2016年10月01日

ローマ2 マリウスの栄光11 スッラの搦手からの謀略戦でユグルナ戦争は終結 一方、その頃北方では

 軍制改革によって率いる兵士を手に入れたマリウスは、ユグルタとユグルタの義父でマウレタニアの王ボックスに攻撃を仕掛けます。マリウスは野戦で小規模な勝利を得ますが、不利を悟ったユグルタがゲリラ戦に戻ってしまったため、戦線は膠着に陥ります。

 マリウスはこのままでは埒が明かないと判断すると、ユグルタお得意の賄賂攻勢を使って敵勢力の切り崩しにかかります。この搦手とも言える作戦を指揮したのがスッラという副官でした。スッラはボックスを取り込み、ユグルタからの離反を約束させます。ある宴席で、ボックスはユグルタを捕えるとローマに降伏しました。こうしてユグルタ戦争は終結を迎えます。

 ユグルタ戦争に勝利したことでマリウスは凱旋式を挙げる資格を得ます。ユグルタはこの凱旋式の見世物としてローマに連れて行かれ、前104年に処刑されました。

 面白く無いのはスッラです。ユグルタ戦争を集結に導いたのは、彼が謀略戦に辣腕を振るったからなのに、その功績はろくに認められずにマリウスが栄誉を独占しているわけですから。マリウスとスッラの間に芽生えた敵愾心は、この後にローマを激動の渦に叩き込むことにつながっていきます。

 随分と遠回りをしてしまいましたが、この辺りで北方の騒擾へ話を戻しましょう。

 マリウスが北アフリカで勝利を重ねる間にも、北方からはテウトニ人とキンブリ人が迫ってきていました。その数、30万人とも言われることは紹介した通りです。前105年、ローマは10(または12)個軍団と4万の属州兵からなる8万の軍を送ります。軍を率いたのは、執政官のマキシムスと、属州ガリア・キサルピナ総督のカエピオです。

 マキシムスは勇躍北方に対応するために出撃しました。しかし、彼には獅子身中の虫とでも言うべき敵がいました。他ならぬ、総督カエピオです。名門中の名門に生まれ育ったカエピオは平民上がりのマキシムスと共同歩調を取ることを拒否、単独で敵中に突き進み、惨敗します。キンブリ人は勝利の余勢を駆ってマキシムスの軍にも襲いかかり、川辺に追い詰めて散々に打ち負かします。 アラウシオの戦いと呼ばれるこの戦いで、ローマは8万の軍がほぼ全滅するという大敗を喫しました。死者の中にはマキシムスの息子も含まれていましたが、カエピオとマキシムスは生き残り、ローマへ戻ります。


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2016年10月02日

ローマ2 マリウスの栄光12 ローマは北方での戦いに惨敗したが、マリウスが再戦して大勝する

 カエピオの愚かな敗北には、カルタゴならずとも厳しい処罰を与えたくなるでしょう。無傷で生き残ったカエピオは市民権を奪われ、莫大な賠償金を課されてローマからアジアへ逃げてその地で病死します。

 カンナエの戦い以来の大敗北に危機感を募らせたローマは、まだ北アフリカから帰国していないマリウスを翌前104年の執政官に選出します。ローマの怯えは相当なものだったと見え、北方の脅威が去る前100年までの間、マリウスは執政官職に留まり続けます。異民族に蹂躙されるより独裁者を仰ぐ方がマシ、という現実的な判断が働いたからでしょう。なんと、マリウスは同僚執政官を選ぶ権利まで与えられたそうです。

 前102年、テウトニ族が南下しローマを目指しているとの報を聞いたマリウスは小高い丘の上に陣を構え、敵を待ち受けます。緒戦、ローマの補助軍が敗れて後退したため、テウトニ族軍は丘を駆け上がってローマ軍本体に攻撃を仕掛けようとします。しかし、孫子の兵法にある通り、高いところから低いところへ攻撃を仕掛けるのが有利なのです。マリウスは陣地から攻撃を仕掛けるのと同時に、密かに背後に回りこませていた伏兵に挟撃させることでテウトニ族を散々に打ち負かしました。テウトニ族軍15万のうち、9〜10万人が戦死したと伝えられます。

