2016年05月24日

ローマ 共和制の成立6 カミルスのローマを逐われ、優れた指導者に欠けたローマはケルトの侵略を受ける

 こうしたミスはありましたが、ローマはまだまだカミルスを必要としていました。ローマがウェイーを飲み込んで強大化しつつあることに、他のエトルリア系都市が恐れを抱くようになり戦争が続くのです。前394年、ラティウムのファレ―リが軍を動かします。カミルスは応戦すべくファレーリへ向かいますが、肝心のファレーリ軍は名将カミルスが指揮官であると知ると籠城してしまいます。籠城戦となったある日、有力者の子弟の家庭教師を務める男が教え子たちを連れてカミルスを訪れ、子どもたちを人質に取れば町は降伏すると申し出ます。不快に思ったカミルスは子どもたちを見張り役にこの教師を町に送還し、ローマは卑怯な手を使わず堂々と戦うと告げさせます。ファレ―リの人々は感じ入り、戦わずに降伏する道を選びました。

 良い話に見えますが、この解決に不満を抱く者も少なくありませんでした。兵士はファレーリを落として略奪を働くつもりだったため、戦う前に降伏させたカミルスに対し、有る事無い事を触れ回ります。結局、カミルスは戦利品分配で違法行為があったとして告発され、亡命に追い込まれてしまいました。

 カミルスはローマを出る際、神々がもしこの追放を不当なものだと思うならローマがいつか自分を再び必要とするようにして欲しいと祈ります。

 祈りが通じたのか、ローマはカミルスの優れた手腕を求めることになります。

 前387年、ケルト人の部族がローマ近くのキウジという町まで攻め寄せます。キウジから和平の仲介として招じられたローマの特使が、中立の立場を放棄してキウジ軍に参加して戦うことになったことからケルトとローマの戦いは不可避になります。ケルト軍はローマ軍の側面を迂回して包囲し、散々に打ち破ります。そして、守備隊を失ったローマは陥落してしまいました。前387年7月18日、ローマ建国から366年後のことです。

 カンピドリアだけは陥落を免れますが、首都が荒らされるのに耐え切れず、ローマはケルト人に賠償金を支払い、和睦することを決めます。

 ローマ側の賢いところは、和平交渉と平行してカミルスを呼び戻したことでしょう。彼らの判断の正しさはすぐに示されました。和平交渉の際、ケルト側は賠償金として受け取るための金の秤量に使う秤に不正を仕込みます。ローマ側がそれに気づいて抗議しますが、勝利に驕るケルト側は「敗者に禍あれ」と一蹴します。


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ラベル:カミルス ローマ
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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