2015年08月01日

アケメネス朝ペルシア ダレイオス大王2 ペルシアの選んだ支配体制

 ガウマータを殺害後、クーデターを起こした一味は、統治体制をどうするか話し合ったとされます。そこで出た意見を纏めてみましょう。

民主制寡頭制独裁制
オタネス万事は多数者にかかっている
独裁制の欠点を持たない
-仲間の内の誰か1人が独裁者になるのは好ましくない
カンビュセスの暴虐を繰り返してはならない
何ら責任を持たない人が思うがままに政治を行えば秩序がなくなる
どんな人物でも絶対的な権力を持てば驕慢と嫉妬心から悪となってしまう
メガビュゾス何の役にも立たない大衆ほど愚劣で横着である
独裁者の害悪を避けるためであっても凶暴な民衆には委ねられない
自分たち全員が平等に力を持てる
最も優れた政策が最も優れた人間によって行われる
オタネスと同意見
ダレイオスメガビュゾスに同意
悪のはびこることが避け難い
国家に悪を働く者達が結託することで公共のことに悪が入り込む
功績を上げようとする人々の間で争いが起こる
首脳の間の権力闘争は内紛を呼び、独裁制に決着する
3つの体制の最善を考えれば独裁制に越したものはない
優れた人物は優れた統治を行うし、秘密保持も最も容易


 民主政治の欠点については今に至るも共通するところがあって耳が痛いですね。大衆迎合的で近視眼的な政治のリスクは民主政治には必ず付いて回ります。甚だしきは、民主的にソクラテスを死刑にしたギリシアでしょうか。メガビュゾスやダレイオスはこうした欠点ゆえに民主制は認められないとしていますが、独裁制でトップが暗愚な場合には遥かに目も当てられないことになりますから、この議論では足りない気がします。しかし、決起した7人の内の4人が独裁制を望んだため、誰かを王とすることにします。

 民主制を主張したオタネスは、自分は王位の争いには参加しないと表明します。筋の通った結論ですね。と同時に、彼は独裁者の害悪から逃れるための布石も打っておきます。彼は支配者の地位を断念する代わりに、自分とその一族は王の支配を受けないようにする、というのです。それぞれの体制の欠点を理解した行動で、実に理性的な振る舞いだと思います。



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2015年08月02日

科学なニュース19 犬は人が思っているよりもずっと”人間らしい”

 私の家には保健所から引き取ったイヌがいます。その前に一緒に過ごしたイヌは、友人とキャンプに行った先で拾ってきた子でした。屋内で一緒に暮らしていると、イヌが来るまでは知らなかったことも色々と知ることになります。例えば寝言を言うところとか(笑)

 イヌと暮らす方なら、きっとイヌの行動が人間と近いことをご存じでしょう。このブログでも過去に取り上げた通り、イヌは指差しを理解できるといった、高等類人猿ですら身に付けていない技能を持っています。

 そんなイヌについて、ナショナルジオグラフィックが犬は人が思っているよりもずっと”人間らしい”というニュースを報じました。

 これまでの研究により、犬は表情を読み、嫉妬を伝え、同情を表現し、テレビを見られることがわかっている。専門家によると、彼らが人間みたいなこれらの特技を身につけたのは、オオカミから家庭用ペットへと進化を遂げた、1万1000年前から1万6000年前の間のことなのだそうだ。


 今一緒に暮らしているイヌは少々噛み癖がありまして、興奮すると歯を当ててきたのですが、その度にこっぴどく叱られ、歯を当てないと褒められることの繰り返しで治まってきました。叱られている時のイヌは、部屋の外からこちらの様子を伺って、怒りが解けているかどうかを読もうとしていました。同じような経験をされた方は、イヌが表情を読むと言われても当然としか思わないでしょう。

 たった数百年前、動物は機械的な反応を返しているだけで感情などといった高等なものは存在しないのだ、という説がまかり通っていました。当時の人々は、理論に溺れ、理論を知っている自分に酔って、肝心な一個の生物としてのイヌを見ていなかったのです。

 今回の実験では、イヌの前で飼い主が困っている時に協力する人、協力を拒否する人、そしてただ傍にいるだけの中立者が居ます。演技の後でイヌに餌をあげようとすると、イヌは飼い主の協力を拒んだ人からは餌を受け取ることを嫌ったそうです。

 つまり犬は、飼い主に意地悪な人を無視することで、飼い主の肩を持っているのかもしれない。それが真実かどうかは、今後の研究に期待である。


 人間の心理的な傾向として、自分と同じことをする相手を好ましく思うというものがあります。だから、友人の友人は友人になりやすいし、友人の敵とは友人になりにくいのです。イヌも同じ判断をしていると思うと、面白いですね!

 最も身近な生き物であるイヌについてもまだまだ分かっていないことが多いことも楽しい気分にさせられます。イヌがこのように振る舞う本当の理由の回目については、引用した文中にある通り、今後の研究に期待したいと思います。
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アケメネス朝ペルシア ダレイオス大王3 根回しの勝利?ダレイオス即位

 さて、彼らは話し合いの結果、全員で遠乗りして日の出のあと最初に嘶いたウマの主を次の王とする、と決めました。上手く立ちまわったのはダレイオスです。彼はこっそりと馬丁に知恵を借ります。運命の日の前夜、馬丁はダレイオスのウマが気に入っている牝ウマを予め城外に出しておき、そこにダレイオスのウマを連れて行ってさんざん焦らした後に番わせます。翌日、ここに差し掛かったと同時にダレイオスのウマは牝に駆け寄って大きく嘶きます。出来レースですが、この際に晴れ渡った空から一条の稲妻が閃き、雷鳴が轟いたと伝えられます。

