2015年05月01日

古代オリエント 帝国の時代4

 バビロニアでは奴隷制度があり、法律でも一般人と奴隷では扱いが違います。ただ、奴隷の立場は固定的なものではなく、奴隷が開放されたり奴隷の男性と自由民の女性が結婚したケースもあるそうです。アメリカで発達した黒人奴隷制度とは大きな違いですね。

 北方のアッカドで作られたエシュヌンナ法典には、狂犬病になったイヌを管理しないで他の人を狂犬病で死なせてしまった場合には罰金刑である旨の法律もあるそうで、狂犬病が認識されていたことや、過失致死には死刑が適用されないという現代風な刑罰もあったのですね。懲役などは無く、基本的には罰金刑が適用されていたそうです。

 ハンムラビ王の死後程なくして、北方に強大な国が興ります。ヒッタイトというその国は、鉄の使用を開始したことで知られます。

 鉄利用の最初は隕鉄だと述べました。密林の中では隕鉄探しは困難でしょうし、少し時間が経てば鉄は錆びてしまいます。ステップが広がる地域で鉄利用が始まったのは、隕鉄を見つけやすかったというのもあったかもしれません。実際、隕鉄がどこに落ちたかという情報は広く共有されていたそうです。

 ヒッタイトはメソポタミアを勢力下に組み入れ、シリアを巡って隣の大国、エジプトとも戦います。最も有名なのが、紀元前1274年にヒッタイト王ムワタリとエジプト王ラムセス2世との間で行われたカデシュの戦いです。

 この地は元々、エジプトが200年以上に渡って支配していました。それが、ヒッタイトに奪われていたというのがそれまでの流れです。

 ヒッタイトの属国アムルをエジプトが征服したことに端を発するこの戦いは、ヒッタイトの情報戦によって、敵国深くに引きずり込まれたエジプト軍が支配下においたばかりのアムルからの援軍を得てヒッタイトを退け、膠着状態を嫌ったヒッタイト側の申し出により平和条約が結ばれたことで引き分けに終わったというのが実情のようですが、(ありがちな話として)双方が勝利を喧伝しています。もっとも、エジプトの受けたダメージは大きかったため、一度は手に入れたシリアの地もヒッタイトに奪還されておりますから、エジプトにとっては出征したが得るものはなかったといったことろでしょう。

 それにしても、アムルにとっては新しい支配者(エジプト)と旧い支配者(ヒッタイト)の戦いでエジプトに与するというのは、よほどヒッタイトに付くことが嫌だったのでしょう。敗戦処理がどうなったのか、知りたくない気がします。ただ、この時の戦いは痛み分けでしたが、3年後にラムセス2世は再びこの地に舞い戻り、今度はヒッタイトを破ってカデシュを取り戻します。

 カデシュの戦いについては、エジプトを論じる際に再び取り上げます。

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2015年05月02日

ブックガイド7 古代オリエント

 随分と長くなってしまったので、この辺りで一度中休みをはさみます。

シュメル―人類最古の文明 (中公新書) -
シュメル―人類最古の文明 (中公新書) -

 最古の文明メソポタミアの初期の主役はシュメル人とアッカド人でした。シュメル人はどこから来たのかも謎に包まれています。しかし、豊富な遺物からシュメル人の残したものがどのようなものか、分かるようになっています。ギルガメシュ叙事詩が読み解かれたことが大きな意味を持ってきます。

 シュメルがハンコ社会だったこと、現存する世界最古の法典である「ウル・ナンム法典」、目には目をで知られる「ハンムラビ法典」について引用含め詳しく紹介してくれているのが嬉しいところです。

 遥か昔の、非常に離れた場所の文明を身近に感じられる本です。



シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン (中公新書) -
シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン (中公新書) -

 シュメル人は、私たちの祖先と同様に多神教を信じていました。その一部はギルガメシュ叙事詩からも知ることができます。本書は粘土板から現れてくる、昔時の人々が抱いていた信仰の世界を蘇らせています。

 神話には、なぜ世界がこのような姿をしているのかを読み解く働きもありますので、古代のシュメル人が世界をどう考えていたのかが分かるのは貴重です。ギルガメシュ叙事詩に興味を持たれた方はこちらから手にとっても良いかもしれません。


ビールの科学―麦とホップが生み出すおいしさの秘密 (ブルーバックス) -
ビールの科学―麦とホップが生み出すおいしさの秘密 (ブルーバックス) -

 暑い日、疲れた体に染み渡る一杯のビールは何にも代え難いものです。そのビールはメソポタミアで生まれました。

 穀物の甘みが感じられる栄養満点の温かいスープは、近隣世界へと広まり、どんどん変貌していきます。その歴史は間違いなく文化史に属するものだと思います。食事と飲み物は共に進化してきたものですから。

 本書はビールの辿った数奇な歴史や、ビールに隠された技術、そして美味しくビールを飲む方法まで、ビールにまつわることならなんでも解説してくれています。ビール党の皆様には楽しめること間違いありません。

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2015年05月03日

科学なニュース7 虐待で「脳が傷つく」衝撃データ 2割近い萎縮も

 脳は変化の可能性を非常に強く持つ器官です。だからこそ、何が起こる社会でも生き抜くことができるのです。1万年前と今の社会では、社会を取り巻く関係も、人と人との関係も、扱う道具や技術は全く違いますが、脳はほとんど全く変化していないでしょう。

 正確に言えば、農耕を始めたことで脳容積は減っているわけですから、むしろ悪くなっているのかも知れません。男性で言えば、脳容積と知能に一定の相関関係があるそうですから。面白いことに、女性ではこうした相関は見られないそうです。

