2016年05月14日

ローマ 建国神話9 ローマより強かった?歴史に消えたエトルリア文明の技術はローマに残る

 次の王はヌマを母方の祖母に持つサビニ人のアンクス・マルキウスです。

 戦争に明け暮れたホスティリウスが死んだのを良いことに、近隣では反ローマの機運高まっていました。マルキウスは祖父とは異なり果断な人物ですから、撃って出ると敵を打ち破ります。まだ勢力が弱く、不安定な次代にはこうした果断な王が必要なのかもしれません。

 彼は最初の水道橋を建設したことで知られます。尚、マルキア水道(ローマから水源までの91kmを結びました)はこのマルキウスの業績に因んで名付けられたものではありますが、前144年建設で、マルキウスの手によるものではありません。建設に関わった者の中にマルキウスの子孫にあたる法務官クィントス・マルキウス・レクスがいたため、遥か先祖に遡った名前を付けたのです。

 水道技術、特にアーチ構造の知識はエトルリア人からの移入であるとされます。

 エトルリア人はラテン系ではないことは分かっています。ローマ北方にはエトルリア人の都市が発達し、イタリアにネットワークを張り巡らせていました。ローマもそのネットワーク拠点の1つだったにすぎません。ギリシアからローマにアルファベットを伝えたのも彼らです。ローマからはエトルリア語の碑文も多数発見されており、エトルリア人が多く居住していたことも明らかです。

 彼らの宗教や言語は共通のものでしたが、ギリシア同様に統一国家を造ることは遂にありませんでした。集団としてのエトルリア人は完全に滅びてしまったため、今では彼らの遺した文字すら解読されていない状態です。しかし、当時にあってはローマよりも強大な勢力でした。

 エトルリア人の勢力の強さのの現れは、ローマの次の王にエトルリア系のタルクィニウスが就いたことからも明らかでしょう。

 タルクィニウスは元の名前をルクモと言い、コリント出身の余所者でした。彼はエトルリア人の町タルクィーニア名門出のタナクイラと恋に落ち、結ばれます。

 4代目の王マルキウスの時代、1組の夫婦がエトルリア人の町からローマへやってきた時のことです。空から舞い降りたワシが帽子を奪い、驚いているうちに再び舞い降りて今度は帽子を載せる、という出来事が起こります。妻は夫に対し、自らの力で国のトップに立ち、栄光を永遠のものにする予兆であると告げます。

 男はコリントからやってきたルクモ、女はエトルリア人でタルクィーニア名門出のタナクイラ。故郷の町の名前に因んだ名を持つところを見ると、相当の名門か、出身地を名前にしてしまったか、どちらかでしょう。私は勝手に後者だと思っています。

 タルクィーニアというエトルリア人の町があったことは歴史的な事実です。また、エトルリア人がコリントと貿易を行っていたことも証拠があることですので、こうしたカップルの存在は不思議なことではありません。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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