 こうしてダレイオスが王位に付きます。彼はキュロスの2人の娘と結婚することで、体制を盤石なものとします。これもダレイオス1世が簒奪したため、血統を重んじる人々の支持を求めてのことのようにも見えますね。

 ダレイオスの即位が簒奪だったか否かは分かりませんが、ガウマータと彼に従う一派を打倒したことを記念して、エクバタナの西方のザグロス山脈に巨大なレリーフが彫られました。ベヒストゥン碑文と呼ばれるもので、アフラ・マズダに見守られながら、ダレイオス1世がガウマータを踏みつけ、9人の王を捕虜にしているシーンを描いたものです。碑文は古代ペルシア語、アッカド語(新バビロニア語)、エラム語の3ヶ国語で刻まれました。ベヒストゥン碑文を解読できたことから、アッシリアの大図書館跡から出土した大量の粘土板が読み解けるようになりました。3種の文章と言い、古代語の解読に果たした役割と言い、ロゼッタストーンとそっくりなことに驚きます。

 ダレイオス1世の即位には怪しげな雰囲気がまとわりつきますが、彼は「大王」と呼ばれるに相応しく、ペルシアを更に飛躍させます。領土を広げただけではなく、新バビロニアやエジプトの官僚制、アッシリアの属州制を融合させ、王を中心に据えた中央集権制を確立させます。

 総督(行政のトップ)と軍司令官を別系統にして、それぞれを中央から任命することで地方が力を強めて独立へ向かうことを防止しました。これは他の地域でも見られます。また、「王の目」、「王の耳」と呼ばれた巡察使を派遣して、中央の制御が可能なようにしていました。



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2015年08月03日

アケメネス朝ペルシア ダレイオス大王4 帝国の帝国たる所以、システムは他文明にも採用される

 ペルシア湾に近い首都スーサと小アジア西端のサルディス間を結んだ「王の道」は、徒歩なら111日かかる距離を、騎馬を用いて1週間で到達可能としました。こうした早馬が使われるのは緊急時のみであるとしても、道路は普段から使えます。商業はこれによって大いに発展しました。この時代、金の純度98%、銀は90%以上に達していたそうです。

 王の道を使った支配体制は、ウマの機動力と一体のものです。ただ、ペルシアでは道路と言っても舗装されたものではなく、平らにならすだけのものだったそうですから、使者はさぞ大変だったことでしょう。舗装された道路を完成させるのはローマを待たなければなりません。

 観察制度も道路の整備も、後のローマ帝国や中国で全く同様なことが行われていますから、大帝国を維持するにはかなり有効な手法だと思われます。

 また、様々な社会を統合した帝国がうまく回るように度量衡の統一を行い、通貨も発行します。貴金属の秤量よりも進んだ段階ですね。小切手を表す英単語チェックがペルシア語に由来するように、ペルシアで発達した金融システムが他の社会へも大きな影響をあたえるようになっていきます。

 ポロもまた、この時代に生まれます。この競技は同時に軍事教練でもありました。

 ダレイオス1世を初め、建築に熱心な王が現れたことから、首都スーサ、避暑地エクバタナの夏宮、避寒地バビロンの冬宮に加え、ペルセポリスに造られた新都市(後には新年の祭祀専用となりますが)と、豪勢な建築物が現れます。また、ペルシアと言えば絨毯が思い浮かぶ方も多いでしょう。現代に残る最古の絨毯は羊毛フェルト製で2400年程前のものとのことですので、アケメネス朝ペルシアにまで遡ります。



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2015年08月04日

アケメネス朝ペルシア ダレイオス大王5 黄金伝説を持つ、スキタイという騎馬民族

 さて、ダレイオス1世は、インドにまで進出しガンダーラを占領、今度は北へ転じてスキタイへも遠征します。

 このスキタイとは、ペルシアの北方にあった騎馬民族の国です。起源は南シベリアと言われます。彼らの建国物語には黄金伝説があります。最初に生まれたのはタルギタオスという男で、彼からは3人の息子が生まれます。ある時、黄金の盃と犁と斧が天から落ちてきます。長兄が近づくと黄金は燃え始めます。諦めた長兄が黄金から離れると炎が消えましたので、次に次兄が黄金に近づきますが、やはり黄金は燃え出します。最後に末弟のコラクサイスが近づくと黄金は燃え上がらなかったため彼は黄金を手にし、兄たちから王に推戴されます。

 黄金伝説が生まれるのに相応しく、彼らの墓からは大量の金細工が見つかっています。王族と見られる遺体は、副葬品として5700にも及ぶ金製品に囲まれていました。その重量、なんと20kgにも及びます。精巧な加工が施された芸術品です。彼らが黄金を重要視していたことが良くわかりますね。

 興味深いのは、羊毛の油垢を灸として利用する人々が居ることでしょう。5000年前の男、「アイスマン」の遺体にも灸の跡と見られる皮膚の変化が報告されていますから、遊牧民の間では一般的だったのかもしれません。

 騎馬民族の国と言っても、スキタイの人々が全て騎馬民族であったというわけではありません。中には農耕を行う人々もおりますし、遊牧に専従する人々もおります。金細工の専門家もいたことでしょう。ただ、遊牧を行う人々はウマを乗りこなし、様々な事情から騎射をよくしますから、軍事的には彼らが中心となります。加えて、民族主権とは近代に発達した概念であって、当時においては「スキタイ民族がスキタイ国家を作っていた」わけもなく、中にはギリシア系の住民もいたように、多民族国家でした。

 同じことはペルシアにも言えます。アケメネス朝ペルシアにしても、複数の民族から成る国でした。軍隊は歩兵が中心でしたが、勝敗を決する戦力は騎兵でした。



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