2016年05月30日

ローマ 共和制の成立12 ピュロスを排除し、ローマはイタリア全土を掌握する

 既に述べた通り、ピュロスとローマの和平交渉は決裂していました。ローマは約束通り捕虜を返還しましす。ローマはこの堂々とした態度が良いですね。

 名将ピュロスの手を借りたい者は多く、この頃にピュロスはシチリア島のカルタゴ勢力を追い払って欲しいとの依頼と、プトレマイオス・ケラウノスがケルトに破れて死んだ後を継いでマケドニア王になって欲しいとの依頼が来ます。ピュロスはシチリアへ向かいカルタゴの都市を攻略しますが、シチリア島を自分なや手に収めようとして支持を失い、またタレントゥムに戻ります。

 しかし、この留守は高くつきました。ローマは敗戦のダメージを既に回復しており、前275年のベネウェントゥムの戦いではピュロスを破ります。ピュロスはエペイロスへ戻り、マケドニアの争いに介入したことを始め、各地を転戦し、やがて戦死します。

 タレントゥムは見捨てられた格好ですね。前272年にローマはタレントゥムを下し、イタリアを手中に収めました。

 全イタリアを制したローマは良港も手に入れます。この膨張の行き着く先は、地中海です。既に書いてきた通り、物資の輸送には陸上より海上の方が圧倒的にエネルギー効率に優れています。他の地域から食料や奢侈品を運んでくるにも、軍を送り込むにも有利です。ローマが地中海へと出て行くのはもう歴史的必然であったと断言できます。

 しかし、地中海には既に我が物顔に振る舞う勢力がありました。それこそ、航海名人のフェニキア人による国家、カルタゴです。ローマはカルタゴと戦い、滅ぼすことで大きな飛躍を遂げることになりました。その顛末については別の項を作って見ていくことと致しましょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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