2016年09月01日

ローマ2 ローマの技術1 鉱物資源の利用に長け、優れた技術で道路を建設したローマ人

 北欧神話に関してはまた別の機会で紹介したいと思いますが、それが何時になるのかは不明です(そこまで私のやる気が持つのかも疑問ですが……苦笑)。

 話が逸れてしまいましたが、ついでに他の技術についても見てみましょう。

 ギリシアよりもローマの方が優れていたところもあります。特に鉱物資源の利用に欠かせない選鉱技術はギリシアより進化していました。また、ローマ人からは水カタツムリの名前で親しまれたアルキメデスの揚水機や水車のような揚水装置はギリシアで発達しています。もっとも、初期の水車は現代の私達が想像するような縦回転ではなく、横回転でしたから、共和制ローマにタイムトラベルしたとしても、今日のオランダのような風景を見ることはできません。

 弩砲のような発射装置を使うために道路が整備されたことは既に触れています。繰り返しになりますが、少々書いておきましょう。

 最初の幹線道路であるアッピア街道が前312年に着工され、カプアまでの260キロを結んだことを皮切りに、1-2世紀には北イギリスからサハラまで、モロッコからユーフラテス川までを結ぶ長大な道路網を完成させています。50キロ毎に井戸や水槽を整備し、マイルストーンも建てています。路面は凸型で、雨水は側溝に流れるよう工夫されていました。

 また、可能な限り直線状になっています。障害は極力避けていましたが、避けられないならトンネルや切通しを作っています。但し、イタリア本国では地形の問題からなかなか直線にできず、ローマに入る道路では唯一アッピア街道だけが直線です。

 道路網の整備はペルシア帝国の王の道で既に見られますのでオリジナリティが有るわけではありませんし、使われた技術は先行するエトルリアないしギリシアに依存していた可能性がありますが、ローマの道路の規模は特筆しておいて悪く無いでしょう。

 皇帝の特命があれば、最速で1日240キロで手紙が届けられた記録があるそうです。

 道路はローマが精強なうちは維持されましたが、4世紀には維持すらできなくなり、以後は、ローマの衰退と同時に衰えていきます。


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ラベル:ローマ 技術
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2016年09月02日

ローマ2 ローマの技術2 ローマといえばやっぱり道路と水道! 優れた土木技術

 水道も有名ですね。特に水路橋が有名ですが、水道は主に地下を通っています。アジアで発達したカナートと同じですね。地下水道の途中には、サイフォン現象を使って一度高い所に水を導いていることもあります。

 ギリシアの事例になりますが、ペルガモンの水路橋の場合、山岳にある水源は標高1174m、ペルガモンの砦は標高332mにあります。山と谷を越えて水を運んでいますので、最も低い地点では172mまで下がり、そこから標高を上げて233mの丘を超え、更に195mに下がってから砦に導かれています。標高が上がるところはサインフォン現象を使っていました。

 ローマは先発するこうした技術を更に発展させています。ローマの水道橋にはエトルリア人から得た技術と思われるアーチ構造が用いられました。水路は厳密に組み立てられており、1kmでたったの34cmしか高低差がない水路が延々と伸びていました。ニームへの水道橋は勾配8度を保ち、三層構造で最上階を水が、残りは人が通行するようになっていました。

 11本の水道は、ローマに1日あたり100万m3もの水を運んでいたそうです。ローマ市民1人あたりに換算すると1,000リットルにもなるとされ、これが本当なら現代の東京よりも水を豊富に使えた計算になります。もっとも、ローマの水道には蛇口が存在しなかったため、必然的に垂れ流しです。入ってきた水が全て使われた訳ではないので、実際の利用量から言えば現代都市の方が多いでしょう。

 都市部に到達した水道は、更に細分化された水道管を通ってローマ市内に分配されました。

 鉛は柔らかく、融点は327.5℃と鉄(融点は1,538℃)と比べて加工しやすいことから、鉛が多用されました。使用料の多さから、鉛は「ローマの金属」と言われた程です。食器や鉛甲冑にも使われた他に、水道の配管の一部にも使われていました。鉛中毒による多少の健康被害はあったかもしれません。


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2016年09月03日

ローマ2 ローマの技術3 ローマを滅ぼしたとも言われる恐怖の甘味料サパと、銀採掘に伴う公害

 むしろ、サパという甘味料の方が危険だったことでしょう。サパは鉛の器にブドウ果汁を入れて煮込んだものです。ブドウに含まれる果糖が煮詰まって甘くなるのではなく、器から鉛が酢酸鉛の形で溶け出したことで、酢酸鉛の甘さが出るものです。しかも殺菌作用もありますので、当時の人々はサパを多用しました。。ワインがまろやかになり、長持ちするからとの理由でワインにもサパを入れています。

 当然、鉛中毒が問題になります。貴族階級に流産や死産が多く見られるのは鉛中毒が原因とも言われます。

 鉛の慢性中毒症について、『毒物雑学辞典』から引用しましょう。

 鉛塩による急性中毒は、水銀のような重金属中毒に似ているが、慢性毒性になると、灰色の鉛中毒独特の顔になり、歯肉上に鉛緑(コロイド鉛)を生じ、鉛中毒特有の痛みを生じる(この痛みはモルヒネでないと止まらない)。また、特有の鉛まひを生じ、重症になると、精神錯乱などを生じる

(強調は引用者による)

