2016年02月01日

アレクサンドロス大王 イッソスの戦い3 ペルシアの敗因 戦略と戦術それぞれ4つ

 前掲の『アレクサンドロス大王 「世界征服者」の巨像と実像』では、イッソスの戦いでペルシア軍が敗れた理由として戦略的失敗と戦術的失敗をそれぞれ4つ挙げています。

戦略1.騎兵中心の戦いなのに、ソグディアナとバクトリアの精強な騎兵を参加させなかった

戦略2.騎兵に有利なソコイを捨ててしまった

戦略3.アレクサンドロス3世の後背を取った際、関門を押さえなかった

戦略4.戦力を生かせない狭隘な地を戦場に選んだ

 このうち、2〜4は戦場の選択に関わるもので、まとめてしまっても良いように思います。要するに、ダレイオス3世は戦場を設定できたにも関わらず、兵科に合わせた地形を選ばなかったのです。もう1つ、多民族からなる寄せ集め部隊しか準備できなかったことで統一した動きをできなかったことも挙げてよいかもしれません。

 戦術に移りましょう。

戦術1.騎兵隊をほぼ全て右翼に固め、左翼が破られやすい布陣を敷いたこと(左翼は弱く、右翼は密集しすぎて大軍の利を活かせなかった)

戦術2.ギリシア傭兵部隊を中央に配置したことでマケドニア右翼を破る機会を逸した

戦術3.烏合の衆に過ぎない混成部隊を前線に配置したことで、マケドニアの橋頭堡を作ることを許し、更に左翼総崩れの原因を作った

戦術4.山の中腹に陣取った兵力がほぼ何の働きもしなかった

 ダレイオス3世の姿勢には、攻撃的な面が感じられません。ギリシア傭兵部隊を自分の居る中央に据えたこともそうですし、そもそも戦いの流れが全て受け身です。アレクサンドロス3世が自ら歩兵部隊を率いて上流側から一気に渡河し、川岸の敵を蹴散らして攻撃の糸口を掴んだこととは好対照を見せると言えましょう。ペルシア軍は負けるべくして負けたと思います。

 戦いの結果、ペルシア軍は大打撃を受けます。アリアノスによれば、騎兵1万以上、歩兵と合わせて10万と綴ります。いくらなんでも誇大に過ぎると思いますが、騎兵だけで数千のは戦死したのは間違いが無さそうです。一方のマケドニアの犠牲者は歩兵302、騎兵150、負傷者は4,500程度と言われます。ペルシア軍はマケドニア軍の20〜30倍のダメージを受けているのですね。まさに完勝です。

 アレクサンドロス3世はダレイオスを追いますが、夕闇が迫ったため追撃を中止します。ダレイオス3世は夜を徹して逃げ、トプラッカレ峠を越えてアマノス門を通過します。翌日、4,000の親衛隊と合流してともにユーフラテス川を渡り、バビロンに帰還しました。ギリシア傭兵はフェニキア地方へ逃れ、更に船でギリシアに戻っています。彼らについてはまた後に語ることになります。

 ダレイオス3世はペルシア軍の伝統に従い、宮廷ごと戦場に来ていました。ペルシア王の天幕に積み上げられた大量の財宝を見、馥郁たる香を嗅いだアレクサンドロス3世は「これが王の生活か」と、侮蔑の念を込めて言ったと伝えられます。だから負けるのだ、と。

 宮廷ごと戦場に来るというのは比喩ではありません。なんと、ダレイオス3世の母シシュガンビス、妻スタテイラと2人の娘、そして1人の息子を始め、王侯貴族の家族が連れてこられていました。彼女たちは揃ってアレクサンドロス3世に生殺与奪の権を握られることになるのです。

 アレクサンドロス3世は女性たちを丁重に扱い、決して手荒な真似はしませんでした。彼はメムノンの未亡人ロクサネを愛人にした他、複数の女性と関係を持つわけですが、特に女性が好きでたまらないということはなかったのでしょう。


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2016年02月02日

ブックガイド28 アレクサンドロス3世の戦術

 アレクサンドロス3世は何と言っても天才的な軍略家です。彼の戦いに満ちた人生を知るのに戦術についての理解は助けになるでしょう。私には以下の本が参考になりました。


アレクサンドロス大王―「世界征服者」の虚像と実像 (講談社選書メチエ) -
アレクサンドロス大王―「世界征服者」の虚像と実像 (講談社選書メチエ) -

 アレクサンドロス3世の研究者が、丁寧に史料を読み解きながらアレクサンドロス3世を伝説上の人物から歴史上の人物へと変えていきます。特にグラニコス川の戦い、イッソスの戦い、そしてガウガメラの戦いという対ペルシアの3大会戦の状況を詳しく記していくれていますので、イメージが湧きやすくなると思います。

