2016年05月17日

ローマ 建国神話12 トゥリウスの子育て失敗 婿に命も王位も奪われる

 国に対しては功績大であったトゥリウスですが、子どもの扱いについては致命的なミスを犯してしまいます。

 トゥリウスは先王タルクィニウスの2人の息子に自分の2人の娘を娶せます。

 タルクィニウスには野心家の息子と大人しい息子が、トゥリウスには野心家の娘と大人しい娘がいました。トゥリウスは野心家の男と大人しい娘、大人しい男と野心家の娘を組みあわせて夫婦とします。ところが、野心家の女も男も相手に不満を抱きます。結局、2人は互いの配偶者を殺してしまい、野心家の男と野心家の娘で結婚しました。

 野心家夫婦は互いの性格から野望を高め、遂には至高の座を狙うことになります。すなわち、王の位を。

 男は王の正装を纏って元老院に入ると、元奴隷のトゥリウスが不当に王となっていると糾弾します。呆気にとられる人々の前で、タルクィニウスは元老院から放り出してしまいました。宮殿に戻ろうとしたトゥリウスでしたが、義理の息子の放った刺客により殺害され、44年間の治世の幕を下ろします。

 王を弑逆した男の名は、父のタルクィニウス(トゥリウスの44年の治世を考えれば祖父とも言われるのも納得です)と同じくタルクィニウスです。父と区別するため、タルクィニウス傲慢王と呼ばれます。その妻のトゥーリアが馬車で宮殿に向かう途中、父の遺体を轢き、馬車は血しぶきで赤く染まったとされます。

 もっとも、遺体を轢いても血しぶきが激しく飛び散るとは考えにくいでしょうから、これは親殺しという無道を行ったことを倫理的に非難しようとして、敢えて凄惨なシーンを織り込んだものではないでしょうか。

 こうしてタルクィニウス傲慢王が即位しました。ローマの王位はこれまで見てきた通り世襲ではありません。ですから、タルクィニウス傲慢王には王位を占める正当な理由は無いのです。正当な王となるためには元老院の支持を受けなければなりませんが、クーデターに拠る即位という事情を考えればとても支持を望むことはできませんでした。そこでタルクィニウス傲慢王は力による支配を行い、人々から嫌われていったのです。

 国内には高圧的に望みながら支配を継続できたのは、軍事指導者としては優れていたからです。彼はラテン同盟の盟主となり、戦争の際にはローマが司令官を出す等、近隣の諸都市とローマに有利な条約を結びます。自分の息子を追放したふりを装って敵対する町に亡命させ、内部から崩壊させることも厭いませんでした。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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