 幾人かの皇帝が治世の初期は名君として 振る舞いながら、後には暴君となって狂気に支配されたような行動に走った背景に、サパによる鉛中毒の影響を見る歴史家も居ます。

 経口摂取に加えて公害が大きな問題でした。

 バルカ家のスペイン支配を打ち破った後、ローマはスペイン経営に乗り出します。スペインの銀がハンニバルの資金になったことに触れた通り、当時スペインからは多くの銀が得られました。ローマが魅力的な銀鉱山を放置する訳がありません。銀がありそうなところは徹底して掘り返され、坑道は250平方kmにも及んだそうです。

 4万人の奴隷が働かされており、溶鉱炉からは大量の有毒ガスが発生しました。グリーンランドの氷河を分析しますと、まさにこの時期に鉛濃度が急上昇していることが分かっています。重金属汚染に市民の苦情が高まると、煙突を高くして対策したそうですが、重金属がより広範囲にばら撒かれるようになっただけにも思えます。


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ラベル:ローマ ワイン
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2016年09月04日

ローマ2 ローマの技術4 水運びという重労働 日干しレンガとコンクリートの街ローマ

 水に話を戻しますと、ローマのマンションの上階に水を運び上げるのは大変な労働だったことでしょう。人手しか頼るものがない中での水運びは重労働です。現代でも、発展途上国では幼い子どもたちが水運びに追われています。Sarah McLachlanのWorld On Fireのミュージックビデオでその様子を垣間見ることができます。



 ちなみに、こちらの映像は、通常1曲あたり15万ドル(おおよそ1,500万円)掛かるところを15ドルに押さえ、14万9985ドルを寄付した(そのため、コストは15万ドル)というものです。曲が素晴らしいだけではなく、その心意気も良いですね!

 技術関係の話ついでに触れておきますと、建物は石とレンガとコンクリートで作られていました。ローマ近郊は火山灰土で、石灰と混ぜると良質なセメントになったのです。テルマエのコンクリート建築にその使われ方を見ることができます。

 レンガは、共和制ローマの時代ではまだ日干レンガでした。アウグストゥスの時代に焼成レンガが使われるようになります。そのため、長期間の保存には適していない日干しレンガからなるアウグストゥス以前の建築物はほとんど残っていません。

 勿論、日干しレンガとコンクリートの家に住んでいたのは貧しい人々で、裕福な者は大理石で飾っていました。とは言え、この時代のローマはまだまだ貧しい都市です。ハンニバル戦争で農地が荒れ果て、相次ぐ戦争で復興が遅れたことから郊外の中産階級は壊滅します。属州からの収入や外国産の安い穀物が流入したことで、職を失って流動化した農民が大挙して都市部に入ってきます。5階建てマンションが多く建設されたのはこうした背景があるからです。

 建材の搬入で道が混雑するため、カエサルを始めとする支配者たちは建材の運搬は早朝または夕暮れに行うよう、繰り返し命令を下していました。ローマの街はゴミを街路に捨てる人々のせいで汚く、禁止令が出された程でした。街路は狭く、採光は不十分でした。ゴミゴミしていて狭い道ではしばしば渋滞が起こり、水を運ぶのに苦労するのですから、一般市民にとっては決して快適な街ではなかったでしょう。


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2016年09月05日

ローマ2 ローマの技術5 弱者はクリエンテス関係と呼ばれる富者との関わりで生き延びる ついでに食事について

 しかも、彼らにはろくに仕事が無いのです。もう少し後の時代ですが、水車が余りにも効率的に小麦を挽くことから、職を失うことを恐れた人々は水車導入に反対、皇帝も従わざるを得なかったほどでした。そこで人々は、有力者との間にクリエンテス関係と呼ばれる、「御恩と奉公」のような関係を結んで生き残ります。富裕者はクリエンテス関係を結んだより弱い立場の人々を庇護する代わりに、選挙の時には彼らの支援を当てにすることができたわけです。

 土建業者と政治家が結びついて公共事業の見返りに票を得るのにやや近い感じでしょうか。政治家の仕事の1つは職を確保することですから(失業者ばかりだと国が回りませんからね)、一概に悪いと言うつもりはありませんが。

 保護・非保護の関係はクリエンテラと呼ばれます自由民の殆どが自分より社会的な立場が上の者とこうした関係を結んでいたとされますから、クリエンテス関係を介して複雑なネットワークが張り巡らされていました。この関係を結んだ者の間では、毎朝非保護民は富裕層の下へ出向いて時候の挨拶をしたり願い事をしたり使い走りをしたりしていました。

 当然、元老院に属するような人々とは違い、下層民は食事も立派なものではありません。小作人の食事はエンマコムギかソラマメの粉から作った、塩味の濃いかゆに生野菜が中心でした。肉が加わることは滅多に無かったそうです。珍しく出てくる肉はヤギ、ヒツジ、ブタがほとんどでした。魚はほぼ食べていなかったそうです。ポエニ戦争まで海軍が無かったことを考えると無理も無いことかもしれません。富裕層で好まれた魚料理はギリシア文明の移入に伴って入ってきたものです。

 『保存食品開発物語』には「ローマ人は、ソースや漬け汁の香りづけにスパイスやハーブを多用し(たとえばアナゴにはマジョラムを使った)、塩魚の味に深みを与えた。(略)紀元後二〇〇年ころの作家アタナエウスは、魚の塩漬けのレシピを二〇〇種類ほど列挙している」とありますように、魚料理は定着後には高い人気を誇っていて、味付けもしっかりされ、ローマの食卓を彩っていました。
保存食品開発物語 (文春文庫) -
保存食品開発物語 (文春文庫) -


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ラベル:ローマ 技術
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