 もし、この戦いで攻撃側がローマだったらどうしたでしょうか。都市を攻略するときの定石通りに丘の上の軍を包囲して兵糧攻めとしたでしょうか。こうした丘の上に陣取る敵は囲んで糧道を断つのが正解なのです。丘の上に陣取る敵に対して勝利を得る戦いは、三国志で見ることになります。

 翌前101年には同僚執政官のカトゥルスがキンブリ族に敗れ、カトゥルス軍を追ってキンブリ族がローマに迫ります。20万のキンブリ族軍に対して、ローマ軍は8個軍団にカトゥルスの残兵を加えて4〜5万程度でしょう。キンブリ族は数を頼りにローマ軍に襲いかかります。しかし、プロとして鍛錬を重ねたローマ軍は、堅牢な陣地を築いて敵の進軍を食い止めると、背後に別働隊を回して挟撃、王と3人の副王の1人を斃し、残る副王2人を降伏させます。



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ラベル:ローマ マリウス
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2016年10月03日

ローマ2 マリウスの栄光13 キンブリ族への勝利により、5年連続6度目の執政官となり、第三のローマ建国者と讃えられるマリウス

 仲間の敗北を知ったキンブリ族の女達は、捕虜になり奴隷に落とされるくらいならと、我が子を絞め殺します。捕虜となった6万人は奴隷としてローマに連行されました。

 見事な勝利でローマに迫った危機を消し去ったマリウスは、民衆からの熱烈な支持の下に翌前100年には5年連続6度目の執政官となります。また、この功績により、ロムルス、カミルスに次ぐ第3のローマ建国者と讃えられることにもなります。それまでは執政官に連年再任されるのは戦争時に新たな執政官を選ぶ余裕が無い時期に限られ、平時は再選まで10年間のブランクを必要とされていたのを覆しての当選でした。

 マリウスはラテン市民権が与えられていた地域の、非有力者の家系を出自に持つためか、選挙では常に民主からの支持を必要としていました。また、民衆の支持を得るために、元老院の力を削り、大衆の地位を向上させようと一貫して取り組んできました。こうした路線の延長なのでしょう、マリウスはキンブリ族との戦いに勝利した後、従軍していた兵士たちにローマ市民権を与えます。

 戦場では無類の強さを発揮し、前代未聞の5年連続執政官当選という偉業を成し遂げたマリウスでしたが、政治的に見るべきなのはここまででした。彼には軍人としての才覚は溢れんばかりにあっても、国を政治的に安定させる能力には乏しかったようです。権力の絶頂にあった彼は自分の御し易い人物を高位高官に就けていきます。そのうちの1人サトゥルニヌスはマリウスの寵愛を笠に着て勝手な振る舞いを重ねた挙句、護民官選挙の対立候補を暗殺する挙に出た挙句の果てに、元老院から弾劾されると反乱を起こす始末。マリウスは流石にこの愚かな反乱に加わることはせず鎮圧に回ります。

 しかし、非保護者だったサトゥルニヌスの暴挙にマリウスの権威は失墜し、翌年にはメテッルスが復権(メテッルスはこれより先にサトゥルニヌスらの策謀によってローマを逐われていました)、7度目の執政官への道は完全に断たれたかに見えました。


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ラベル:マリウス ローマ
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2016年10月04日

ローマ2 マリウスの栄光14 マリウスの改革で目覚めたラテン同盟、市民権を求めて反乱を起こす

 この後、歴史は彼に想像もしなかったような役割を担わせます。マリウスの7度目の執政官がどのようなものになるか、もう少々お待ち下さい。

 ローマ政界のトップ争いは一先ず措き、マリウスの改革による副次的な作用に目を向けましょう。

 従来はローマ市民しか正規軍には組み込まれませんでしたし、補助軍として動員される外国の軍は正規軍より負担の軽い任務しか与えられませんでした。ところが、マリウスの軍制改革によってこうした垣根が取り払われたわけです。市民権を保有しようと保有しまいと同じ任務を割り当てられるのなら、権利も等しくなければ不平等。遥か後、アメリカがイギリスから独立する際にも、課税は押し付けられても代表を選ぶ権利が与えられなかったことが不満としてありましたから、これは時代を問わず人が感じる不満なのでしょう。