 他にも、ダレイオス3世について紹介してくれているのは珍しくもあり、とても参考になります。アレクサンドロス3世は良きにしろ悪しきにしろ有名ですが、ダレイオス3世となると逃亡した挙句に部下に殺された情けない姿ばかりが強調されますから、こうして実際の姿に迫ることが出来るのは嬉しいことです。


アレクサンドロス大王―その戦略と戦術 -
アレクサンドロス大王―その戦略と戦術 -

 サブタイトル通り、アレクサンドロス3世の戦略と戦術を詳しく追いかけています。

 アレクサンドロス3世が勝利を掴むことが出来たのはなぜなのか、現代の経営的な視点と絡めて解説しています。カイロネイアの戦い、3大会戦、バクトリア・ソグディアナ征服、インド遠征と、彼の主要な戦いを押さえていますので、本書を読むだけで戦いをかなり詳しく知ることが出来るでしょう。

 また、アレクサンドロス3世の晩年にイエスマンばかりを侍らせ、魅力を無くしていくところは現代にも通じる話であるというのは間違いのないことですので、先人の辿った人生を他山の石として仕事に活かしたい方も参考になることが多いでしょう。


アレクサンドロス大王の軍隊―東征軍の実像 (オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) -
アレクサンドロス大王の軍隊―東征軍の実像 (オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) -

 上で紹介した本は、戦いの流れを知るには適した本だと思います。しかし、全体の流れを気にすると往々にして個々の兵士がどのような存在だったのか、部隊はどのような編成だったのかは分からなくなってしまいがちです。

 こちらの本は兵士の武装状況や小隊の隊列を、多くのイラストと共に解説してくれています。おかげで、ファランクスは当然のこととして、騎兵隊の隊列の組み方まで分かりますので、戦いについてのイメージが湧きやすくなります。


 今回紹介した3冊は、互いに補完しあって東征の模様を知るのにとても役立ちました。


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2016年02月03日

アレクサンドロス大王 ダレイオス3世 その半生とアレクサンドロス3世と同年に即位したゆえの悲劇

 ダレイオス3世の母シシュガンビスは、アレクサンドロス3世とその友人のヘファイスティオンが幕屋に入ってきた際、ヘファイスティオンの足元に身を投げ出して命乞いをします。ヘファイスティオンはアレクサンドロス3世より背が高く、目鼻立ちも整っているので、彼女はヘファイスティオンをマケドニア王と勘違いしたのです。誤りを告げられた彼女は生きた心地もしなかったでしょうが、アレクサンドロス3世は、「ヘファイスティオンはアレクサンドロスと一心同体だ」と告げてシシュガンビスを許しました。更に、ダレイオス3世は死んではいないと告げて女性たちを安堵させます。

 この後も、アレクサンドロス3世はシシュガンビスを丁重にもてなし続けたため、やがてシシュガンビスはアレクサンドロス3世を我が子のように溺愛するようになります。もっとも、息子を失った彼女にとっては頼れる相手は保護者となったアレクサンドロス3世だけだという現実もあったのでしょうが。

 ここで戦に敗れたダレイオス3世について触れておきましょう。

 ダレイオス3世が即位する前のペルシアでは、宦官のバゴアスが権力を握っていました。バゴアスはアルタクセルクセス3世とその王子を次々と毒殺し、唯一残った王子アルセスを傀儡として即位させていたのです。ところが、アルセスもまたバゴアスにとって邪魔な存在となってしまったため、毒殺されてしまいます。直系が絶えてしまったため、バゴアスが一族から引っ張ってきたのがダレイオス3世でした。

 バゴアスの専横を、ダレイオス3世が歓迎する訳はありません。バゴアスもまた、ダレイオス3世がとの緊張関係をよく理解していました。どちらが先に相手を亡き者にするか、という熾烈な戦いに勝利したのはダレイオス3世でした。彼はバゴアスを毒殺し、王位を安定させたのです。

 一説に、毒殺されそうになったダレイオス3世は、毒の入った盃を勧められますが、逆にバゴアスに飲ませることで相手を毒殺したそうです。

 ペルシア側の史料によれば、ダレイオス3世は敵の勇者相手に怯む味方からただ1人歩み出て一騎討を行い、敵を討ち果たしたとされる勇者でした。王に対する脚色である可能性は否定できませんが。

