2016年05月06日

ローマ 建国神話1 ロムルスとレムスの誕生と放逐 オオカミは人間を育てられるのか

 ローマにアイネイアス伝説を伝えたのはエトルリア人だと言われます。地名も建国者もエトルリアと深く結びつくことになりますね。

 その他にも、ローマで見られた剣闘士の決闘や、悪霊を宥めるための人身御供といった風習も同じです。この後で見ることになる、建国神話に見える鳥占いも同様と言われ、ローマでは鳥占官は重要な役職でした。エトルリア人はギリシア人から文字を含め色々と学んでいますから、ギリシア悲劇がエトルリア人経由でローマに入ってきていたとしてもおかしくないのです。

 残念なことに、使われていた言語は非印欧語で、文字は解読はされていません。

 他にもギリシア神話との関係を見てみますと、エトルリアにはオデュッセウスとキルケーの間の子がエトルリアを支配したとの伝説があります。ギリシア人の西進に伴い、アイネイアスが西に移ったとする伝説も西へと移ります。

 決定的なのは、トロイアが滅んだのは紀元前13世紀か12世紀とされている(とうことは前1,200年のカタストロフが影響しているように思えてしまいますが)のですが、カルタゴ建設は前9世紀頃とされていることです。

 やはり、アイネイアス伝説は実話として見ることは出来ないようです。

 さて、レア・シルウィアが生んだ双子は邪悪な叔父アムリウスによって捨てられてしまいます。レア・シルウィアについては、投獄されたとの記録を最後に姿が見られないそうですから、殺された、あるいは死ぬまで監視から逃れられなかったという説があるそうです。

 双子は槽に入れられ、川に捨てられます。

 同じような話を既に見ましたね。ユダヤ人の歴史のところで見た、モーゼがやはり川に捨てられたのでした。捨てられた子が奇縁によって生き残り、然るべき地位を回復する物語として見るのであれば、アケメネス朝ペルシアのキュロスも同様の話でした。

 さて、2人を乗せた槽は、パラティウムの丘の麓に着きます。

 無力な赤子のこと、水死はしなくとも、生命の危機にあることは変わりありません。ところが、そこへメスのオオカミが現れ、2人に授乳します。

 オオカミの群れの最下級のメンバーに迎えられてオオカミと共に暮らした破天荒な男性の『狼の群れと暮らした男』では、メスは出産から育児の間は巣に篭って、外に出ないということです。

 同時に、オオカミは群れの中で1頭のメスしか子を生むことを許されません。下位のメスが生んだ子オオカミは、上位のメスによって殺されます。群れが生き残るためには無秩序なメンバーの増加は認められないことなのです。

 これらを合わせて考えますと、双子を救ったオオカミは下位のメスで、子を殺されたばかりのため、巣の外に出る立場でありながら授乳可能な時期にあった、と考えられます。あるいは、たまたま子を生んだばかりのメスオオカミの巣の至近距離に槽が流れ着いたか、ですね。勿論、建国神話が事実なら、の話ですが。


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2016年05月07日

ローマ 建国神話2 ロムルスとレムスは祖父と共に敵を討つ

 オオカミが授乳するシーンを、たまたま複数の牧夫が目にします。そのうちの1人ファウストゥルスが双子を引き取り、育てることにします。彼らにロムルスとレムスの名を与えたのもファウストゥルスです。こうして2人は牧夫として生活していくことになりました。

 ロムルスとレムスを牧夫からローマ建国の立役者へ引き戻すことになるのは、牧夫同士の争いです。

 祖父ヌミトルに従う牧夫たちとファウストゥルスの仲間たちは牧草地を巡って争い続けていました。ある日、ヌミトルの一派はファウストゥルスたちの村を襲います。その日、たまたまロムルスは留守中でしたが、レムスは捕らえられ、拉致されてしまいます。レムスは叔父アムリウスの下へと引き立てられ、裁判にかけられます。アムリウスは刑の執行をヌミトルに任せ、何も知らぬ祖父は孫を自宅に連れ帰りました。

 裁判のくだりは少々奇妙に聞こえるかもしれませんが、ローマでは裁判は民事裁判の色彩が強くかったようです。現代の日本では刑事訴訟として民間の関与が極めて限られた世界で裁判が行われ、量刑が決められ、刑が執行されていきますが、ローマでは何を払えと言ってみたり、刑の執行を関係者に任せたりと、自分たちの揉め事は自分たちで片を付けるようにさせていました。

 帰宅したロムルスは弟が拉致されたことを知っていきり立ち、武装して奪回すべしと主張します。彼の行動を止めたのは、ファウストゥルスでした。育ての親は今こそ出生の秘密を明かす時が来たと、ヌミトルは双子の祖父であると明かしたのです。

 どうしてオオカミが授乳していた赤子をヌミトルの孫であると知ったのかは永遠の謎です。仮に手紙が括りつけられていたとしても、牧夫には読めなかったでしょう。一般人の識字率などゼロに限りなく近い時代ですから、読めたとしたら不思議です。残る可能性は双子を捨てた下手人だったということでしょうが、その場合にはファウストゥルスはアムリウス配下の人物となります。主人の命令をしっていたわけですから、露見は自分の死を意味します。そのようなことをするでしょうか?