 マリウスの改革は人々の権利意識というパンドラの箱を開けた格好となりました。この後も、ローマ権の付与拡大を求める声は大きくなっていきます。そして元老院は既得権益を失うことを恐れ、反対に回ります。

 何が待っているか、民主主義発展の歴史を見れば火を見るより明らかでしょう。そう。市民権を求める人々と権力を握る人々の対立が先鋭化していくのです。

 前91年、護民官のドルススが暗殺されます。暗殺犯は明らかになりませんでしたが、その動機は明らかでした。その直前、ドルススは同盟市に対して市民権を与える法案を提出していたのです。犯人は市民権拡大を喜ばないローマの保守派、つまりは既得権益にズブズブの富裕層です。

 それまでローマの忠実な友としてポエニ戦争を始めとする種々の戦争を戦い抜いてきたイタリアの諸都市は絶望します。ポエニ戦争の頃はまだローマが一番過酷な戦場を請け負っていましたが、今では出身に関わらず、平等に任務を割り当てられるようになりました。それなのに、ラテン同盟の人々にはローマ市民権は与えられず、兵力供出の義務だけは負わされていたのです。

 翻って鑑みるに、同一労働同一賃金という動きはラテン同盟の要求と軌を一にしますね。正社員かどうかではなく、どのような働きをするかによって給与が決まるのは、私には悪く無いように思われます。


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2016年10月05日

ローマ2 同盟市戦争1 半島の諸都市、子牛を意味するイタリアを名乗って反乱を起こす

 ラテン同盟はローマ支配からの脱却を求めて反乱を起こします。

 不満なのは将にこのローマとの格差でしたから、反乱を起こしたものの、ローマ的な体制からの離脱は考えもしませんでした。彼らは独自の元老院を作り、通貨を発行します。首都はコルフィニウムとされ、「子牛」を意味するイタリアという国名を名乗りました。イタリア半島南部では多数のウシが飼育されていたためです。それにしても、自分たちの国を作ろうという時に、ウシと名乗るセンスは素晴らしいと思います。日本で言えば、例えば壬申の乱で大海人皇子が牛国と名乗って独立を図ったようなものですよ?

 いずれにしても、彼らの名乗ったイタリアという国名が、現代のイタリアに繋がっていきます。

 例え少し前までの同盟軍だとしても、売られた喧嘩は買うのがローマです。彼らは直ちに兵を発して反乱の鎮圧に向かいます。こうして、かつての同盟市との戦いだったことから同盟市戦争と呼ばれる戦いが始まります。

 ローマ市民権付与を巡って、国同士は不幸にして戦争となったわけですが、兵士たちにはまた別の感慨があります。敵陣に居るのはかつて肩を組んで共に戦った戦友なのですから。あちこちで戦いを放棄し、敵陣にいる友人を呼び合う兵士たちの姿が見られました。指揮官の間でも議論の場が設けられます。そして、イタリアの人々がローマ市民権を望んでいるのだから認めてあげよう、という味方の兵士の思いもローマ中枢に伝わりました。

 しかし、ローマに内在する戦争を望む機運は決して衰えません。更に、戦況の優位さもローマに有利でした。周辺の国々はローマ支配下に留まりましたし、ローマは海外からの援軍を期待できましたから。同盟市は10万もの軍勢を揃えていたために緒戦でこそローマに勝利しましたが、ローマは短兵急に撃って出ることはせず、持久戦に徹します。

 準備が整うと、ローマ軍は攻勢に出ます。特にスッラは縦横無尽の働きを見せます。スッラの名前は既に見ましたね。マリウスの副官としてユグルタ戦争に参加し、謀略を持って戦争を終わらせた人物です。



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