 女性の脳はネットワーク化が男性より複雑ですから、純粋に数では云々できないのですね。同じ仕組みで、失語症になりにくいといった特徴もあります。

 こうした脳の可塑性は、全体最適を見越して行われるものではありません。過酷な状況なら、そうした状況で生き抜くために最適化されていきます。

 虐待で「脳が傷つく」衝撃データ 2割近い萎縮もでは、虐待によって脳が実際に萎縮することが報じられています。元々、虐待を受けた子の脳には異常があるとは言われていました。この研究が画期的なのは、定量的にその程度を調査できたことでしょう。

(1)激しい体罰による前頭前野の萎縮──幼少期に激しい体罰を長期にわたり受けると、感情や理性をつかさどる「前頭前野」が約19%萎縮する。

(2)暴言虐待による聴覚野の拡大──幼少期に暴言による虐待を受けると、会話や言語をつかさどる「聴覚野」の一部が約14%拡大する。

(3)性的虐待による視覚野の萎縮──幼少期に性的虐待を受けると、視覚をつかさどる「視覚野」が約18%萎縮する。

(4)両親のDV目撃による視覚野の萎縮──幼少期に頻繁に両親のDVを目撃すると、視覚野の一部が約6%萎縮する。


 といった形で、虐待の態様と脳の萎縮部位と量が結び付けられたのです。

 サイコパスには虐待で脳に損傷を持つ人が多いといった話もあります。一方で、虐待を受けた子供が成長して親になった時、虐待を繰り返すのは、実は1/3程度という統計もあります。

 叱ることに教育効果はありません。一方で、褒めることにははっきりとした効果が認められています。確かに、子供と生活していると常に笑顔でとは行きませんが、怒った時にでも虐待にまでならないような注意をしていくのが良いのでしょうね。まずは自分が気をつけようと思います。
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2015年05月04日

古代オリエント 帝国の時代5

 時代が移り、古代オリエントをアッシリアが支配するようになります。アッシリアがどれほど富を蓄えていたのか、アッシュルナシルパル2世という王様の宴会の模様を覗いてみましょう。紀元前870年頃、首都の完成を祝うパーティーで、参加者約7万人、10日間に渡って続いたというものです。

参加者に供された食べ物は、よく肥えた牛一〇〇〇頭、ガゼル五〇〇頭、アヒル一〇〇〇羽、ガチョウ一〇〇〇羽、鳩二万羽、そのほかの小鳥一万二〇〇〇羽、魚一万匹、トビネズミ(小型齧歯類の一種)一万匹、卵一万個、野菜類はあまり多くないが、それでも一〇〇〇箱程度はあったという。


 物凄い規模ですね。ここに、壷1万個分のビールと、革袋入りのワイン1万袋も提供されたそうで、史上最大級の宴会として知られるというのも頷けます。

 もう少し後、紀元前7世紀に活躍するのがアッシュルバニパル王です。彼はエジプトのメンフィスを陥落させたり、バビロニアに拠って反旗を翻した兄を征討した征服者でもあり、また大図書館を建設したことで知られます。

 当時は字を読み書きできるのはほぼ書記官に限られていましたが、彼は自ら読み書きができ、それを誇っていました。学問を愛したこの王のお陰で、大量の粘土板が今に残されています。先に挙げたギルガメッシュ叙事詩もこの遺跡から発見されました。中には百科事典に相当するものもあり、なんと2万語も収録されていると言いますから、大事業です。

 このアッシュルバニパル王がライオン狩りをしている勇壮なシーンを刻んだレリーフが、大英博物館に収められています。もし大英博物館を訪れる機会がありましたら、是非ご覧頂きたいと思います。


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2015年05月05日

古代オリエント 科学と技術1

 アッシリアは騎兵の使用も開始します。帝国の初期には1万騎を数え、弓騎兵への進化も見られたそうです。その機動力は圧倒的だったでしょう。西アジア世界を制したのも、ウマの力だったのかもしれません。面白いことに、紀元前9世紀頃の騎兵は2騎がセットで描かれています。1騎は弓騎兵で両手を使って弓を放ち、並走するもう1騎が手綱を持ってコントロールするのです。それが、アッシュルバニパルの頃には1騎で騎射をしているのです。ウマの扱いに習熟していったことが覗われますね。

 また、武器においても進化が見られました。反り弓です。"B"のような形状で、張力を最大に活かそうとするものでした。これまでの弓が"("の右側に弦を張っていたところを、上端と下端を左側に強引に持ってきて、弦を左側に張ってしまうものです。こうすると、弦にかかる張力は非常に大きくなりますから、弓の威力も非常に大きなものになりました。弓騎兵にとって、この小さくとも威力は絶大な武器の存在は大きなものでした。

 さて、当時も時を計る技術は使われておりまして、バビロニアの暦は月の満ち欠けを利用する太陰暦でした。実際の1年とのズレは6月か最終月の後に閏月を入れて調整していたそうです。もちろん、この暦でも季節と暦がズレて行きます。そこで、紀元前432年頃には「太陰太陽暦」と呼ばれる改良された暦が使われるようになります。太陰月13ヶ月からなる7年と、太陰月12ヶ月からなる12年を組み合わせれば、ほぼ19年の周期になるのです。後のギリシアのメトンの名を取って、メトン周期と呼ばれるものです。しかし、年によって12ヶ月だったり13ヶ月だったりするのは不便ですね。あまり使われなかったのも不思議では無いように思います。

 短い時間は水時計を使っており、水時計を扱うための数学の問題も残っています。そうです。バビロニアは、歴史上最も早く数学を発達させたところでもあるのです。初期の頃の粘土板には取引のことばかり記されているということから、文字は商取引のために生まれてきたとの説がありますから、だとすれば数値の換算や計量のための数学も同時に発達してもおかしくありませんね。


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