 一方、レムスもまた己の出生の秘密を祖父から教えられます。もっとも、レムスはファウストゥルスを実の父と思っていたはずなので、なぜヌミトルがレムスを孫と知ったのかも謎です。

 何はともあれ、ロムルスとレムスとヌミトルは、彼ら一家を苦境に追いやったアムリウスに対して復讐を誓います。一党はアムリウス打倒に成功し、ヌミトルは本来得るべきであった地位に就きます。



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2016年05月08日

ローマ 建国神話3 ならず者を連れて故郷を去ったロムルスとレムスの新都市建設とレムスの殺害

 復讐を遂げた2人は故郷を去り、新たな町を建設することにします。少なくともどちらかは残らないとヌミトルの王座を継ぐべき者が居なくなってしまう気がしなくもないのですが……。しかも、黙って残ってさえいれば、王の座は転がり込んでくるはずなのです。ご都合主義が感じられますね。

 ともかく、2人は人口過剰となって政情不安になりかけている故郷から不満分子を引き連れて、かつて捨てられた彼らが流れ着いたパラティウムへ、町づくりにでかけます。その地の牧夫が2人を助けていることを考えますと、そこには既に先住の人々が居たように思います。

 2人は集団を二分し、互いに競争しながら都市を作ろうとします。しかし、その過程で別れた集団はそれぞれロムルスとレムスをトップにした派閥へと変貌していきました。

 両派はさっそくどこに都市を作るかで揉めます。ロムルス派はパラティウムの丘を、レムス派はアウェンティヌスの丘を主張して譲りません。おまけに、新都市の名前を巡っても、ロムルス派はローマを、レムス派はレモラと、互いの領袖の名に由来する名前をつけようと争う始末です。

 ヌミトルの助言もあり、彼らの争いは鳥占いによって決着をつけることになりました。運命の日、アウェンティヌスの丘には6羽の、パラティウムの丘には12羽の鳥がやってきました。ロムルス派の勝利です。

 一説に、先に鳥を見つけたのはレムスだったので、当初の約束ではレムスの勝利だったのに、ロムルスはパラティウムの丘に鳥が多く来たことから勝手にルールを変更し、多くの鳥が来た自分の方が勝ちだと主張して弟から勝者の権利を奪ってしまったそうです。

 レムスは面白くありません。当然ですね。

 彼はロムルス派が建設した城壁を飛び越え、それを理由に殺されてしまいます。少なくともロムルスが直接に手を下したわけではないそうですが、生死を共にしてきた双子の兄弟の終着点がこれなのは少々寂しい気がします。

 前8世紀にはパラティヌスの丘とクィリナリスの丘には集落があったことは分かっており、それらが後に融合して1つの村となったことは分かっています。ネクロポリスもあったそうです。発掘調査より、小屋のような集落の起源は前10世紀には遡れるそうですから、やはり神話を文字通りの事実であると考えることは出来ません。ただ、融合がローマ建国元年とされる前753年4月21日からそう遠く離れてはいないことも明らかになっていますので、建国神話はこうした歴史的事実を踏まえているのかもしれません。実際にローマが独立したポリスとしての性格を示すのは前600頃とされています。


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2016年05月09日

ローマ 建国神話4 ローマ人、サビニ人の女性を強奪してお姫様抱っこで新居へ

 ロムルスを初代の王として7代目まで王政が続くとされていますが、4代目の王までは実在も怪しいとされています。仮に実在したとしても、大都市を支配する強力なリーダーからは程遠く、せいぜい大きめな村の村長程度の存在だったことでしょう。文明化の進む前7世紀には石造りの土台と瓦葺きの屋根が現れてきます。面白いのは、この時期にエトルリア人の支配者が現れることでしょう。

 文明化と同時にエトルリア人支配者が他所からやってきた、というのは幾らなんでもご都合主義に過ぎます。まず間違いなく、初期のローマではエトルリア人の影響が極めて強かったのでしょう。その影響を排除した後の時代になってから、エトルリア人はまるで余所者だった、というような神話を作り上げたことでしょう。