 よくよく不幸だったのは、彼が即位したその年に、マケドニアで政変があり、若きアレクサンドロス3世が即位したことでしょう。

 戦いの詳細で見た通り、ダレイオス3世はリーダーシップを発揮することがありませんでした。ただアレクサンドロス3世が攻撃を仕掛けてくるのを待ち、敗色濃厚となれば味方を見捨てて逃亡するという、アレクサンドロス3世とは対照的な姿を見せています。

 アリアノスはダレイオス3世について「戦場では無気力で優柔不断であること空前絶後で……」とこき下ろしています。確かに、アリアノスの書いたものを読むと良いところなしではありますが、そもそもアリアノスはアレクサンドロス3世を偉大に描こうと言う意図を持っていましたから、ダレイオス3世は実際よりも無能に書かれていると受け取るのが正しそうです。

 クルティウスによれば、公正で寛容、優しく温和と性格は完璧、背が高くハンサムだったそうですから、現代に生きていればさぞ女性にモテたことでしょう。妹でアジア一の美女と謳われたスタテイラを溺愛したと伝えられます。もし、ダレイオス3世が平和な時代の王であれば、あるいは歴史は彼を名君として記録に残したのかもしれません。時代に恵まれなかった1人でしょう。



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2016年02月04日

アレクサンドロス大王 テュロス攻略1 攻撃用突堤の構築と焼き討ち

 アジア1の美女とも謳われたダレイオス3世の妻のスタテイラは、捕らえられた18ヶ月後に死亡します。病とされるのですが、アレクサンドロス3世との間の子を出産する際に死亡したとも伝えられています。後者だとしてもそう不思議はないでしょう。古代の戦争にあっては勝者の当然の権利ではありましたから。

 アレクサンドロス3世は、翌日にパルメニオンをダマスカスへ派遣します。ダマスカスには、イッソスの戦い前にダレイオス3世が戦費として送り込んでいた大量の財宝があり、そっくりそのまま押収されてしまいます。資金繰りに苦しんでいたアレクサンドロス3世は、ようやくこれで遠征を続ける資金を手に入れました。

 また、この際にメムノンの妻のバルシネを捕らえています。彼女は最初ロードス島の傭兵隊長メントルに嫁いでいましたが、彼が死去したためメムノンと再婚していました。そのメムノンも死んだため、戦火を逃れてこの地に滞在していたのです。

 アレクサンドロス3世は彼女を愛人にします。一説にアレクサンドロス3世の最初の女性とも言われます。男性とは経験があったようですが。後の話ですが、アレクサンドロス3世との間に息子ヘラクレスを得ることになります。

 イッソスの戦い後、イッソス周辺を制圧したアレクサンドロス3世は、一挙にペルシア中枢を衝くのではなく、後顧の憂いを断つために東方を押さえに動きます。

 前333年、マケドニア軍はフェニキア地方へ向かいます。フェニキア諸都市はそれぞれ王政を取っていました。王たちは艦隊を率いてエーゲ海上にありましたが、ほとんどの都市は王不在のままアレクサンドロス3世に降ることを選びます。ただ、テュロスだけは別でした。

 テュロスの名は既にこのブログでも見ましたね。カルタゴの母市となった都市です。テュロスに入りたいと打診するアレクサンドロス3世に対し、黄金の冠と補給物資は与えるが入城は拒否すると伝えます。戦争全体の帰趨が定かではない状況で中立を保つためです。

 アレクサンドロス3世はヘラクレス神殿に犠牲を捧げるために入城したいと伝えるのですが、それも拒否されます。彼らは強大な海軍力を背景に、マケドニアの要求を飲むことを拒んだのです。そして、その海軍力があるからこそ、アレクサンドロス3世はテュロスを放置したままにすることができませんでした。マケドニア軍はテュロスに宣戦布告し、テュロス攻囲戦が始まります。

 テュロスは沖合800メートルにある島にありました。アレクサンドロス3世は海を船で渡って島に上陸するのではなく、陸から突堤を築いて島までを埋め立てることで全て陸上から攻撃を完結させようとしました。

 この大工事にテッサリア出身の技術者、ディアデスが力を発揮します。

 テュロスまで、水深5,6メートル・幅60メートルの海を埋め立て、徐々に突堤を築いていきます。そして、突堤が完成した際に用いる可動式の攻城兵器も作り始めます。なんと、高さ17メートル程度にも及ぶ数階建ての攻城塔で、最上階には機械仕掛けの弩砲が据え付けられました。

 これにはテュロスの人々も驚いたことでしょう。決死の防衛作戦に出ます。

 突堤を破壊するために、輸送船1隻を焼き討ち船に改造します。まずマスト2本を立て、桁橋を渡します。そこにタールやナフサを詰めた大型容器を各1つ吊り下げ、更に船には乾燥した材木を満載ました。更に船首が浮くように船尾には石を積み込みます。

