2016年05月15日

ローマ 建国神話10 ローマ王タルクィニウス、陰謀で即位し陰謀で殺される

ルクモはローマに腰を落ち着けると、ルキウス・タルクィニウスと名を改めます。伝説では、賢く寛大であるとの評判が広まったことでマルキウス王の知遇を得ることになります。王はタルクィニウスを2人の息子の後見人に指名するほどの厚遇を示しました。

しかし、余所者が少しばかり賢く寛大だからと言って、王がこれほどまでに権力中枢に近寄せるものでしょうか。むしろ、当時強力だったエトルリアが発展途上のローマへ有力者を送り込み、ローマは力関係からタルクィニウスの専横を排除できなかったと見るのが自然ではないでしょうか。こう考えると、マルキウス死後に起こることがすんなり飲み込めるように思います。

すなわち、マルキウスが死ぬと、タルクィニウスは王の2人の子へ狩りに行くことを勧めます。王子2人が町を離れるや否や、タルクィニウスは王に立候補してしまいます。王子2人は呆気無く権力から遠ざけられてしまいました。もっとも、これまで見てきた通り、ローマの王位は世襲制ではありませんから、元々彼ら2人が王位継承権を持つかといえば否となります。むしろ、今度はサビニ人の王を戴くはずの順番でしたから、割りを食ったのはサビニ人かも知れません。

王位に就くまでの流れには随分と怪しいところのあるタルクィニウスですが、ローマが世界帝国へのし上がるに当たって重要となる施策を行います。まず、騎兵を倍増させる軍制改革を行ったことが挙げられるでしょう。そして、騎兵を駆使してエトルリア人、サビニ人と戦い、勝利を得ます。エトルリア人出身の王がエトルリアと戦うのは不思議と思われるかも知れませんが、エトルリアはギリシア同様に単一国家を造りませんでしたから、アテナイとスパルタが戦ったような理解をしておけば良いでしょう。

また、怪しげな方法で王になったことから、その権力基盤は盤石とは言えないこともよく理解していました。そこで元老院の定数を2倍として支持基盤を得ます。政治的機関に多数の貴族を集結させたことは、国家の代表機関としての性格を濃くすることにも繋がりました。思わぬ副作用です。

タルクィニウスの成功を快く思わない者もいました。前王の遺児2人です。彼らは簒奪と言っても良いタルクィニウスのやり方に反発し、王の暗殺を図ります。

運命の日、王子たちに雇われた2人の暗殺者は訴訟を起こし、1人が申し立てを行う間にもう1人が王を斧で殺害しました。王妃は王の死を隠し、王が執務を取れない間の代理と言ってセルウィウス・トゥリウスという息子のように目をかけていた人物を事実上のトップに据えます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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