あるいは、彼らは正しくカエサルを理解していた、というべきかもしれません。もっとも、ポンペイウスも三頭政治の一員として共和制を無視する姿勢を示していたのですが、それは体よく忘れることにでもしたのでしょう。


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2016年12月03日

ローマ2 内乱4 ポンペイウスはローマを明け渡して東方へ向かい、カエサルはその後を猛追する

 さて、ポンペイウスたちは南方へ逃げましたが、ドミティウスだけは徹底抗戦を叫び、同盟市戦争でイタリアの首都とされたコルフィニウムに籠城します。しかし、カエサルの鍛え抜かれた軍勢が町を包囲すると、誰も彼の味方にはなりませんでした。人々は降伏を唱え、徴兵された兵士たちまで同調する始末です。ドミティウスは味方の手によって捕らえられ、カエサルの前に引き出されました。

 プロパガンダにも長けたカエサルは、ドミティウスを放免しています。

 一方、イタリア南端のブルンディシウムに至ったポンペイウスはイタリア本土での戦いを諦め、ギリシアへ渡るべく準備を整えます。

 カエサルはここで逃せば優位が失われると、コルフィニウムから急いで南下し、ブルンディシウムを囲みます。ブルンディシウムでは既に第一弾の移送船団は出発していたのですが、ポンペイウスらはまだ残っていました。カエサルは港を塞いで封じ込めようとし、ポンペイウスは櫓を立てた船でカエサル軍の船に矢や礫を雨霰と落とします。

 包囲が完成する前に、輸送船団がブルンディシウムに入ることに成功します。夜、ポンペイウスたちはブルンディシウムを脱出してギリシアへ向かいました。動きを察知したカエサルは町に突入しましたが、町は既にもぬけの殻でした。

 どうでも良い話ですが、もぬけ(蛻)の殻とはヘビなどが脱皮して残した殻のことです。セミの抜け殻をイメージすれば、ガランとした様子が良く分かりますね。

 東方といえば、かつてポンペイウスが大遠征でシリアを滅ぼし、イスラエルのほとんどの地域を奪った地域です。権力基盤が東方にあったからこそ、ポンペイウスはギリシアへ脱したのです。

 皮肉なのは、かつて元老院に対抗するために三頭政治を敷いたポンペイウスが、あたかも元老院を護るような立場になっていることでしょう。ポンペイウスと元老院が仲良く亡命生活とは、数年前なら誰一人想像しなかった出来事のはずです。

 ポンペイウスは直ちに東方に配属されていた軍を手中に収め、ガラティアやカッパドキア等の東方諸国からの援軍も続々とポンペイウスの下へ駆けつけます。

 更に、西方でもポンペイウス派は動きます。ポンペイウスはスペインにおける反スッラ派の反乱を叩き潰したように、西方にも基盤を持っていたのです。


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2016年12月04日

ローマ2 内乱5 カエサルとポンペイウスはギリシアで激突、敗れたカエサルは東へ逃げる

 皮肉なのは、かつて元老院に対抗するために三頭政治を敷いたポンペイウスが、あたかも元老院を護るような立場になっていることでしょう。ポンペイウスと元老院が仲良く亡命生活とは、数年前なら誰一人想像しなかった出来事のはずです。

 ポンペイウスは直ちに東方に配属されていた軍を手中に収め、ガラティアやカッパドキア等の東方諸国からの援軍も続々とポンペイウスの下へ駆けつけます。

 更に、西方でもポンペイウス派は動きます。ポンペイウスはスペインにおける反スッラ派の反乱を叩き潰したように、西方にも基盤を持っていたのです。

 前49年、カエサルは自分に忠実なマルクス・レピドゥスを法務官としてローマを任せると、西方へ向かいます。僅か数ヶ月でスペインの反乱を鎮圧すると、ポンペイウスが待ち構える東方へ向かいました。

 しかし、東方でカエサルは苦戦します。補給線の伸び切ったカエサルに対し、ポンペイウスは戦いを挑まれても応じずに持久戦に持ち込んだのです。

 飢えに苦しんだカエサル軍は野生の草の根でパンを焼くと、不屈の闘志を表すかのように敵陣に投げ入れました。

 ポンペイウスは敵の士気が旺盛なことを味方が知れば怖気づくのではないかとの懸念から、草の根のパンのことは口外無用と命じます。しかし、いくらカエサルと言えどもこんなにも困窮している中ではとても戦いなどできません。

