2016年08月01日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 ローマの勝利4 本国カルタゴの危機に、ハンニバル兄弟へ召喚命令が下る

 そういえば、三国志の泣いて馬謖を斬るで知られる馬謖は、重要な街道を巡る戦いで、総大将である諸葛亮の命令を無視して敗れ、それが全軍退却につながったことで知られます。彼についても、命令違反で処刑されたという話の他に、逃亡を図って捕らえられたという説があります。厳罰が待っているとなれば逃げるのも不思議ではないでしょう。北伐を目立たないながらも支えた王平という部将も、そういえば魏で処罰されるのを恐れて蜀に逃げ込んだ者でした。

 さて、シュファクスは捕らえられ、ローマに送られます。ヌミディアはマシニッサの支配するところとなりました。ハンニバルの勝利の影には強力なヌミディア騎兵がいましたから、これでカルタゴ側はかなり不利になりました。

 ハスドルバル・ギスコが舞台から姿を消し、カルタゴではバルカ家が力を盛り返します。

 まず、ハンニバルの甥にあたるハンノ・ボミルカル(カルタゴ人は似たような名前ばかりで困ってしまうのですが、第1次ポエニ戦争で傭兵団の反乱を引き起こすことになった同姓同名の人物とは当然別人です)が将軍に任じられます。カルタゴの目と鼻の先に迫るローマ軍を打ち倒すために彼らが頼ったのは、未だイタリアで細々と戦い続けるハンニバルと、その弟のマゴでした。こうしてイタリアのバルカ兄弟に帰還を求める使者が送られました。

 こうしてハンニバルとマゴは帰国を決意するのですが、兄弟の再会はなりませんでした。マゴはミラノ付近での敗戦で負った傷により帰国前に死去したのです。ハンニバルは弟のハスドルバルもマゴも失い、カルタゴへ帰還することになりました。

 一方、バルカ家とライバルに当たるハンノ家はローマと和平の道を探っていました。彼らはスキピオと交渉し、捕虜の返還、アフリカ外の領土の放棄、5,000タラントの賠償金、軍艦の保有を20隻までに制限、和平成立までローマ軍へ糧秣を補給することという要求を飲もうとしていました。

 スペインを失陥し、シチリア島もサルディーニャ島も復帰の見込みなど無く、軍も多くを失い、資金も尽きかけているカルタゴにとっての最善手は、屈辱的な条件でもスキピオの提案を飲むべきだったのではないでしょうか。仮にスキピオの軍を打ち破ったとしても、ローマにはまだまだ余力があることを考えますと、カルタゴがローマに自国有利な条件で講和を結ばせる力は無かったのですから。


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2016年08月02日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 ローマの勝利5 カルタゴの新兵も加えたハンニバル、ザマの地でスキピオと対峙する

 スキピオはカルタゴの港を封鎖していたこともあり、ハンニバルはカルタゴ南方の、バルカ家が所領を持つ土地に上陸しました。そこから北上してカルタゴへ向かい、途上ボミルカルからカルタゴ軍を引き継ぎます。カルタゴ軍はハンニバルがイタリアから連れ戻った1万5,000、マゴの配下だった1万2,000に加え、カルタゴからの市民兵、シュファクスの家臣に率いられたヌミディア騎兵2,000と、4万程度に膨れ上がります。

 ――ハンニバルが帰ってきた。

 その報せは和平に向けて動いていた人々の心をも動かします。ローマ元老院は(反スキピオ派が和平案の引き伸ばしを画策はしましたが)既にスキピオとカルタゴ和平派で結ぼうとしていた和解案の受け入れを認めていました。あとはカルタゴと正式に和平条約を結べばそれで戦争は終わっていたはずなのです。

 ハンニバルの威光に目が眩んだ人々は和平派を攻撃します。少なくとも、カルタゴ城内で戦争遂行派と和解派が争い、和解派の一部がスキピオに救いを求めたのは事実のようです。こうした時に、彼我の戦力差を冷静に見定め、熱しやすく流されやすい大衆の一時的な迷いに流されない定見を持った政治家が居れば歴史は異なる姿で進んだのかもしれません。しかし、カルタゴが選んだのは、講和条件が過酷であるとしてローマの提案を拒む道でした。

