2016年05月31日

ポエニ戦争 カルタゴの歴史1 地中海の覇権を握っていたフェニキア人

 ローマがイタリアを制した頃、地中海の制海権はカルタゴが握っていました。

 カルタゴは既に書いた通り、フェニキア人の建てたポリスです。フェニキア人は早くから優れた航海者として知られ、ペルシア戦争ではペルシア海軍の主力を担った程です。アメリカ大陸からフェニキア人のものらしい文字が見つかったというニュースもありましたが、それは眉唾で措いておくとしても、喜望峰を周ったことは確実ですから、大航海時代以前のヨーロッパを凌駕する行動範囲があったことは事実のようです。

 彼らはイタリアの目と鼻の先のシチリア島にもポリスを構え、地中海貿易を牛耳っていました。海のカルタゴと陸のローマでは争う必要などありません。むしろ、ローマは苦手な海上輸送をカルタゴに外注できるわけですし、カルタゴは貿易の利益を得られますから、両者は持ちつ持たれつ、少々前に流行った言葉ですとwin-winの関係にあったわけです。

 ところがローマがイタリアを支配するようになると、いよいよ海との付き合いが大切になってきます。地中海沿岸の勢力は合従連衡でローマと結びたがります。貿易は既得権益を持った勢力が幅を利かせているわけですか、不利な取引しか出来ません。

 イタリア半島を支配下に収めたローマが地中海に活路を見出すのは当然の流れと考えるべきでしょう。それは必然的に地中海の覇者であったカルタゴとの紛争を導くことになります。ローマとカルタゴの最初の衝突が、イタリア半島の目と鼻の先であるシチリア島を舞台とするものであったことは非常に示唆的です。

 ローマの前に立ち塞がったカルタゴとはどのような国なのでしょうか。

 まず地理的な話をしましょう。長靴型をしたイタリア半島のつま先から僅かに海を超えたところに、あたかも蹴られる寸前の石のような位置関係でシチリア島があります。ここは古くからギリシア系の移民がポリスを作っていました。アテナイがシチリア遠征に失敗して凋落したり、プラトンがユートピアを作るべく王の人格改造をしようとして逆に命を落としかけたのがこのシチリアでした。ローマとそのシチリアを結ぶ直線を、アフリカへ伸ばした先にカルタゴがあります。今のチュニジアですね。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ポエニ戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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