 ポンペイウスの目論見通り、カエサル軍は飢えて戦力を落としていましたから、いざ戦いが始まるとポンペイウス軍には抗し得ず、敗北を喫します。

 意外なことに、カエサルはローマに逃げ帰るのではなく、東方へ向かいます。

 もしこの時、ポンペイウスががら空きとなったローマに向かっていたら、歴史は大きく変わったことでしょう。クレオパトラの鼻が高かろうが低かろうが、歴史には影響を与えなかったと思われます。

 しかし、ポンペイウスは陣地に小カトーを守備隊として残すと、逃げた旧同盟者を追ってギリシア北部へ向かいました。両軍はファルサロスの地において再び対峙します。

 カエサルは一大会戦により一挙にポンペイウスを屠らんと挑発を繰り返すのですが、戦巧者のポンペイウスはそのような乾坤一擲の大勝負には乗りません。いえ、乗らないはずでした。ポンペイウスの戦略を狂わせたのは、かつての敵で、今は仲良く野営生活を送っている元老院議員たちからの突き上げです。


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2016年12月05日

ローマ2 内乱6 ポンペイウスは持久戦に持ち込むことを狙ったが、部下の突き上げで開戦に追い込まれる

 元老院議員たちは、ポンペイウスは王様ぶって他人に命令することにばかり精を出しているだとか、他の高官を奴隷扱いして喜んでいるだとかの悪口を連ね、戦おうとしないポンペイウスを非難したのです。

 ポンペイウスは戦闘を開始する決断をしぶしぶと下しました。

 しかし、戦うべきかどうかは、軍の司令官だけが握っておくべきことです。知識や経験のない人々が入った多数決などで決めるようなことではありません。

 元老院議員たちは凱旋帰国後の自分たちの昇進について夢中になって取らぬ狸の皮算用をしたそうですが、後の歴史を見れば彼らの行動は失笑ものです。

 その夜、ポンペイウスはこれまでの戦争で得た戦利品をウェヌスに捧げる夢を見て目覚めました。良い兆候でしょうか?いえ、カエサルはウェヌスの子孫を自称していましたから、この夢は自分の功績を全てカエサルに捧げることになる、という悪夢だったのです。

 『ルビコン―共和政ローマ崩壊への物語 (INSIDE HISTORIES) - 』から引用します。

 これは正夢となった。翌朝、敵の二倍以上の兵を擁しながら、敗走したのはポンペイウス軍の方だった。カエサル軍では、槍は投げるなとい命令が出ていた。投げる代わりに手に持ったまま、敵の騎兵の顔をねらって刺せと命じられていたのだ。騎兵は全員が貴族で、ハンサムなことを自慢していたからである。昔は最高のダンディーで鳴らしたカエサルならではの見事な戦術だ。ポンペイウス軍の騎兵隊は、Uターンして逃げ出した。続いて、軽武装の投石兵と弓兵が、バッタバッタと切り倒される。左翼を率いるドミティウスは、指揮下の軍団が崩壊して戦死。カエサル軍は、ポンペイウス軍の戦線を回りこみ、後方から攻め立てる。戦闘は、正午には集結。その夜、カエサルは、ポンペイウスのテントに座り、ポンペイウスの料理人たちが用意した戦勝記念のごちそうを、ポンペイウスの銀皿に盛って食べたのだった。


 アレクサンドロス3世にしても、ハンニバル・バルカにしても、大勝利には敵の側面ないし後方に回り込んで包囲殲滅していますね。カエサルもこの勝利への道を正しく理解し、活用していました。

 戦争が終われば敗戦処理が待っています。カエサルは捕虜となった者を赦しました。ケルト人は散々な目に遭わされたのに、ローマ市民だと扱いが違いますね。

ルビコン―共和政ローマ崩壊への物語 (INSIDE HISTORIES) -
ルビコン―共和政ローマ崩壊への物語 (INSIDE HISTORIES) -


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