 南西風の吹く日、2艘の牽引船がこの改造船を牽引し、海上で火を付けます。炎を噴き上げる船は風に煽られ、突堤へ突き進みます。突堤に衝突した衝撃でマストが折れ、容器が突堤に落ちて攻城兵器は火に包まれました。更に、上陸した攻撃部隊が突堤の土台を破壊、突堤を崩壊させてしまいます。

 焼き討ち船の乗員は悠々と泳いで逃げ去りました。


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2016年02月05日

アレクサンドロス大王  テュロス攻略2 テュロスの敗北と滅亡

 アレクサンドロス3世は諦めず、最初の突堤の北側に新たな突堤を作り始めます。そこにフェニキアやロードス島から艦隊の派遣があり、キプロスも120隻を寄越します。海上の優位を失ったテュロスの命運は、ここに尽きたと言って良いでしょう。

 しかし、テュロスの人々はこの後も激しく抵抗し続けます。潜水夫に索綱を切らせ、突堤の角材を綱で引っ張り崩壊させる、巨大な石をクレーンで投げ落として船を破壊する等、あらゆる手段を使って突堤の建設を妨害します。

 抵抗虚しく突堤が完成し、城壁にマケドニア兵が取り付くと、焼いた砂を落として抵抗します。兵士は鎧の隙間から入り込んだ砂によって身悶えしながら死んだと伝えられます。熱湯より冷めにくい特性を活かしたのでしょうが、聞くだけで痛ましいやり方ですね。

 更に、攻城兵器からの投石のダメージを和らげるため、海藻と籾殻を詰めた袋を城壁の外に積んで緩衝材としたり、城壁が破壊されれば内側に新たな城壁を築くように、どれほど不利になっても、彼らは屈せずに戦い続けました。しかし、遂に城壁は破られ、テュロスの町は陥落しました。戦死8,000人、奴隷として売られたもの30,000人と伝えられます。

 この攻撃の際に築かれた突堤により、テュロスは今では陸続きとなっています。

 テュロス攻囲戦の最中、アレクサンドロス3世の元へダレイオス3世からの使者が訪れます。和平交渉と家族の解放を求めてのことでしたが、すげなく拒否されます。アレクサンドロス3世は、自分は勝者であり、ダレイオス3世は対等の立場での交渉を行うことは認めない、アレクサンドロス3世を大王と呼んで仕えるなら良いが、それが嫌なら戦え、逃げたとしてもどこまででも追いかけるとにべもありません。

 ダレイオス3世は戦いに備えるしかありませんでした。

 フェニキアを平定したアレクサンドロス3世は更に南下し、パレスチナに入ります。ここではガザが降伏を肯んじず、ここでも激烈な包囲戦が行われました。攻城兵器の攻撃には耐えられず、男たちは戦死、女性と子供は奴隷として売られました。

 降伏しない都市相手には、こうした絶滅戦が行われていきます。

 アレクサンドロス3世の不在を衝いて小アジアでペルシア軍が反撃に出る一幕もありましたが、アンティゴノスの守りを崩すことはできず、アレクサンドロス3世はシリア、パレスチナ沿岸部と小アジアを押さえました。

 前332年、遠征軍はエジプトへと押し寄せます。ペルシア人のエジプト総督マザケスは抵抗せず、アレクサンドロス3世はエジプトへ入ります。エジプトはペルシアに征服された後に反乱を起こして独立を回復、前343年に再度征服された過去があります。アルタクセルクセス3世は再征服後にかなり厳しい統治方針で臨んだため、エジプトはペルシア支配に不満を抱いていました。アレクサンドロス3世は、ペルシアの圧政からの解放者としてエジプトでは大歓迎されたのです。

 アレクサンドロス3世はエジプトのファラオを兼ねることになりました。メンフィスでセラピス神殿を訪れ、聖牛アピスに生贄を捧げます。彼は神への捧げ物を過架すことは有りませんので、今後も事ある度に神々へ犠牲を捧げることになります。

 シワで神託を得るべく、メンフィスを発ってシワへ向かいます。しかし、一行は砂漠で4日間迷い、革袋の水も尽きるという危機に見舞われます。まず救ったのは暴風雨でした。砂漠に降る雨が一行の喉を潤します。続いて2羽のカラスが現れ、オアシスまで導いてくれました。こうした天佑神助とも思えてしまうイベントが、アレクサンドロス3世の人生では何度も起こっています。優れた軍事指導者だったことに加え、運のよさも図抜けていますね。



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