2016年06月01日

ポエニ戦争 カルタゴの歴史2 フェニキア人、テュロスを出てカルタゴを築く

 フェニキアとはギリシア人が使っていた呼び方で、フェニキア人のことをローマでは「ポエニ」と呼んでいました。このことから、3度にわたるカルタゴとの戦争をローマ側はポエニ戦争と呼びました。

 ポエニ戦争以前にローマとカルタゴは条約を結んでいます。

 条約は相互に利益を尊重するもので、カルタゴはイタリア半島におけるローマの覇権を認めてイタリアには介入しないこと、ローマはシチリア島の大部分をカルタゴが支配下に置くことを認めて西地中海では争わないことを約していました。

 ローマからすれば、不得意な海上輸送をカルタゴに外注し、しかも領土は保全できるのですから、願ったりかなったりだったのでしょう。しかし、ローマがイタリア全体にまで広がるとそうは言っていられなくなります。

 既に書いた通り、アレクサンドロス3世に従うことを拒んで破壊されることになるテュロスを母市として築かれた植民都市がカルタゴで、その名前の意味するところは「新都市」です。

 テュロスがバビロニアのネブカドネザルに破壊されて地中海におけるプレゼンスを失い、カルタゴの存在が際立つようになりました。テュロスはその後復活し、地中海を我が物にしていました。ギリシア征服を企んだアケメネス朝ペルシアの海軍は、主力がフェニキア人の手になるものでしたね。

 フェニキア人の航海術は図抜けていて、アフリカ周回を果たしていますし、一説にアメリカ大陸からもフェニキア文字が見つかっているそうですので、コロンブスに先立つこと2,000年も前に新大陸へ到達していた可能性すらあります。

 航海術に優れたフェニキア人のことですから、その技能を縦横に活かして貿易による利益を独占します。カルタゴはスペイン、フランス、シチリア、サルディニア、北アフリカに交易所を建設し、地中海西方を我が物顔に支配していました。

 貿易による利益を上げるカルタゴの繁栄は大変なもので、煌びやかな模様から地中海の宝石と謳われる程でした。カルタゴ市には2つの港があり、1つは軍港で1つは商業用でした。港が2つあるということは、常に乾ドックを使えるということですから、カルタゴの海上覇権を支える一助でした。カルタゴ市内の兵舎は兵士24,000、ウマ4,000頭、戦象300頭を収容できた、巨大なものと言われます。


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2016年06月02日

ポエニ戦争 カルタゴの歴史3 元老院による支配体制と、それを揺るがしたヒメラの敗戦

 町は丘を囲むようにして築かれており、丘の最も高いところには城塞が構えられていました。城塞内に作られた神殿に祀られたバアル神像の下からは幼児の骨が発見されていて、幼児がバアルへの生け贄に捧げられたという伝説を裏付けるものとも言われます。

 ただし、生け贄ではなく、死産の遺体であったり、障害のある赤ん坊が殺されていたのかもしれません。ローマでも奇形の赤ん坊は殺されることが多かったそうですから、カルタゴが特に残虐であるとはいえないでしょう。近代の日本でも、民俗学者の柳田国男がどの家庭にも男の子と女の子が1人ずつ居る村の記録を残しています。産み分けなどできるわけもありませんから、性別が被った子は殺されていたわけです。もっとも、生まれた子を全員育てようとしたら食料が不足して逆に家族全員が死にかねない、余裕のない社会では仕方がないことでしょう。

 いずれにせよ、バアルの足元から見つかった遺骨がどのような経緯でそこにあるのかについては、記録が失われてしまったためはっきりしたことは分かりません。

 人口について、地理学者ストラボンは市部だけで70万と記しているのですが、都市の規模から考えるとやや過大に過ぎるようで、市内20万人程度と、その周辺の支配地併せてのものかも知れません。だとしても大変な数で、地中海世界の西半分ででローマに比肩する力を持つ唯一の存在だったと言って良いでしょう。

