2015年06月01日

古代エジプト ピラミッド3

 このクフ王のピラミッドの近くからは、彼のために造られたとされる巨大な木造船、クフ王の船が発見されています(炭素14を使った年代測定で、彼の時代の木材だったことが明らかになっています)。高級素材だったレバノンスギが使われておりますので、当時の貿易関係を垣間見ることができそうですね。

 レバノンスギはレバノンの港町ビブロスから運ばれていました。因みに、この地はフェニキア人の出身地です。当時は貨幣が無かったことは既に書いた通りですので、エジプト側のレバノンスギへの対価の一つがパピルスでした。結果的に、ここがパピルスの流通拠点となったことから、ビブロスが本(ビブリオン)に関する言葉に結びつき、やがてバイブル(聖書)の語源になったとも言われます。パピルスはペーパーの語源という説もありますので、この分野におけるエジプトの貢献は大きなものと言えそうですね。

 さて、古王国時代の最後が第6王朝です。初めの頃は外征の勝利といった華々しい時期がありますが、末期にはエジプトは分裂し、混乱の時代へと移っていきます。この第1中間期と呼ばれる時期は地球規模の乾燥化が起こったことが指摘されています。それによりナイル川の水位が下がり、農業が衰えました。食料生産能力が大きく落ちたところに、異民族が流入してきたことで国は分裂していくのです。同じことは中王国から新王国の間である、第2中間期も同じことが起こります。

 古王国時代は安定していたため、富が蓄積されていましたが、それも奪われ、あるいは破壊されてしまいました。こうした影響もあって、ピラミッドの規模は古王国が最大だったのかもしれません。

 混乱期だった第1中間期から再びエジプトを統一したのが第11王朝です。出自であるテーベはこの時代から尊重されるようになり、発展を遂げます。特筆すべき点は、テーベという一地方都市の神に過ぎなかったアメンが国家宗教の中で無視できない立場を築いたことでしょう。後の新王国時代までにアテン神殿は王をも脅かすほどの力を持つようになります。それについてはまた別に論じましょう。



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2015年06月02日

古代エジプト 中王国

 この時期の遺物からは、クレタ島から来たものがあります。海路を使った貿易網が発達していたことが覗われますね。もう少し後の紀元前15世紀ごろには、フェニキア人が竜骨を持たせて能力を向上させた船を使うようになります。この時代もフェニキア人が海上で活躍していたのでしょう。

 第12王朝のアメンエムハトは簒奪によって王位に付きましたが、彼自身もまた暗殺されました。息子のセンウセレトが後を継ぎますので、暗殺者が王権の転覆を謀ったのであればそれは失敗に終わったようです。アメンエムハトが息子に残した教訓は、兄弟を含めて誰も信用するな、親しい仲間を作るな、というもので、権力者の孤独を垣間見ることが出来ます。しかし、これを見ると権力者になどなるものではない、と思わされますね。

 中国の隋は短命で滅びました。その2代目皇帝にして実質的なラストエンペラー煬帝の息子、恭帝?は反乱勢力に擁立され、利用価値が無くなったとみられるや禅譲を迫られ、挙句の果てには縊り殺されました。生まれ変わっても二度と皇帝の家には生まれたくない、と言い残したそうです。市政にあって気楽に過ごすのが一番良い生活なのかもしれません。

 その第12王朝で短い安定期は終わり、混乱の第2中間期がやってきます。中王国の終わりははっきりしませんが、ヌビアを失い、下エジプトは分裂しました。また、シリアからやってきた異民族、ヒクソスが下エジプトで大きな勢力を持つようになります。第15王朝の成立です。彼らは戦車や複合弓(コンポジット・ボウ)といった最先端の武器を用いることで旧式の武器しか持たないエジプトを圧倒した、と言われます。

 旧約聖書にもその名が見えるバアルのような異民族の神がエジプトに入ってきている(セトと同一視されました)ことから、異民族の流入があったことは確実ですが、実のところ、その規模は分かっていません。大規模なヒクソス軍にエジプトが蹂躙されたことを示す証拠が無いのです。ですから、闘いがあったとしても大規模だったわけでは無い、と唱える学者もいます。はっきりしたことは余程の証拠が出てこない限り、今後も分からないでしょう。定説を覆す、あるいは裏付けるような画期的な証拠は中々出ないものではありますが、ツタンカーメン墓のような例外もありますから、見つかったら僥倖、くらいの気持ちでアンテナだけ張っておくのが良いかもしれません。


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2015年06月03日

古代エジプト 栄光の時代、新王国1

 彼らの用いた武器についても触れておきましょう。

 戦車は二輪のもので、ハブを備えた2個の車輪が車両の両側に付いています。車輪はそれぞれ独立して回転しますので、機動性に富みます。おまけに、車輪はスポークで支えられることで大幅に軽量化し、しかも馬具を開発することで重量の一部をウマにも負担させることに成功しています。これは搭乗する部分の強度を高めたことでしょう。

