2016年05月27日

ローマ 共和制の成立9 サムニウム人に負けたローマ軍、屈辱に耐えて復讐の機会を窺う

 ベトナム戦争の際、ゲリラ戦で米軍を翻弄したベトコンゲリラが1968年のテト攻勢で実際には大きな犠牲を出して敗退したのは、将にこの過ちを犯したからです。ただ、テト攻勢の場合には、一斉攻撃の模様を西側メディアが派手に報じ、特に終戦間近だと信じていたアメリカ人にとっては大使館まで一時占拠される事態は想定外で反戦機運の醸成には成功しています。

 さて、主戦論をリードした執政官は、サムニウムを滅ぼす千載一遇の好機到来と、険しい山道を進みました。しかし、これは先述の通り、スパイの偽情報に踊らされてのことですから、結末は明らかですね。彼らは隘路に入ったところで包囲され、絶体絶命の危機に陥ります。

 もしサムニウム人が攻勢に出ていれば、ローマ軍団の壊滅は必至でした。しかし、ポンティウスはローマとの全面対決を望んでいたわけではありません。目先の勝利に釣られることなく政治的な落とし所まで見据えていたのです。彼はローマ軍団を生かして返す代わりに、占領地の返還と、恭順の意を表する象徴である槍の頸木の下をくぐり抜ける刑を受けることを要求します。そのような屈辱をうけるくらいなら戦って死ぬと兵士たちは息巻きますが、執政官は屈辱に甘んじ、生き残る道を選びます。サムニウム人の罵詈雑言の中、兵卒は下着まで脱いでその下をくぐらされました。

 ローマ人は敗北に打ちひしがれて恐れを抱くような人々ではありません。新たな軍を編成すると、今度は自分たちで敵の情報をしっかりと探り、サムニウム人の町に襲いかかります。頸木の下をくぐらなければならなくなったのは、今度はサムニウム人の番でした。

 楚漢戦争で漢を天下統一に導いた立役者で国士無双と謳われることになる韓信がまだ若い頃に臆病者と罵られ、股をくぐらされたのと同じような屈辱でしょうか。もっとも、大望を胸に秘する韓信は片田舎で威張り腐るだけの小人を相手にしていなかっただけかもしれませんが。

 サムニウム人との戦いは20年以上に渡って続いています。この間に、執政官のアッピウス・クラウディウス・カエクスにより、征服地カプアとローマを結ぶ全長211kmのアッピア街道が作られています。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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