 カルタゴはローマへの食料補給を攻撃し、交渉成立までの停戦は終わりとなります。スキピオとハンニバルは決戦に向けて動き始めます。

 両者が出会ったのはカルタゴ西方のザマです。タイミングよく、戦場にはマシニッサが騎兵4,000、歩兵6,000を連れて到着、ローマ軍に合流します。マシニッサ軍を除いたローマ軍は歩兵2万9,000と騎兵2,500ですから、マシニッサ軍を加えて4万強となります。数字の上ではハンニバルとスキピオは互角の兵力を抱えていました。戦象部隊と重装歩兵に関してはカルタゴが、騎兵はローマが有利です。


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2016年08月03日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 ローマの勝利6 ザマの戦いの幕が切って落とされる

 真偽は不明ですが、伝説によると開戦前にハンニバルとスキピオが和平に向けた最後の会談を行ったとされています。ハンニバルは賠償額と戦艦の削減は重すぎるとして拒否しますが、アフリカ外の拠点放棄を受け容れると告げます。しかし、これはローマの受け容れるものではないでしょう。彼らは、戦えば勝つと思っていたのですから。スキピオは和解案を拒否します。こうして、ローマ・カルタゴ両軍により、後にザマの戦いと呼ばれることになる戦いの火蓋が切って落とされます。前202年のことです。

 ハンニバルは4列横隊を組みます。先頭は戦象、第2列に傭兵1万2,000、第3列にカルタゴ人とリビア人からなる新兵、第4列にハンニバル自身が率いる最古参の精鋭部隊です。その両翼にはハンニバルが大合戦の際に常にそうしていたように、騎兵隊が置かれます。右翼側にカルタゴ貴族の騎兵が、左翼側にはヌミディア騎兵が。最後列に決戦兵力を置くことで、あらゆる場合に対応できるようにしたわけですね。

 対するスキピオはローマらしく3列横隊の陣立てです。ローマ軍は通常市松模様のように兵と空間を配置するのが定石ですが、ここでは戦象の突撃を躱せるように部隊と部隊の間に道を開ける配置でした。カルタゴ軍同様に、右翼にマシニッサ率いるヌミディア騎兵、左翼にはローマ騎兵が置かれます。

 カルタゴに与した西ヌミディア騎兵とローマに従う東ヌミディア騎兵が正面からぶつかる形です。

 両翼に高い機動力を持つ騎兵隊を配備するのは、敵を包囲しようとする現れです。ハンニバルもかつてカンナエの戦いで、遥かに多い敵を包囲して打ち破っていますね。往時と比べますと、カルタゴの両翼には確かに騎兵部隊が置かれたのは置かれましたが、かつての精強を誇った騎兵とは質も量も落ちます。

 戦象部隊が地響きを立てながら突進することで戦いは始まりました。

 しかし、ゾウたちはローマ軍が作った隙間を通過し、ダメージを与えることはできませんでした。スキピオにはカルタゴ軍の戦い方を研究し、対策を練る時間が十分にあったことを伺わせる出来事です。


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2016年08月04日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 ローマの勝利7 スキピオの巧みな用兵の前に、ハンニバルは遂に敗れる

 カルタゴ軍両翼の騎兵隊は敵を引き寄せるべく、後退します。ローマ軍騎兵がこれを追います。ゾウの空振りは措いておくとして、ここではハンニバルが望んだ通りの状況が生まれました。カルタゴ軍第2列がローマ軍に突撃を仕掛けます。第2列の兵士たちはローマを相手に粘り強く戦いますが、徐々に押されてカルタゴ軍本営へと下がってきます。

 第3列に配置されていたのはカルタゴ人とリビア人からなる新兵でしたね。彼らは新兵故、どう戦えば効果的なのかすら分かりません。中には後退してくる第2列の傭兵部隊を敵と誤認して戦いを挑む者まで出る始末で、同士討ちを含む混乱した状況が生じます。ハンニバルは已む無く自ら指揮する第4列の最精鋭部隊を投入、ローマを押し戻します。