 神話に戻ります。

 ロムルスに従ってやってきたのは、故郷にいられなくなった者ばかりです。農家の次男坊三男坊、人間関係や果ては借金等で故郷が嫌になって出奔した者、そして犯罪を犯して故郷に居られなくなった者、新天地で一山当てることを夢見る山師。いずれも碌でなしの男ばかりです。当然、男だけの社会では持続可能性がゼロですから、社会の継続発展には女性が必要です。しかし、誰もこうした怪しげな集団と通婚しようとは思いません。私にも娘がいますが、まかり間違っても彼らとの結婚を望みはしないので、よく分かります。

 彼らに残されたのは智慧と腕力だけです。……ならず者で智慧があるとなると悪知恵だとか悪巧みしか無い気がします。そして最初の収穫感謝祭の日、彼らの企みは全貌を露わにします。

 ロムルスたちは盛大な祭りを開催し、近隣の諸民族を集めました。お祭りは宗教的なものですから、集落あげての大変に大規模なものです。その目玉とも言うべき戦車競技に、人々は夢中にりました。その隙に、男たちは他所からやってきた女たちを略奪したのです。特にサビニ人の女性が多く攫われたことから、これをサビニ女の略奪と呼びます。なお、新婚時に女性を抱きかかえて(所謂お姫様抱っこ)で新居に入る西洋の風習はこの誘拐劇が起源です。それで良いのかと思わなくもありません。ロムルスもこの時に誘拐した女性の1人を娶っています。

 このような仕打ちを受けて戦いにならないわけがありません。当然、近隣の諸民族はローマに対して戦争を仕掛けます。ロムルスは優れた軍事指導者でしたから、彼らを次々に打ち破ります。

 最後に残った敵は、最も多くの女性を奪われたサビニ人でした。最も多くの女性を奪われたのなら最初に戦いになってもおかしくないと思うのですが、物語的には美味しい展開ですね。


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2016年05月10日

ローマ 建国神話5 サビニ人との戦争の行方

 サビニ人を率いるのはタティウス王です。ユピテルの神域を守るカピトリウムの砦に立てこもってサビニ人の攻撃を防ぐローマでしたが、守備隊長のタルペイウスの娘のタルペイアがタティウスに一目惚れしてしまいます。

 女性が居ないからこそ略奪したのではないかと思わなくもないのですが、タルペイアはタティウスに、自分と結婚してくれるなら砦へ招き入れると交渉します。砦に入ったサビニ人は盾を投げつけてタルペイアを殺害してしまいました。

 ローマには大犯罪者を突き落として処刑していたタルペイアの岩という場所がありました。タルペイアの物語はその起源を説明する物語なのかもしれません。なお、このタルペイア、タルペイウスはエトルリア起源の言葉です。これを見ても、やはりエトルリア人の影響は大なるものがあると分かります。

 砦を占拠したサビニ人はいよいよローマの本隊と戦うことになります。緒戦、ローマ軍を率いるホスティリウスは有利な地を占めるサビニ人に無謀な攻撃を仕掛け、戦死してしまいました。ローマ軍は逃げ出し、改めてロムルスが兵を率いてサビニ人と戦うことになりました。

 両軍は激しく戦います。ローマは必死になって強奪した女性たちを自分たちのものにするため、サビニ人は自分たちの娘や姉妹を取り戻すために。どう見てもサビニ人に理があるわけですが、サビニ人の女性にはまた別の利害がありました。彼女たちにとっては、どちらが勝っても家族を失うことになるのです。夫を失うか、父兄弟を失うか。両軍の間に女性たちが割って入り、戦いを止めてくれと懇願します。

 男が女性の涙に弱いのは今も昔も同じこと。ローマとサビニ人は戦いを止め、ロムルスとタティウスは共同統治することになりました。

 そもそも女性がいないから他所の娘さんたちを誘拐したというのに、タルペイアという妙齢の女性が居るのは矛盾しています。これは執政官の2人制の起源を説明するお話と受け取るのが良いでしょう。共同統治は思わぬ出来事から破綻を迎えます。

 ある時、タティウスは近隣の町からの使者を殺害してしまいます。彼らも黙っておらず、報復を受けてタティウスは殺害されてしまったのです。唯一の執政官、ではなく、王となったロムルスはタティウスの最初の殺人が発端として、タティウスの仇を罰することはありませんでした。

 ロムルスが裏で手を引いていたのではないのかと思わなくもないのですが、唯一の王となったロムルスは優れた軍事的リーダーとしての手腕を発揮して近隣の町に次々と勝利を収めます。

 そんなロムルスの最期は随分と謎めいたものです。河のほとりで神に生け贄を捧げている際、嵐が起こります。祭壇にはロムルスが残り、その周りには元老院議員たちが侍っていました。嵐が収まった時、既にロムルスの姿は消えていたのです。神に召されたと言う者もいれば、もっと合理的な解釈を好み、元老院議員たちがロムルスを殺害して遺体をバラバラに分解し、元老院議員たちが衣服に隠してどこかにやってしまったと唱える者もいます。


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