2016年05月20日

ローマ 共和制の成立2 独裁者になると疑われたウァレリウス、意外な手段で疑いを晴らす

 王政を排除することは成功しましたが、1日にして共和制が軌道に乗るものでもありません。初期は手探りが続きます。執政官となったウァレリウスは豪華な屋敷に住み、警備兵にファスケス(権票とも。『古代ローマ歴代誌』には約1.5メートルの棒を数本、赤いひもで束ねたものであり、中央に斧がさしこまれている場合もあったと紹介されています)を持たせていました。中国王朝で皇帝の警護が生殺与奪を握る象徴として斧を持っていたのと同様に、鞭打ちと斬首刑を象徴するものです。

 市民はウァレリウスが王になろうとしているのではないかと疑います。ウァレリウスはそれに気づくと自分の家を打ち壊し、友人の家を泊まり歩くようになりました。これには市民もさぞ驚いたことでしょう。また、ファスケスから斧を外させた上、集会に参加する際にはファスケスを下ろさせました。国政のトップたる執政官でも、王のような絶対的権力を持たないとするポーズです。他の改革も手伝い、民衆はウァレリウスに「民衆の友」を意味するプブリコラの二つ名を奉りました。民衆の信頼が絶大だったのは、前509、前508、前507、前504年の4度に渡りコンスルに選出されたことを見れば分かるでしょう。

 ウァレリウスは王になろうとする者は殺されなければならないとの法律も定めました。この法律はスッラ、カエサルを経てアウグストゥスが皇帝となるまで生き続けることになります。

 執政官と並んで重要な役職である護民官が生まれたのは前494年のことです。貧富の差の拡大に怒った平民が山に立て篭もり、独立の動きまで見せたことから、富裕層は平民保護を主務とする護民官設置で妥協したのです。執政官同様に定員は2名でした。また、民会も設置されています。元老院よりも力はありませんでしたが、こうした機関が存在すること自体が素晴らしいことでしょう。

 このように王を廃したローマでは、自分たちの国を指して「元老院とローマ市民」、Senatus Populusque Romanusと呼ぶようになります。略号のSPQRは誇りとして軍旗に描かれました。今でもマンホールの蓋に書かれたり広報に書かれたりする等、ローマの町で多く見られるそうです。

 ギリシアでも同様の話があった通り、この時代から力を持たない人々は一致団結して富裕層に立ち向かい、権利を拡大させてきたのですね。絶対的な権力が無いことは良いことに思えてきます。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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