 この状況でスキピオの控えるローマ軍本体を打ち破っていれば、運命の女神はカルタゴに微笑みかけたかもしれません。しかし、現実は非情でした。カルタゴ騎兵を追っ払ったローマ騎兵とマシニッサのヌミディア騎兵が戦場に戻ってきたのです。ハンニバルの後方に。

 ハンニバル自身がトラシメヌス湖畔の戦いやカンナエの戦いで示した見事な包囲戦を、ハンニバルのお株を奪う形でスキピオが再現したのです。前後を挟み撃ちにされたカルタゴ軍にはもう為す術もありません。カルタゴ軍は2万に及ぶ戦死者を出し、ハンニバルはほうほうの体でハドルメトゥムに逃走しました。完敗です。

 スキピオ勝利を技術面から支えたのは、スペイン攻略で得ていたグラディウスでした。スキピオはこの剣の正しい使い方を習得させていたのです。ハンニバルの戦い方、そして優れた武器まで導入したスキピオの作戦勝ちでした。

 第2次ポエニ戦争初期におけるローマ軍の惨敗は、召集されたばかりの農民軍では、職業軍人からなるカルタゴ軍には対抗できないことを示したものです。長い戦役に鍛えられた軍と、ローマの戦術が組み合わさったことで、ローマはカルタゴに勝ったとも言えます。

 ローマには斃れた兵士の代わりとなる市民が居ました。徴兵された兵士たちは自分たちの故国を守ろうと意気も盛んでした。しかし、カルタゴにはそのような戦力はありませんでした。傭兵に頼ってきた市民には、ローマとまともに戦う力など残っていなかったのです。


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2016年08月05日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 ローマの勝利8 敗戦のカルタゴは過酷な条件での講和を余儀なくされる

 こうしてみると、スキピオという天才的軍略家はグラディウスの導入や反対を押し切ってのカルタゴ攻撃によって戦争終結を早めたとは言えるでしょうが、例えスキピオが現れなくともローマの勝利は変わらなかったように思います。

 カルタゴは使節を送り、スキピオと和平交渉に入ります。一敗地に塗れたカルタゴは交渉力が低下していますし、日和見主義に堕して一度は和平案を蹴飛ばしていますから、敗戦後にスキピオから突きつけられた案は過酷なものでした。

・アフリカ外の領土に加えてヌミディアを放棄すること
・軍艦保有数は20隻ではなく10隻とすること
・賠償金は5,000タラントから10,000タラントへ引き上げること
・貴族の若者100人を人質としてローマに差し出すこと
・アフリカ外で戦争をしてはならないこと
・アフリカで戦争を行う場合にはローマの許可を必要とすること

 これではもうローマの属領に近いものです。スキピオは拒絶するなら戦争を続けるまでだと最後通牒を送ります。ハンニバルはカルタゴ元老院に対して和平条約を受諾するよう説きます。ローマを生涯の敵とすると誓った男にすら、ザマの敗戦後の状況は絶望的なものだったのです。

 カルタゴは、何としても故国を守ろうという意欲に欠ける者が多かったとしか思えません。500隻に及ぶ船が燃やされたそうですが、それだけの船が有れば、ローマと海戦で雌雄を決することもできたのではないでしょうか。ローマが艦隊を失った時には富裕層が身銭を切って再建の費用を出したというのに、カルタゴでは同様なことは遂に起こりませんでした。

 第2次ポエニ戦争の敗北によって、カルタゴはアフリカの1勢力に過ぎない地位にまで転落します。この時から、ハンニバルは政治家として、戦略家としてカルタゴの舵をとっていくことになります。

 勝利の立役者、スキピオは、「アフリカの勝利者」を意味するアフリカヌスの名を与えられました。以後、彼をスキピオ・アフリカヌスと呼ぶことにしましょう。スキピオ・アフリカヌスの人気は沸騰し、帰国の2年後には筆頭元老院議員に選ばれます。


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