 当然、地中海で強力な勢力が現れればカルタゴの利益とは背反します。アテナイを中心とするギリシアがペルシア戦争でペルシアを打ち破ったサラミスの海戦と同年(ヘロドトスによれば同日)、シラクサはヒメラの戦いでカルタゴを打ち破り、シチリア島での地歩を確立します。以後、シチリア島北部にはシラクサ勢力が、南部にはカルタゴの植民都市がそれぞれ割拠するようになります。

 ヒメラの戦いにおける敗戦は、カルタゴを大きく変えます。それまで貴族制をとっていたカルタゴでしたが、敗戦は貴族の信用度を失墜させ、共和制が取られるようになったのです。


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2016年06月03日

ポエニ戦争 カルタゴの歴史4 ローマ同様に元老院と民会を持つが、元老院の力ばかりが目立つカルタゴ政治

 ヒメラの戦いは、ペルシアに加担したカルタゴがシラクサのギリシア勢に敗れた戦いなので、専制政治に近い貴族制が嫌われた面もあるかもしれません。

 共和制とは言っても、支配領域に住む人々が平等に暮らしたことは意味しません。植民都市は母市であるカルタゴに完全に従属していました。この点は母市との関係をほとんど完全に絶っていたギリシアとは異なりますね。

 植民都市では軍隊や軍艦の保有は許されず、通商も母市相手のみに限定されました。それどころか、母市の船と競合する商品の輸送さえ禁じられたというのですから、圧政と言えるでしょう。

 ローマと同じように、議会は元老院と民会からなりました。最高政務官はこちらもローマ同様に任期は1年間で、再選禁止規定はありませんでした。

 一方で、ローマとは異なり、民会は力が弱く、貴族を中心とする元老院が力を握りました。交易を背景に、貴族層は富み栄えて支配と利益を独占する一方で民衆を守る護民官のような職責も置かれることはありませんでした。権力争いは激しく、有能な人物は排斥されることも多かったようです。我が国にも出る杭は打たれるという嫌なことわざがありますが、カルタゴも同じような状況だったのかもしれません。

 既に触れた通り、ローマでは国家危急の際には農民たちが集められ、兵士として命をかけて国を守りました。カルタゴでは、当初こそ市民を徴募して兵士としていたのですが、貿易で栄えるに連れてリビアのようにカルタゴが支配する地域から徴兵した部隊や傭兵が戦力の中核を占めるようになり、カルタゴの兵士は神聖隊と呼ばれるわずか2,500人の兵士のみとなります。

 傭兵への賃金支払いは財政を圧迫し、貴族たちは戦争に強力な指導力を発揮するより妥協に傾きがちだったとも言われます。商業で儲けばかりを追求する貴族たちにとっては、軍など財産を食い潰すだけの存在に見えたのかもしれません。彼らの海運事業は海軍の力の後ろ盾があってのものだと言うのに。

 カルタゴの傭兵の内、特に有名なのはリビアの黒人兵で、彼らは歩兵でも騎兵でもその中核を占めるようになっていきました。農民も支配されることは変わりませんでしたが、軍の必要性もあってか、徐々に地位は高まっていき、後には自由小作人まで引き上げられたそうです。


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2016年06月04日

ポエニ戦争 カルタゴの歴史5 敗戦の将軍は処刑されることも 軍を軽視するカルタゴ

 支配を受けたアフリカ系の人々への租税は25%と言いますから、現代日本のサラリーマンよりも被支配民のリビア人の方が税金は高かったという計算も可能です。もっとも、現代国家は社会インフラの整備や年金等の社会保険にかなりの資本投下をしているわけですから、税率だけで比べてはいけないでしょうけど。

 しかも、部隊は兵士の出身地ごとに分けられて組織としての統一は図られなかった上、カルタゴ兵とは装備もまるで異なりましたから、軍隊としての一体感など醸成すべくもありませんでした。

