2016年05月12日

ローマ 建国神話7 謎めいたルールにより月の名前と順番が狂う

 生活に密着するところでは、暦を修正したことが大きな功績です。それまで、ローマでは10ヶ月の太陰暦が使われていました。およそ300日分しか無いものです。1年間が365日少々であることを考えると困ったことになりそうですが、当時はまだまだ農耕に生きる人が多かったので大丈夫だったのです。種まきの時期は天文現象からわかりますから、その月を1月として、収穫や冬に備えて保存食を準備するまでの10ヶ月がカウントできれば良かったのです。

 ところが、都市型の生活を送るようになるとこれでは困ります。そこで、1年間が360日となるよう、暦を修正したのです。ところが、この時に少々強引に月を足したため、名前と実際の月にズレが生じます。すなわち、当時のローマの暦を3月からスタートするとし、1月はヤヌスからとってJanuaryとし、清める(febrare)からとったFebruaryを付け加えたのです。それまで7、8、9、10番目の月を意味するSeptember、October、November、Decemberは9月、10月、11月、12月となってしまいました。8本足のタコをOctopusというように、Octoは8なのにOctoberが10月なのはこうしたわけです。

 尚、元々は7月、8月も順番を表す名前だったのですが、ユリウス・カエサルとアウグストゥスの名前を付け直しJuly、Augustとなっています。

 ローマ法の確立にも大きな力を発揮したそうで、先代のロムルスとは違って戦争で国を広げることはしなかったわけですが、ローマを偉大な国に導くには一役買っていると言えるでしょう。むしろ、戦争が無かった分だけ庶民には過ごしやすかったかもしれません。

 彼は国を栄えさせただけではなく、子孫の繁栄にも功績大でした。その1人娘と4人の息子は名門一族になっていきます。

 ヌマが死ぬと、次は再びローマ人から王を選ぶ番です。選ばれたのは好戦的なトゥッルス・ホスティリウスという人物です。

 その頃、ロムルスの出身地アルバ・ロンガと一触即発の状態となっていました。戦争になると多くの犠牲が生まれることから、それぞれの都市を代表する3人兄弟に決闘させ、負けた方の都市は勝った方の都市に従属することと決めます。

 勝ったのはローマのホラティウス兄弟でした。負けたアルバ・ロンガの王メッティウスは結果に不満を抱きます。しかし、誓いがあるため従わざるを得ません。なんとかしようと近隣のフィデナテス人をけしかけてローマに攻撃を仕掛けさせてしまいます。


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ラベル: ヌマ
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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