 合成弓とは、一本の木の棒からなる単一弓(セルフボウ)の弱点を克服すべく生み出されたもので、セルフボウの背側に動物の腱、腹側に角のような硬い材料を膠で貼り付けたものです。セルフボウは一本の木からなりますから、温度変化に弱い、射程距離が短いといった欠点があります。合成弓は弾性が大きく高まったため、小型・軽量化したのに威力は変わらない優れものです。弓は現代社会で例えるなら銃火器に当たりますから、その能力が飛躍的に高まったことは軍事力の大きな変化を意味しました。

 やがてテーベの政権が力を持ち、第17王朝が成立します。彼らはヒクソスの第15王朝に臣従しながら徐々に力を蓄えます。特に、先進的な武器を取り入れたことが戦力増大に大きく働いたのでしょう。彼らはヌビアを押さえ、ヒクソスの支配に立ち向かいます。ただ、戦いはエジプトに有利に進んだわけではありませんでした。セケエンラー・タア2世というファラオは戦死、あるいは捕えられて処刑されます。彼の遺体にはヒクソスの武器による傷跡が見て取れるそうです。ちなみに、彼がもし戦死したのであれば、戦場で命を落とした唯一のファラオです。

 第17王朝と次の第18王朝は連続した政権です。イアフメス王の代でエジプト再統一を成し遂げたことを重視し、マネトーは王朝そのものを区切りました。他の違いと言えば、第17王朝までは王の遺体はピラミッドに葬られていたのが、第18王朝で王家の谷に埋葬されるようになったことでしょうか。ご存じ、ツタンカーメンのミイラが発見されたところですね。この第18王朝と続く第19王朝が、古代エジプトの黄金期だったと言えます。


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2015年06月04日

古代エジプト 栄光の時代、新王国2

 少なくとも、この頃からはファラオも教育を受けるようになっており、文字の読み書きができました。ファラオと共に学んだ者の中から出世コースを歩む人々も現れます。ファラオにとっては小さな頃から一緒で能力も分かる心強い仲間だったことでしょう。後のアレクサンドロス大王も共に学び遊んだ仲間を側近としています。もっとも、王と共に学ぶのは、高官の子弟がほとんどと思われますので、必ずしも王と共に学んだことだけが出世につながったわけではないでしょう。

 第18王朝は、再び手に入れたヌビアの金に大きく依存します。特に、ワワトの金鉱山は、年間280キロもの金を産出したと言いますから、大変な量です。

 こうした経済的な力を背景に、トトメス1世はアジアにまで撃って出ます。彼は先王アメンホテプ1世の子ではありませんでしたが、王の信頼厚く、王位を継いだ人物です。その向かう先は、ミタンニ。アッシリアも一時期その支配下に収めた強国です。下エジプトを見ますと、シナイ半島とつながっていますから、ここに強力な国が成立すると脅威になるのですね。ミタンニとエジプトが衝突するのは必然だったと言って良いでしょう。但し、彼はパレスチナを避け、海路よりミタンニを攻撃しました。トトメス1世はミタンニに勝利を収め、ユーフラテス川の畔のカルケミシュにまで至り、碑文を残します。

 ちなみに、川と言えば南から北に流れるナイル川を指すエジプト人たちにとって、北から南に流れるユーフラテス川は驚きだったそうです。

 トトメス1世は死後に王家の谷に葬られます。ここを墓所とするようになったとはっきり分かっているのは彼ですが、その父のアメンホテプ1世かも知れません。アメンホテプ1世の墓は同定されていませんが、王家の谷では神格化されていたそうですので、何らかの関係があると思われます。


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2015年06月05日

古代エジプト 栄光の時代、新王国3

 その後はトトメス2世が継ぎますが、彼は病弱で権力基盤が弱く、1世と正妃の間に生まれた異母姉と結婚します。エジプトの近親婚は、こうした異母兄弟・異母姉妹の間で結ばれるものでした。両親とも同じ兄妹、姉弟間で結ばれるようになるのは後のマケドニア人によるプトレマイオス朝です。

 さて、ここでトトメス2世が結婚した相手こそ、後のハトシェプスト女王です。彼女は夫の死後、継子のトトメス3世(トトメス2世の妾腹の子)と22年にも及ぶ共同統治を行います。共同統治とは名ばかりで、実際はトトメス3世は飾りでハトシェプストが権力を握りました。公式の場では髭を付け、男性として振る舞ったと言います。ただ、彼女は争いを好まず、この時代はエジプトにとって戦いの少ない安寧の日々でした。

 戦争の代わりに力を入れたのが貿易です。隊商には軍がついていき、交易品が略奪されないように睨みを効かせます。もっとも、見方を変えれば砲艦外交に近い形で貿易を行っていたのかもしれません。軍隊の警備代も稼がなければなりませんし、相手は力の前に怯えるでしょうから、とても平等な交易では無かったように思えてしまいます。

 貿易は地中海沿岸に加え、紅海でも行われていました。乳香没薬(ミルラ)といった香料、象牙が取引されていました。こうしたラインナップを見ますと、必要にかられてのものではなく、王侯貴族たちの奢侈を満たすためのものに見えます。社会全体が豊かになった証なのかもしれません。

 交易に用いられた船は、竜骨(キール)と甲板を備えた船ができていたことが、当時のレリーフから知られます。


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