 カルタゴ出身者は鉄の胸当てと真鍮製の兜と大きな白い盾で武装していたそうですから、さぞ目立ったことでしょう。

 編成も装備もバラバラの軍隊でしたから、恐らく兵士のレベルでは他所の部隊とは会話すらままならないものだったでしょう。こうしたこともあり、カルタゴ軍は士官以上を全てカルタゴ市民が占めました。

 兵士たちはカルタゴのために命がけで戦うようなことはせず、金銭やカルタゴ支配に逆らうことができずにやむを得ず戦っていたのです。恐らく、こうした温度差はカルタゴ軍がローマに攻められてカルタゴ近くのザマへ迫った際、戦いの帰趨に影響を与えたのでしょう。もっとも、カルタゴの支配層にとっては、陸軍はリビア支配等の限られた用途に限定されるもので、安全保障は海軍が担うものだったでしょうから、体制が内在する問題には気が付かなかったのかもしれません。

 政治体制に話を戻しますと、貴族は完全に世襲で決まるわけではなく、財産で決まりました。 300人の貴族からなる元老院には30人の枢密院が置かれ、枢密院が将軍を選挙で選びました。

 枢密院は時代が下るに連れて変遷を重ね、やがて104人の政務官からなる100人会と呼ばれる最上位の組織へとその姿を変えていきます。100人会の任期は終身のものに代わり、権力をますます強めていくのです。彼らは将軍の選任や査定を行いました。敗北した将軍には処刑の可能性もあったほどです。


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ラベル:カルタゴ
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2016年06月05日

どうでもいいニュース解説 <原発事故>ネズミの精子 影響見られず

 河北新報が福島原発事故による避難区域に生息する野生のネズミについて、<原発事故>ネズミの精子 影響見られずとの記事を載せています。

 この記事によりますと、

精子の奇形発生率などに差異はなく、研究所は被ばくによる生息数の減少などは考えにくいとしている。


ということです。

 なぜ精子を調べるのでしょうか。

 射精一回に付き、数千万〜億の精子が放出されます。この大量の精子を作るためにある精原細胞は猛烈な勢いで細胞分裂を行います。放射線の影響はこうした増殖中の細胞ほど大きいので、放射線被曝の影響を計るのに最も適しているのが精子の異常なのです。

 一方の卵子は既に胎内で作られており、誕生後は増えることはありません。女性の生理とは、この卵子が1つずつ妊娠に向けて準備され、使われなかったために排除されていく過程です。しかも、出産時に100万程あった卵細胞が初潮時には20〜30万程度、400〜500回程度の排卵を経て0になると閉経するのですから、減少する一方というだけではなく、減少幅も大きいのです。

 増殖能の差は、精原細胞ではダメージを受けた細胞が早期に死に、新たな細胞が生まれてくることで回復が早いという側面もあります。勿論、細胞がガン化するところまでダメージを受けてしまえばおしまいですが。

 生殖細胞に異常が生じれば、精子にも異常がでます。妊娠させる能力を失ったり、動きが異常になったり、奇形となったりします。それが福島のネズミではどうだったのでしょうか。

 福島のネズミは中央値で1キログラム当たり2000ベクレルのセシウム137を検出したものの、不検出だった青森、富山のネズミと比べ、生殖細胞の細胞死頻度、形態異常の精子出現頻度に違いはなかった。


 内部被曝に加え、地面に触れながら生活していると言って良いネズミは外部被曝も大きくなります。それでも異常がないということは、放射性への感受性は種によって異なりますから、一概に本結果をあらゆる生物に当てはめるのは妥当ではないにしても、避難地域に生きる生物についてある程度の安心を与えるものです。また、避難地域の近くに住んでいる方々にとっても安心材料となるものでしょう。

 チェルノブイリでも、本当に危険な地域以外については、放射線被曝を過度に恐れて故郷を離れてしまうと人々の繋がりが失われることでストレスとなり、むしろ早死するというデータが有ります。

 放射線を正しく恐れるのは必要なことですが、自分たちがどのように行動すべきかはきちんと科学的な証拠に基づいて選択していかなければいけませんね。
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